2017年06月30日

BS世界のドキュメンタリー「ダウン症のない世界?」

BS世界のドキュメンタリー「ダウン症のない世界?」

2016年イギリス製作のドキュメンタリー。
ダウン症の息子さんを持つ女優さんが製作したもので、
お腹の子がダウン症と診断されたら、中絶するのか、産むのか?
という課題に真正面から向き合い、
いろんな方にインタビューをされていて、とても見ごたえがありました。
自分ならどうするんだろう…と考えさせられた。

 というわけで内容から。
 今回ドキュメンタリーを企画したのは、サリー・フィリップスさん。
 3人の息子さんをお持ちで、
 うち11歳の子オリーくんがダウン症だそうです。
 「ダウン症、と診断されると絶望する人が多いが、
  私も含めて、多くの母親は生活を楽しんでいる」
 と話していました

〇イギリスで進む出生前のダウン症検査
 最初にイギリスの現状から。
 イギリスでは妊娠すると、
 ほとんどの人がダウン症の可能性があるかどうかなどの検査を勧められるそうです

 これは妊婦の血液ホルモンから簡単に調べられる。
 その結果、過去10年で、ダウン症を理由に中絶する人は40%増加、
 確定診断を受けた人の9割は中絶したのだそう

 イギリス保健省のNHSもダウン症を重度の障害、としており
 ダウン症を理由とした中絶は出産直前でも認められているそうです
 NHSのパンフレットには
 ダウン症には「消化器疾患、心臓疾患、甲状腺異常、認知症発症、視覚聴覚障害」
 などのリスクがあると書いてあるそうです

 (ちなみにダウン症とは、人間の23対ある染色体のうち、
  21番目の染色体が3本ある染色体異常だそうです
  なので、普通の人より小柄、アーモンド型の目、などの独特な外見、
  知的発達がゆっくり、など特徴はあるが、個人差はあるそうです)
 ちなみにイギリスでは4万人しかいないそうです

 ・出生前検査の専門家ニコライデス教授とのインタビュー
  「なぜダウン症の検査を進めてきたのか」
  「需要があるからです」
   人によっては、ダウン症の子供を持ちたくないと思う人もいるので
   そういう人には情報を提供せねばならない、とのこと

  「ダウン症の子を持つことは悲惨なことではないのに、なぜみんなそんなに恐れるのか」
  「ダウン症への認識不足、前向きな情報が足りないという可能性はある
   ダウン症を精神疾患と結びつけて考える人も中にはいます。
   また、ダウン症の人達の寿命が延びているので、
   それを重荷と思う家族もいる」
  母親たちは、障害を持つ子供を持ちたくないと思うらしい。

 また、取材当時は、さらに新しい診断技術が開発されているところでした。
 それはNHSの研究所が開発した「NIPT(無侵襲的出生前遺伝子検査)」
 (http://blog.seesaa.jp/cms/article/regist/input
  によると、母体の血液を採取し、
  そこから胎児由来のDNAを解析する検査だそうです。
  それまでの羊水検査などよりも安全性が高いとのこと。
  日本でも受けられるそうですが、
  35歳以上、ダウン症などの赤ちゃんを産んだことがある人、染色体異常を告げられている人、
  など条件があるそうです)
  
 ・NIPTを推進しているキティ教授へのインタビュー
  この教授は、
  この方法は民間の研究所は開発に関わっていない、99%の精度で出生前診断ができる、
  と説明していました。

  サリーが
  「ダウン症は特性の一つと考えているのに、排除してしまうのですか…」
  と質問しかけると
  「ちょっと待ってください、
   私たちの目的はダウン症の人たちを排除することではありません、そんなのあり得ない」

  「なぜあり得ないといえるんですか、現実は逆ですよね」
  「こうなったら、という仮定の下に議論するのは間違っています、
   重要なのは、女性たちが正確な情報を知った上で選択できるようにすること、
   女性帯は、情報を得るために検査をしているのです」

  「この検査が、ダウン症の人たちに深刻な影響を与えるかもとは考えないのですか」
  「お尋ねしますが、あなたの息子さんはおいくつですか?
   息子さんはあなたより長く生きるとは思いますが、
   そのことを考えたことがありますか?」
  「それでも私は中絶は選ばないと思います、
   社会がダウン症の人たちの面倒を見られないなら、
   それは個人ではなく社会の問題だと思います」

  サリーは、この教授は
  「我々はダウン症の人を排除しているわけではない」
  と必死になって言い張っているように思えた、と残念がっていました。 

〇あえて出生前検査を受けなかった母親
 逆に、あえて検査を受けない人もいるようです。
 この女性は、すでにダウン症の娘さんがいる7か月の妊婦さん

 彼女によると
 「医師には早めにダウン症の審査をするように勧められた」
  しかし、
  彼女はダウン症の娘の存在を否定することになるから、
  自分にとって検査は意味がない、受けたくない、話もしてほしくない、
  そのようにカルテに書いておいてくれ、
  と最初に医者には言っていたそうです。
 
 しかしそれでも医者は後で相談してきた。
 抗議すると
 「それでも話をしたかった」と言ってきたそうです。

 彼女は
 「傷つきますよね」と話していました。
  ダウン症の子を再び持ちたくないはず、と決めつけられているのだ、と。
  医者はダウン症の子を産ませたら周りがどんな反応をするか分かっていて、
  自分の身を守るために話をしているだけ、
  社会ではダウン症の子を授かることに理解がない、と話していました。

〇ダウン症の俳優さん
 しかし、ダウン症の仲には社会で活躍してい人もいる
 この俳優さんは
 「僕の夢は賞を取ること、彼女を見つけること
  両方できたら最高だね」
 と前向きでした
 彼は人一倍努力をして、今の職業を得たそうです

〇ダウン症の子供への教育の道を開いた教授
また、最近はダウン症の子供も教育を受けられるようになった

 1970年まで、イギリスではダウン症の子供は学校へ行けず
 普通学校へ行けるようになったのは1981年だそうです。
 
 その道を切り開いたスー・バックリー教授を訪ねていました
 教授によると
 ダウン症の人は耳で聞くのは大変だが、目で見れば学習ができる
 適切な指導をすれば、8割が読み書きできるようになる
 普通学校を卒業し、就職し、自立して生活している人はたくさんいるそうです
 
 「NHSのダウン症の出生前検査を許可するプログラムについてどう思うか」
 「ダウン症を中絶の理由にすべきではない。
  このプログラムは
  ダウン症の人たちの意見を反映していない」
 出生前検査のプログラムが作られた30年前には
 すでにダウン症の方への教育が進んできたはずなのに、
 倫理面での議論が何もなされていなかった、
 これからもっと議論されるべき、と話していました

〇アイスランドの現状
 次に彼女はアイスランドに取材しています。
 アイスランドは障害者に対する政策が進んでいるが、
 それでもこの5年で、ダウン症の可能性が高いと診断された人は100%中絶しているらしい

 新聞には「ダウン症の人は存在価値がない」とする投稿があり
 ハルドラさんという30代のダウン症の女性が
 「私たちに存在価値がないと誰が決めつけられるのか」
 と抗議したそうです。

 サリーは彼女に話を聞くと
 「出生前診断で赤ちゃんが中絶されるのは辛い」
 サリーは
 「あなたが声を上げたこと自体が素晴らしい、
  発言したことに価値がある」と彼女を抱きしめていました。

 ハルドラさん自身は、ダウン症を抱えつつも
 二か国語を話し、仕事もしていて結婚予定の相手もいるんだそうです。
 たしかにかわいらしい女性でした

 次にサリーは、アイスランド国民の遺伝情報データを蓄積している
 神経学者ステファンセン氏を訪ねていました。
 彼の持つ情報は、能力や遺伝性の病気があるか、
 などの予測にはつながる、とのことです
 
 「アイスランドでは、ダウン症の出生前診断を受けた人の100%が中絶する、
  この現象を成功と見ているのですか」
 「成功かどうかは分かりませんが、
  この傾向は思慮に欠けている、とは思います」

  彼は
   自分の知り合いに素晴らしい人間がいて、
   その人の息子はダウン症だが
   2人には愛情が感じられ、その姿はとても美しい…
  と話したうえで
 「しかし現実はダウン症の子供は中絶される、現実は残酷です
  それが正しいのかどうかは分からない」

  そして
 「言えるのは、中絶するかの判断は
  出産する本人にゆだねられるべきだということです、
  それ以外は理不尽です」
  サリーもその言葉にうなずいていました。
 
〇医療関係者の態度
 アイスランドからサリーが帰国すると
 イギリスでは専門委員会が、
 新しい出生前診断法の推進を決定した、
 というニュースが流されていました。
 
 しかし新聞を読んでも
 この方法は安全で正確、という話はあるが、
 この決定がダウン症のコミュニティに与える影響を危惧した記事は1つもない
 サリーは
 「私はあまり怒る方では無いが、かなり怒りを感じている、
  怒りのレベルで言えばレベル9くらい」
 と言っていました

 そんな中、NHSの職員に向けてスピーチをしていた女性がいました
 彼女はヘイリーさんというブロガーで
 ダウン症の子供を出産した後にその体験をブログにつづっている
 彼女のブログには、同じ境遇の親からのメッセージも寄せられている、とのこと

 「NHSは今回の決定を
  「「苦しみ」の根絶に向けた第一歩だ」というが
  言葉の重みに対しもっと敏感になるべきだ」
 とスピーチでは話していました。

 彼女は出生前検査を受けなかったそうですが
 医療関係者の言葉は怖いので、
 もし告知を受けていたら中絶していたかも…
 医療関係者はもっと告知の仕方に気を付けるべきだ、と訴えていました

 「これは妊婦さんが実際に言われた言葉です。
  「明日の朝にも中絶できますよ」
  「出産するなら、転院してください」
  「ダウン症の子供は一人で十分でしょう?」」

 「私が娘を産んだ時のことは忘れられない
  助産婦さんは混乱していました。
  私は怖くて何も聞けなかった。
  「悪夢」と刷り込まれていたことが現実になった、と直感した」

 医療関係者が、ダウン症は深刻な病気、なったら悪夢だ
 という話を妊婦さんに「刷り込んで」いるかのようです。

 しかしヘイリーさんは
 「娘はリスクではない、
  火事でも洪水でも、医療論文の1ページでもないんです。
  娘の産まれた日に戻れたら…」
 そして
  「ありがとう」
 と娘を抱きしめていました。
 
 サリーもこの話を聞いて、
 オリーくんを産んだ時のことを思い出したそうです
 助産婦さん、看護師さんは泣いていた

 「しかし、あとから考えれば同情してもらう必要はなかった」

 ダウン症と診断されると、母親はショックを受けるが
 それは後でも先でも同じだ、
 ただ告知がどういう態度で行われるかが
 そのあとの選択を左右するのではないか
 とサリーは感じたそうです
 
〇母親のためのカウンセリング機関
 次にサリーは、ダウン症の疑いがあると診断された母親に対し
 NHSが紹介するカウンセリング機関ARCをたずねていました。

 代表の方によると、
 小規模の施設なので、フルタイムのカウンセラーは4人しかいない
 ダウン症について最新の情報に精通しているとも言えない、とのこと
 
 「私がダウン症の可能性があると診断された妊婦さんとして、
  子供の教育について不安がある、と相談したらなんと答えますか」
 「私たちは大丈夫とは言いません、
  どんな不安がありますか、その不安を受け止められますかと聞きます。
  もしくは、中絶するつもりはありますか、とたずねます…」
 「ちょっと待って、話が飛躍していますよね。
  私は子供の教育について尋ねただけなのに、
  いきなり中絶の話になるんですか」

 代表の方は、ダウン症の人たちの権利を守る人の活動は理解している、といったうえで
 「母親たちが不安に思うのは、子供の能力や病気へのリスクなどが推定できないこと。
  それに対して対処できない、したくないと考える人もいます、
  その現実に対し目を背けるわけにはいかないんです」
 と話していました。

国もカウンセリング機関も、
なんだか「ダウン症を早期発見して取り除く」方向に行ってるみたい…
しかし彼らは、
「それは母親たちが望むから」
と言っている。
では当の母親たちは何を考えているのか?
サリーは、中絶を実際に選んだ母親を訪ねました。

〇中絶を選んだ女性の話
 この女性は今、次の子どもを妊娠中。

 彼女は
 「中絶したのは、赤ちゃんにとっていい選択だと思ったからだ」
 と話していました。

 実際の中絶法は聞いていてつらかったんですが、
 最初に胎盤を壊す薬を自分で飲み、
 その次に医者が注射をして、胎児の心臓を止める。
 それまで動いていると感じていた心臓が、ぱったり止まってしまうのだそうです。

 「決断するまでに十分な情報は得られたと思いますか」
 その女性は、医者の説明、専門データよりも、
 日常の生活を知りたかったと言います。
 そこで自分で体験者のブログなどを探して読み、それが彼女に中絶を決意させたのだそう。

 「ある人のブログでは、5歳まで歩けないから重たい、
  歩いてもそこらで大声を出して大変
 とあり、そういう苦労は自分には背負えない、と思った」

 しかし彼女はもっと意外なことを話していました。
 「実は、ブログでは苦労より前向きな話の方が多かったんです。
  でも私はむしろそういう記事を読んで中絶を決意しました」

 ダウン症の人が成功するには、
 人の何倍も努力しないといけない、
 自分の子供にはそこまで苦労させたくない、と感じたとのこと

 サリーはパラリンピックに出ている方の動画を見せて
 「この人も生まれなければよかったと思っていますか」
 とちょっときつい質問をしましたが
 「いいえ、それは考え方の違いに過ぎません
  もちろん彼女は素晴らしい。
  彼女は人生を楽しみ、目標を達成しています。
  考え方は親によって違うし、何がいいとは思わない。
  でも私は親として、子供に同じ苦労をさせたくない、というだけです」
 
 サリーは、選択することの価値とはなんなのか、と考えたそうです

 もし自分が出生前検査を受けていたら、
 産むことを選択していたか自信がない。

 でも実際は、何も知らずに自分がオリーくんを産んだことで、
 今素晴らしい経験が得られている
 そう考えると、選択できるのは本当にいいことなのかと考えてしまう、とのこと
 
検査を進歩させた科学の功罪とは…
と考えたサリーはアメリカに飛びました。

〇自分の息子の遺伝子検査をした科学者
 次にサリーが訪ねたのはカリフォルニア。
 ここでは自分の息子が胎児のとき
 遺伝子検査をして話題になった科学者ラジーブ・カーンさんがいました。
 自宅のパソコンで2週間かけてしたそうだ。

 彼はそのことでいろんな非難、論争を受けたそうですが
 「でも10年後にはこういう検査は当たり前になっているはず、僕は時代を先取りしただけ」
 と話していました。
 
 サリーは
 「ダウン症の子は最悪だ、という人もいるが、私はそうは思わない」
 というと、
 カーン氏は
 「でもそれはあなたの意見ですよね。誰しもそうではない。
  ダウン症を排除するかはその人の意見に過ぎない。
  科学は事実を告げるだけで、倫理とは別」
 と話していました。

 彼はかなりロジカル、割りきりが強い方ですね…

 そこで彼女は遺伝学の権威ジョージ・チャーチ氏に、科学の倫理について迫りました
 ボストンのハーバード大で

 「出生前診断が進んでいるが、これから私たちは倫理観をどう作っていけばいいのでしょう?」
 彼は
 「倫理観とは時代により変わるもの」
 としたうえで
 「今出生前検査が進んでいるのは、親がそれを望むからです。
  もしダウン症の家庭が幸福だ、という事実がメディアに頻繁に出れば
  そういう人たちは増えるかもしれない。
  でも現実はそうではない。
  子供自身が遺伝子を操作できるようになっても、
  自らダウン症を選ぶ人はいないでしょうから」

 「では、私たちはこれから、どうすればいいのか」
 「教育がカギでしょう」
  問題は科学の進歩ではなく、
  社会的な圧力や市場の競争にある。
  ダウン症の人たちも価値のある社会の一員、と
  認知させることだ、と話していました。

〇ダウン症の尊さを発している女性カレン・カウニーさん
 カウニーさんはダウン症で、いろんなところで講演活動をされているそうです
 お母さんとインタビューに答えてくれましたが
 お母さんの
 「人類は一つの大きな織物で、私たちはそれを紡ぐ糸
  紡ぐ糸はどれ一つとして切り離すことはできない、
  それに気づくべきです」
 という言葉が印象的でした。

 サリーは
 「ダウン症の人も社会の大切な一員」
 を表現するため、
 最後にダウン症の人たちを集めてフラッシュモブをして締め括っていました。

○感想など
 なかなか難しい問題だなと思います。
 以前新聞だかテレビだかで
 日本でも胎児のエコーで色々先天性疾患が分かるようになり、
 母親が産むかどうかを決断しなくてはいけない時代になってきた…
 という問題が取り上げられていて
 色々分かるというのもいいのか悪いのか分からないなと思いました。
 だって知ったうえで選択するのは重過ぎる…

 たぶん「先天性疾患の疑いがあります」
 と言われたら、中絶したお母さんが言うように
 「わが子には苦労を背負わせたくない」
 と思うのは自然のことだと思う。
 検査を受けて、リスクを承知であえて産む人ってのは少ないだろうと思う。
 でもせっかくお腹に宿った子を自らあやめるなんてしたくない…

 そこまで迷わなきゃいけないなら、
 もう最初から検査を受けないほうがましだなあとも思う。

 イギリスは国や医療機関が検査を受けるように誘導しているそうですが
 そこまで考慮しているのだろうか。
 「ダウン症の子は重度の障害」と認定し
 直前でも中絶を容認する、とまで言うということは
 実質的にはけっこう露骨に排除を誘導してるんじゃないかと思ってしまいました。
 医者の告知の態度、中絶や転院を進める様子には、余計そう感じてしまう。
 
 日本の場合は、検査を受ける要件が厳しいようで
 35歳以上で、かつ遺伝子疾患の子を産んだ経験がある人、
 など規定が細かく決まっているようなのでまだいいのかも…とすら思ってしまう。

 本当に排除するつもりがないのなら
 検査を受けない権利、というのも尊重されるべきだと思います。
 でないと、結果を知った時に選択しなきゃいけない女性の負担が大きすぎる。
 
 また、
  遺伝学の権威の
 「教育がカギ、
  ダウン症の人も大事な社会の一員だと世の中が認識しなければいけない」
 カウニーさんの母親の
 「私たちは一つの織物、どの糸も切り離すことはできない」
 という言葉は本当にそうだと思う。
 
 ダウン症を産む際に選別したところで
 世の中には別の病気もあるし、
 事故などで障害を持つ可能性は誰だってある。

 そう思うと、
 障害者をはじめとして、
 いろんな人がみんな大事な一員だと考えていく方が
 お互い住みやすい社会になるんじゃないかな、と思います。
いろいろ考えさせられました。
 というわけで、今回はこのへんで。

 

 



 

 
 
posted by Amago at 12:02| Comment(0) | テレビ(科学) | 更新情報をチェックする

NHKBS世界のドキュメンタリー「僕の生きる価値」

NHKBS世界のドキュメンタリー「僕の生きる価値」
 2015年デンマークのドキュメンタリー。
 脳性麻痺の27歳の男性ヤコブが
 「自分には生きる価値があるのか?」
 という苦悩を常に抱えていて、
 それを演劇で表現しようともがく過程を追っています。

 このドキュメンタリーは、なんだろう、北欧とかフランス系の映画みたいな雰囲気というか、
 映像を見て感じるタイプの構成になっていたので
 内容については私の感じたことを書きたいと思います。
 
 最初にヤコブは
 「最初に僕を見た人は2つの反応をする、
  逃げ出したくなるか、殺したくなるか」
 という重い言葉を投げ掛けています

 ヤコブは脳性麻痺で体の動きが上手くいかない。
 手足や顔の表情が不自然に曲がっている。

 おそらくそれによる偏見や差別は並大抵では無かったのでしょう、
 「正常とはなにか?」
 「僕のような人が生きる価値とはなにか?」
 という問いと戦ってきた、と言います。
 その問いにもう押し潰されそうな気持ちを、舞台で表現しようと考えたそうです

 最初は演出家の方に
 「何十年後かには僕のような障害者はこの世にはいないだろう」
 「未来は巨乳の女性と背の高い男性ばかりになる、って聞いたことがある」
 などと話し、
「避妊クリニック」で、障害児がどんどん捨てられる、
 という刺激的、風刺的なSF演出を考えている

 この場面には、
  「人は結局綺麗でカッコいい外見を欲しがるんだろう?
   遺伝子操作できるようになったら障害者は抹殺されるんだ」
 と言われているように感じました

 しかしヤコブに肯定的な方もいるのです。

 彼は構想を練るため色んな人にインタビューしていましたが、
 彼の家族は彼を肯定していました。

 彼は生後間もなく捨て子に出され、養子縁組したそうですが
 3ヶ月で里親家族で様子がおかしいことがわかり
 養子縁組あっせん業者は
 「赤ちゃんを交換しましょうか」
 と言ってきたそうです

 しかし祖父母は
 「それまで育ててきた子を送り返すなんてとんでもない」
 「この子は大丈夫だと思った」そうです。

 そしてインタビューしている彼に
 「お前は素晴らしい人生を歩んできたし、
  私たちを心から幸せにしてくれた、
  自分の人生に満足してほしい」
 と語りかけています
 両親も、彼には温かい言葉をかけていました

 また、ヤコブは見た目は大きな障害を抱えているように見えるが
 科学的にはそうでもない、ということもインタビューで明らかになっています

 脳科学者に彼の脳を見てもらうと
 脳全体の数パーセントしか障害はない、と言われました。
 運動機能の部分がやられているだけ、なんだそうです

 また、遺伝子を調べても
 「この人を精子提供者にできるかと聞かれたらyesと答える」
 と専門家に言われていました

 ただ彼は本当の親にはわだかまりがあるのかもしれない。
 反中絶団体の人に話を聞きに行き
 中絶された赤ちゃんの墓地に案内され、
 (広大な敷地に十字架がずらーっと並んでいて圧倒されました)
 そこにおかれていた、
 我が子に中絶を詫びるある母親の切ない手紙を読んでいましたが

 「お母さんが君を中絶したら後悔しただろうか」
 と聞かれて
 「でも生んだ人(お母さんとは呼ばない)は、養子に出した時点で僕を捨てたんだ」
 とつぶやいていました

 ヤコブ自身は家庭を持ちたいと望んでいて
 未来の我が子にも手紙を書いています
 「平穏な人生を望むならパパのようにはなってほしくない
  でももし君が色んな体験をしたい、心の世界を探求したいと思うなら、ただ突き進め。
  僕はきっといい父親になる」

 肯定的な経験を踏まえて、肯定的なメッセージを送る父親になれる…と。

 しかし私は見ていて思ったが、
 このドキュメンタリーは、
 障害者が逆境に負けず舞台を作り、みんなに暖かい気持ちを送る、
 という単純なストーリーではないと感じました。
 (厳しい言い方かもしれないが)
 ヤコブには、他人への不信感、俺は他の障害者とは違うんだという上昇意識
 言ってみれば、見ていて醜い部分も感じました。

 例えばヤコブは
 「正常なことに憧れる」
 と哲学者(演出を手伝っていた方)に言っていましたが
 その哲学者に
 「でもただの普通は嫌だよね、
  この舞台で成功してスターになるっていつも言ってる」と指摘されている。

 そして、ヤコブ自身も舞台を仕上げる前に
 「僕が怖いのはただの障害者の一人になること。
  僕は証明してみせる、
  どんな酷い状態でも人生には生きる価値がある、と」

 俺はそこらの障害者と違うんだ、
 という特別意識みたいなものも持っているように思えた。

 それから、ヤコブは他人の気持ちを思うゆとりも無さそうに見えました。

 例えばヤコブはジャーナリスト希望で、
 放送協会にインターン受け入れの交渉にも行っている
 しかし動きもぎこちなく、話し方もきちんとできない彼に
 「なにかあったときにアドバイザーになってくれる人はいるのか」
 「声が大きすぎる、小さい声で話せないのか」
 などと彼らは言う
 それに対して露骨に怒っていました

 たぶん彼らは職業意識、プロ意識として
 「それではプロの世界ではやっていけないよ」
 と指摘しただけなのだろうけど
 ヤコブは差別だ、と過剰に反応している。
 なんていうんかな、土俵が違うところで勝負してもしょうがない部分も世の中にはあるのに。
 厳しい言い方をすれば、わざわざ差別を受けに行っているように見えました。

 またヤコブは途中で代役を立てるが
 代役は障害者ではないので
 「どう演じたらいいんだろう」と迷っていたんですが
 「君と僕は似ている、
  君の人生をベースに演じればいい、僕は君に自分の人生を託す」
 などと言っている

 代役の俳優は
 「そんなの重すぎる、君の人生なんか背負えない」
 と思わず言っていましたが
 確かにそうだろうな~と思う。
 相手のことを考えていたらそんな軽々しく
 「自分と同じように演じれば」って言わないかなあと思います。

 そんなヤコブの傲慢さ?醜さ?が最後に出てきたのか…
 ヤコブは本番直前のリハーサルで
 「出来ないような気がしてきた」
 と舞台演出家(初期から応援してきた方)に漏らし、
 演出家は本気でキレてました。

「ドキュメンタリーのカメラの前でそんなことを言うなんて、
 ドキュメンタリーのスタッフとなんかもくろんでるの?
 わざと直前に潰して盛り上げようとしている?」
 
 さすがにヤコブは取り乱し、
 「僕はいっぱいいっぱいなんだ…」
 と泣きわめいていましたが、
 うーん、演出家がキレたのもなんか分かる気がしました。
 それまで溜まってたものがあったんかもなと思いました。

 まあそれはともかくとして舞台は無事成功します。
 途中でヤコブくんは赤ちゃんをあやそうとして泣かれているシーンが挟まれ、
 最後はそれと呼応するかのような
 別の赤ちゃんと仲良く並んでいるシーンで締めくくられていました。

 とはいえ私はヤコブくんがいやだなと思ったわけではなくて、
 そこまで人間不信、上昇志向
 (アドラー心理学的に言えば優越コンプレックス)
 を抱かねばならんくらいの扱いを受けてきてしまったんかな、
 と感じました。
 
 以前本で読んだ話では
 人間の脳は異質のものに恐怖を抱くようにできているそうです
 それは防衛反応のためで、
 顔のあざとか、何か普通と違うものがあると恐怖を感じてしまうのだそうです。
 なのでヤコブくんへの周りの反応は、脳科学的には仕方がない。
 でも扱いを受ける方は、仕方ないでは済まされない。

 途中で哲学者が
 「君の試みは、我々の許容できる範囲を超えているかもしれない。
  私たちに自分の内面の醜さを気付かせる。
  他人に寛容であることを強いる」
 というような見解を述べていましたが
 (それでもヤコブと演出家は果敢に舞台に挑戦したわけですが)

 障害者たちの存在というのは、
 私たちに、どこまで他人に寛容になれますか?
 と問いかけているのだろうか…
 と考えさせられました。

 まあそういうわけでけっこう重たーい話でした。。
 (一応、喜劇の演劇だそうなんですけど)

 いろんなものを感じてしまい、表現するのが難しいですね…
 まあまとまりないですが、今回はこの辺で。
 
 

明星食品「東京タンメントナリ監修辛激タンメン」 アンディコ「ゆず香る甘酒ぷりん」

明星食品「東京タンメントナリ監修辛激タンメン」
アンディコ「ゆず香る甘酒ぷりん」

昨日食べたもの。
明星食品「東京タンメントナリ監修辛激タンメン」
ローソン限定もので、いつか忘れたけど買っておいたもの。

トナリは知らないけど限定ものに弱いので買ってみました。
でかいカップ麺です。
太麺だそうで、お湯を注いで5分待つのだそうだ。

開けてみると粉が辛そうな色…
どっちかいうと赤より茶色っぽいかな。
辛味油は別添えで、5分たってから食べる直前に入れるらしい。

入れる前にスープを飲むと、うむ、辛い。のどに来るね。
甘辛味噌の味なんですけど、
エースコックの担々麺とはまた違う。
あちらは砂糖的な甘さだが、今回は脂の甘さという感じです。

辛味油は赤くてドロッとしていて
ちょっとなめると甘辛い。スープより甘いかな?
…と思ったらヒリヒリ来た。

全部混ぜていただきます。
麺は固いめで、けっこうもちもち歯応えがあります。
スープは甘めのトンコツ味噌、という感じで
こってり甘辛、そんなにしょっぱくない。
ニンニクとか生姜のような香辛料の風味もします。

辛さは、辛いというか、痛い?
かなりギンギンなはずなのに、
こってりのせいか、それとも味噌がマイルドなせいか、そんなにキツくは感じない。
ただ唇の周りとか、お汁が皮膚に付くとかなりヒリヒリ。

具はニラ、ニンジンなど。
材料を見たらモヤシとかチャーシュー、キクラゲもあるらしい。
細かいからよくわからんけど、ニラはお湯で戻したらけっこうリアルでした。

麺が太いせいなのか、食べてて多いと感じました。
でかいカップのせいなのか、
スープがこってりのせいなのか?
普通カップ麺って食べてる間はそんなに多いと感じなくて
後からお腹はるんだけど
これは食べてる最中からお腹が張ってきた。

でもスープが美味しいのと
麺がしっかりしているおかげで
最後まで飽きずに食べられました。
ただ多すぎるのでリピートはないかな。半分くらいならまた食べてもいいかな。
辛いんだけどクセになりそうです。
がっつり食べたい人には味もいいし、かなりお勧めです。

ちなみにパッケージによれば
トナリの麺は
濃厚なトンコツスープに、具材を10種使ってあるそうです。
ホームページ見ると、本物もかなりたべごたえありそう。
このお店は東京と埼玉にしかないみたいですが
雰囲気的に長崎ちゃんぽんくらい具がたくさんありそう。

さて次。
アンディコ「ゆず香る甘酒ぷりん」
甘酒プリンというのが珍しいので買ってみた。
たぶんコンビニ限定商品だと思う。

見たところ、こないだ買った同じアンディコのマンゴーのチーズケーキに似ている。
淡い黄色のプリンみたいなのに黄色いソースがかかっています。
さていただきます。

おお、ゆずの香りが良い。
ちょっと甘いかな。

下の甘酒プリンは、
んー、いまいち…
なんか香りが微妙。
なんだろう、甘酒っていうかラムネみたいな感じなのですよ。
甘酒ってもうちょい優しい風味だったと思うのだが
なんか人工的というか…
しかもかなり甘い。
舌触りはまったりねっとりで好みなんですけど、
味と香りがどうにも合いませんでした。

トーラクさんからも前に出てたけど、あちらの方がいいかなと思いました。
なんか最近アンディコ迷走してる感がありますね…しばらく買わんとこかしら。

というわけで今回もごちそうさまでした、ありがとう~
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