2017年09月04日

NHKBSプレミアム「フランケンシュタインの誘惑 水爆 欲望と裏切りの核融合」

NHKBSプレミアム「フランケンシュタインの誘惑 水爆 欲望と裏切りの核融合」

この回は水爆開発の話。
2016年の11月くらいに放送されたものの再放送だそうです。
しかもこの再放送したのも数日前…
今さら感がなくはないが、
思わず見いってしまいました。

登場するのは水爆を開発した理論物理学者エドワード・テラー、
それから著名な物理学者ロバート・オッペンハイマーでした。

かいつまんでいえば、
天才だけど人間性はちょっと問題?な物理学者が、危険な武器開発に取りつかれてしまった
という話ですが、
そこには、科学者の好奇心や探求心てのはどこまで許されるのか…
という問題を含んでいるように感じました。

というわけで内容から。

○エドワード・テラーの生い立ち
 1908年、テラーはハンガリーのブダペストに生まれる
 父は弁護士、母はピアニストを目指していた人
 (ウィキ情報によれば、彼は裕福なユダヤ系知識階級の家庭で、
 お母さんは銀行家の娘、4か国語をマスターする才媛だったらしい)
 2歳からピアノの手ほどきを受ける
 ピアノは終生、彼の友になったようです。

 しかしそれよりも彼が才覚を示したのは数学で
 就学前に掛け算をマスターする、など逸話は多かったらしい
 それでも靴下をお母さんに履かせてもらうなど
 精神的には幼いところがあったようです

 17歳になると当時科学の最先端だったドイツに留学、物理学を学ぶ

 しかし当時はヒトラーが台頭、
 迫害の恐れがあったためアメリカに亡命し
 ジョージワシントン大学の教授になる

○原子力の研究
 当時は原子核の研究が進んでおり
 1938年には核分裂の現象が発見される

 核分裂とは、原子の中心にある原子核が分裂、
 その際に放射線と共に膨大なエネルギーが放出される現象、
 これは後に原子爆弾に利用された

 テラーはその先の核融合を利用することを考えていた
 核融合は、核分裂とは逆に原子核が融合し
 その際光やエネルギーが放出される現象で、
 太陽など恒星の中心で普通に起きている現象

 しかし、核融合を起こすには1億℃、という大きなエネルギーが必要で
 彼は物理学者フェルミなどとの議論から、
 原子爆弾の爆発のエネルギーを使えば、
 無限に破壊力を大きくできると考えた
 「無限は人類にとって、奇妙で強烈な魅力がある」
 と述べているそうです

 無限のエネルギーに彼は取りつかれていった。
 彼の生涯を追うジャーナリストによれば
 「彼はどんな方向であれ、科学は追求されるべきと考えていた」
 破壊的な結果をもたらすとしても、科学者にとって知的探求は必要、と考えていたそうです

 彼のこの科学者としての信念?が、後に水爆開発まで手を出してしまう原動力となった

○ロバート・オッペンハイマーとの出会い
 1942年、マンハッタン計画が立ち上げられる
 (マンハッタン計画は、
  第二次大戦中に枢軸国の核兵器開発に対抗し
  イギリス、アメリカ、カナダが科学者たちを総動員して、
  核兵器開発を試みた計画だそうです)
 中心となったのは物理学者ロバート・オッペンハイマー

 このマンハッタン計画のためにオッペンハイマーの開催した会議で、
 テラーは議題と関係ないのに水爆を持ち出し
 「理論はできてる、あとは実現するだけ」と熱く語り
 他の科学者も次第にその熱にうかされたそうです

 テラーを知る人によれば
 「科学者は他の科学者から刺激を受けて閃き
  その閃きが科学の真髄に導いていくものだが、
  テラーはその才能に溢れていた」

 つまり他の人と議論を重ねる中でインスピレーションを得て、
 アイデアを産み出す才能に優れていたそうです

 彼と最も議論したのがオッペンハイマー、
 オッペンハイマーは当時、知性もリーダーシップもあり
 テラーは彼に憧れていたそうです

 二人の議論は「Mental Love Affair」(知的な情事)とまで呼ばれた
 ジャーナリストによれば
 「テラーはオッペンハイマーの科学的な総合力にひかれ、
  オッペンハイマーはテラーの科学的な発想力にひかれた。
  二人はお互い求めあっていた」

 ラブ・アフェアってのもスゴい表現ですねぇ…
 熱烈に愛し合う男女と同等の絆なんですね。

○原子爆弾の開発
 1943年、マンハッタン計画の面々は、
 ニューメキシコのロスアラモス研究所に拠点を移す
 オッペンハイマーは
 「水爆開発は時期尚早、まずは原爆技術を確立させてから」
 と判断し、水爆開発は当面見送る方針を決めていた

 テラーはオッペンハイマーに裏切られた気がしたそうです
 やる気をなくし、仕事もせずピアノに没頭

 テラーを知る人によれば
 「テラーは感情的な人間、
  自分が間違っていると認めたことはない」
 精神的には幼く、自己中な人だったみたいです

 オッペンハイマーは仕方なく水爆開発の小グループを作り、
 そのリーダーにテラーを据える
 オッペンハイマーとしては彼を近くに置いて、
 彼の才能を生かすのが得策と考えたようです

 それでもテラーはご不満だったらしい
 「みんなが1つの目的に向かっているなかで、
  自分だけ離れて働くのは寂しい」

 …たしかに、テラーの態度は思い通りにいかないから拗ねてる子供そのまま、
 形だけでもテラーの顔を立てるオッペンハイマーの方が政治力があるかな。

 1945年7月、オッペンハイマーのチームは原爆実験に成功
 同年8月には日本の広島、長崎に投下された

 テラーとしては
 さあこれで水爆だー!と思ったみたいですが
 チームとしてはこれでミッション終了ということで、
 ほとんどの科学者は研究所を去ってしまった
 テラーはやるせない気持ちだったようですが、
 オッペンハイマーも辞職してしまい
 彼も仕方なくロスアラモスを離れる

○解説
 次はスタジオでの解説になります
 進行は武内陶子アナ、
 今回の解説は池内了氏(総合研究大学院大学の方、物理関係でよく出ておられます)
 笠田竜太氏(京大のエネルギー理工学研究所、核融合の研究者)

 笠田氏は核融合の研究者ですが
 「なぜ核融合の研究を?」
 という質問に
 「小学校の授業で、星の内部で核融合が起きていると聞いたから」
 武内アナが「そんなの私たち習ったんですね」
 と言ってましたけど私も覚えてないな(笑)
 彼によれば
 「核融合も、まだエネルギーを産み出すまでは行ってない」
 彼は若い研究者ですが、
 自分が現役のうちに目処がつけば、くらいのレベルなんだそうです

 武内アナ
 「科学者にとって、無限とは魅力的なんですかね?」
 笠田氏は
 「共感はできないんですけどプロセスに魅力を感じるのは理解できます」
 池内氏は
 「科学者にとっては魅力的でしょうね」

 それからオッペンハイマー氏との「知的な情事」については、
 池内氏は
 「現実性があるかは置いといて、議論は知的なトレーニングとして面白い」
 笠田氏は
 「科学者ってのは一人で考えることが多いんですけど、それだと行き詰まる。
  でも議論によって相手を自分の鏡、増幅する鏡として見ているうちに、
  新しい考えがまとまってくるという経験はある。
  それは女の子とデートしているとき以上の経験ですね」

 私も研究ではないですが、
 他人と話をしているうちに、
 頭に何となくあったものが刺激を受け口から出て形になり、
 自分でも話しながらそのアイデアに半分驚いている経験がたまにあるので、
 その感覚に近いのかな~と思いました。
 芸人さんがネタ思いつくときとかもそんな感じなのかな?

○冷戦時代、ソ連の脅威
 第二次大戦後、オッペンハイマーは戦争を終わらせた英雄となる
 一方テラーはただの研究者

 そんな中、1949年、ソ連が原爆実験成功
 戦後からわずか4年でアメリカと並ぶ

 これを聞き、テラーは恐怖に近い感情に囚われたそうです
 「ソ連はすぐに、水爆開発にも成功してしまうに違いない」

 彼には共産主義へのトラウマがあったそうです
 彼が11歳のとき、ソ連の影響で
 彼のいたハンガリーで共産主義政権が成立
 企業国有化などが進められ、反対した人は投獄された
 この恐怖体験は強烈だったらしい

 (あとでウィキで調べたら11歳のときの話はもう少し複雑で、
 ハンガリーに誕生した共産党政権の影響で、
 弁護士だった父親は失職、一家は困窮に陥っている

 わずか5ヶ月でこの政権は将軍により倒されるが、
 倒されたハンガリー共産党のリーダーや党員の多くがユダヤ人だったことから
 ハンガリー国内に反ユダヤ主義が起こり、
 ユダヤ系の家庭だった一家は追われる形で、彼が18歳の時にドイツに移住したそうです

 つまり共産主義にも迫害されたがそれだけではない
 反ユダヤ主義にも迫害されているみたいです

 また、彼は生涯反共産主義一色ではなく
 ドイツでの大恐慌時代には、
 資本主義の崩壊を目にし、共産主義にも興味を示していた時期があったみたいです。

 しかしその後友人がソ連政府に逮捕されたり
 スターリン体制下の理不尽な裁判などを描いた小説などの影響により
 共産主義への嫌悪感を強めていった、とのことです)

 ジャーナリストによれば
 「テラーは多感な思春期に不安定な状況に置かれたため
  安定を求めて強い力を得ようとした、
  彼にとってはそれが科学だった」

 彼は当時の行政の科学部門トップだったオッペンハイマーにその気持ちを訴えたそうです
 しかしオッペンハイマーは「頭を冷やせ」といい、何もしなかった

 その上オッペンハイマーは水爆について、
 「水爆は大量殺戮兵器、人類全体への脅威」
 という見解を示した

 これにテラーは激怒したらしい
 「技術を使用するかを決めるのは、科学者のすることではない」
 科学者は行けるところまで技術を進めるべきだ、と考えていたらしい

 この考え方の違いは、オッペンハイマーへの憎しみとなっていった

 しかし社会は変わっていく
 1951年、トルーマンがソ連に対抗するため水爆開発を決定
 テラーは開発委員長に任命されたそうです

○解説
 池内氏は
 「彼にとっては共産主義は幼い頃からのトラウマのようなもの、
  最強の兵器でやっつけなければ、と考えていたんですね」
 とテラーの気持ちを代弁していました

 武内アナの
 「科学者にとって、社会的な要求は重要なんですかねぇ」という質問には
 笠田氏は
 「ノーベル賞など、ある分野が脚光を浴びて研究が進むことはありますよ」
  科学は社会の要求とは切り離せないそうです
 池内氏は研究費との絡みを指摘、
 特に軍事が絡むと、国はいくらでも予算を出すそうです
 「でもこれは、最初の段階で止めないといけないですね」

 それから、
 「テラーは先を進むのが科学者の使命、と言っていましたが…」という質問には
 笠田氏は
 「それは否定できない」
 しかし池内氏は
 「科学者は結果責任、倫理的責任を問われるべき」と話していました
 これに対し笠田氏は
 個人の人間性に期待するのも限界がある、とし
 「特に科学者は純粋にやる人が多いから周りが見えなくなってしまう、
  だから社会の裏付けがあれば何でもやってしまう」
 と話していました

 本来はそこは、科学以前に、人間として教育されるべきことなんでしょうけど…

○水爆の開発
 水爆開発でテラーが目指したのは
 広島で投下された原爆の100倍の破壊力

 最初は原爆の高熱を使い、核融合反応を起こそうとしたそうですが、
 緻密な計算の結果、
 原爆のエネルギーでは破壊力が維持できないと分かった

 しかしそこに突破口を与えたのが同僚の数学者
 原爆の爆発で、容器の内部に圧縮状態を作るアイデアを出す

 テラーはそこから閃きを得て、
 外から核分裂を起こし内部を圧縮させ
 その内部でもう一度核分裂を起こさせることで、莫大な爆発の力を得ることを考えた

 テラーの設計は完璧で、みんなその実用化に突き進んだそうです
 ある物理学者は
 「普通、武器の開発は称賛されるべきではないが、
  テラーの設計は天才しかなし得ない偉業だった」

 その証拠に、
 かつての友人で水爆開発は拒否した物理学者ハンス・ベーテは
 「核分裂の発見に匹敵する」 、
 水爆反対を表明したオッペンハイマーまでも
 「この設計は技術的にとても甘美」
 と、みな倫理性を抜きにして称賛した

 しかし1951年9月、
 水爆実用化の段階で、テラーは責任者から外される
 これは彼の人間性の問題だそうで
 当時のロスアラモス所長は
 「彼がリーダーを続けていたら、職員の2/3がやめていただろう」

 それを示すエピソードとして
 彼は仲間とアイデアを数式化していたとき
 「君たちはこのまま徹夜で作業してくれ、
  私はこれからピアノをひいて、家族と食事をしなくては」
 と立ち去り、
 次の日彼は、徹夜作業した仲間を労りもせずお詫びもせず、
 一人ご機嫌だったらしい

 当時開発チームにいた人は
 「彼は自分がリーダーだと思っていたが、その資質はなかった」
 みたいなことを言っていました

 彼はその決定後、1週間後にロスアラモス研究所を辞職したそうです

 1952年11月、ビキニ環礁にて水爆実験が成功
 彼はカリフォルニアの地震計でそれを知り、
 「It's a boy」
 とロスアラモスに打電したそうです

 私は意味が分からなかったんですが
 これは「男の子が産まれた」という意味で、
 「私が水爆の父親だ」と言いたかったらしいです

○解説
 「彼のアイデアは、オッペンハイマーも称賛していましたが…」という質問に
 笠田氏は
 「理論的に不可能だったことが新しいアイデアでできたというのは、
  どういうものかは抜きにして、
  科学者にとっては称賛すべきことなんでしょうね」
 「たぶん嫉妬も覚えたでしょう」とのこと

 池内氏は
 「純粋に、技術的に考えればたしかに素晴らしい。
  科学者ってのは子供みたいなところがあるから、
  技術的に困難なことをクリアできたのは純粋な喜びだったんでしょうね。
  最新のオモチャを子供がねだるようなもの」

 さすがにこの例えには
 「武器でもおもちゃなんですか…」と驚く武内アナに
 笠田氏は
 「彼は完成させることだけが目的で、
  どういう使われ方になるかは興味もないし、想像すらわかなかったんでしょう。
  だからこそ自分の子だ、とか言った」
 池内氏は
 「前人未到の領域に踏み込むのはある意味誇りですよね、
  科学者は世界一とか世界初に弱いんですよ」

 武内アナは「でも現実としては、はかりしれない影響がありますよね…」
 池内氏は
 「そこはそうです、
  ゼロから1になったらもう戻れない。
  技術的にブレークスルーが起きて、
  その知識のもとに悩むとなると全く新しい世界になります」

 影響が大きい技術ほど、先へ進むべきか熟慮すべき、ということですね。

○オッペンハイマーへの裏切り
 テラーは責任者を外された際、
 オッペンハイマーにハメられたと思ったようです

 やつは自分に反対している、という思い込みが強く
 オッペンハイマーに憎しみを持っていた
 ジャーナリストさんは、
 その理由として妬みがあったのでは、と指摘しています

 オッペンハイマーはハンサムでカリスマ性もあり、
 みんなに崇拝されていた。
 テラーは「自分も優れているのになんで彼と同じように尊敬されないのか」
 と考えていたらしい
 自分の人間性の無さに自覚がないあたりがイタいってことかしら…

 しかし、そのオッペンハイマーに「仕返し」するチャンスが巡ってくる
 1953年8月、ソ連が水爆開発に成功
 すると、オッペンハイマーにソ連へのスパイ疑惑が起きたそうです

 当時原子力政策顧問だったオッペンハイマーの処遇を決める聴聞会が開かれた
 その席では、多くの科学者がオッペンハイマー擁護の立場だったそうです

 テラーもその席に呼ばれ、
 発言する前、友人のハンス・ベーテに
 「不利な発言をすべきでない」と忠告されたそうです
 (ベーテは、テラーが孤立するだろうことを案じていたらしい)

 しかしテラーはその忠告を無視した
 1954年4月、テラーは証言台に立ち
 「オッペンハイマーは理解予測な行動を取る、
  重要な事柄はもっと信頼できる人にゆだねるべき」
 と発言したそうです

 テラーの証言が決定打となり、
 オッペンハイマーは公職を追放される

 しかしオッペンハイマーを追い落としたテラーは
 ほかの科学者たちから冷遇されるようになる
 これは彼にとって辛いことだったようです
 「亡命者である彼にとっては、
  科学者の世界は家族や友人みたいなもの、彼の全てだった」
 
 後に「オッペンハイマーを破滅に追い込もうとしたのか」と聞かれ
 「違います、打ち砕かれたのはこのテラーです」と答えたとか

○解説
 笠田氏はテラーの受けたショックについて
 「科学者にとっては、研究を否定されるのは全否定に等しい」
 と表現していました

 また、池内氏は背景として
 「彼の共産主義に対する憎しみはすごかった、
  オッペンハイマーは若い頃共産主義を支持していた時期もあって、
  それが聴聞会でも明らかになっていくんですけど
  それがテラーの憎しみを増やしたところがある」
 「それから当時は共産主義への赤狩りみたいなのがあって、
  そこにテラーも利用されたんですね」
 つまり、そもそもオッペンハイマーは共産主義ではないかという疑いがあり
 周りは何か追放する理由が欲しかった、
 そこにテラーの憎悪が利用されたという感じですかね。

○晩年は政治家と軍人に囲まれる
 さて科学者から村八分にされたオッペンハイマーの周りには
 軍人や政治家が集まるようになる
 軍人たちはテラーを
 「核兵器の神」と崇めてくれたそうです

 政府も軍事への予算を増やし、テラーの発言力はます

 しかし世界ではビキニ環礁での水爆実験で、1万人の被爆者が出たことが明らかになり、
 原水爆反対の動きが強まる
 6億7千万が反対署名したそうです

 そこで核の平和利用をめざす
 「プラウシェア計画」が立ち上がる
 この計画は1960~70年代のもので、
 核爆発で運河を作ったり、地下資源を掘ったり…

 テラーもこの計画に加わり、多くの実験を行うが
 その過程で多くの放射性物質が出された
 彼はそこは考慮しなかったようです

 ついに世論の反対が強まり、1975年に計画は中止

 (あとで調べたら、
 プラウシェア計画は「平和的核爆発」
 つまり土木工事や採掘などに、
 核爆発を平和的に使う計画の一環で
 ソ連でも行われていたようです。

 アメリカでは放射線漏れの問題が解決できず、
 1977年には予算が打ちきられていたようですが、
 ソ連では、国際的な批判を浴びる1980年代後半まで行われていたようです

 国際的には「平和的核爆発」は
 1968年時点では、核拡散防止条約でも認められていたが、
 2000年時点では、包括的核実験禁止条約に抵触する、
 として現在は禁止されているとのこと)

 その後、軍事としてはスターウォーズ計画(戦略防衛構想)も持ち上がる
 80年代の冷戦の最中レーガン政権で考えられた計画で、300億ドルが投じられたという

 テラーは晩年も科学者との関係は戻らないまま、2003年9月、95歳で亡くなる

 ジャーナリストさんは、
 彼は晩年精神的に幸せだったかどうかは疑わしい、という見方をしています
 「彼は晩年、軍人や政治家に天才とあがめられてはいたが、
  科学者たちと知的な議論をすることはなかった、
  彼にとっては辛かっただろう」

○解説
 池内氏は
 「科学者は、暴走してしまうと自分を誉めてくれる人としか付き合わなくなる」
 とのこと
 特にテラーは、色んな議論をしてアイデアを生んでいくのがこの人の道なのに、
 それとは逆の道を歩んで引き返せなくなっちゃったのだろう、とのことでした

 笠田氏は
 テラーは水爆を開発するまでは一流の科学者だったが
 それ以後は水爆のアイデアをみんなに認めてもらうためのことしかできなかった、
 プラウェア計画もその一環だったのだろう、
 と話していました

 番組の冒頭で、
 テラーは後に、
 水爆開発をして後ろめたさはないかと聞かれ
 「そんなもの感じたことはない、
  無限への挑戦は科学者にとって魅力的な冒険なのだ」
 と答えていた、という話が紹介されています

 池内氏は
 「彼のような人が政策を牛耳った事実を反省しなくてはいけない、
  それが起こり得ない社会にしないと」
 笠田氏も
 「科学者は自分の発見発明について、利益を強調してリスクを過小に表現しがち、
  科学と縁の無い人とこそ、科学者は対話の場を作り、
  一人の人間として恥ずかしくないよう、ちゃんと説明できるようにしていきたい」
 ということを話していました

○テラーが壊してしまったもの
 ナビゲーターの吉川さんが最後の方で
 「核開発はまだ続く…
  しかし壊してしまったものは二度と戻らない」
 と呟いています

 しかしテラーが本当に壊してしまったものとは何か…
 ということを示唆するエピソードでしめくくっています

 オッペンハイマーに一撃を与えたテラーですが、
 和解の道は模索していたそうです

 オッペンハイマーがフェルミ賞を受賞したとき、
 テラーはオッペンハイマーに手紙を書いた
 ロスアラモスで議論していた思い出、会ってまた話したい、
 これからの幸運を祈っている、
 ということなどを綴った長い手紙だったそうです。

 しかしそれに対するオッペンハイマーの返事はたった二行
 「手紙をありがとう
  大変嬉しく思いました」

○感想など
 オッペンハイマーについては
 「Outliers」という本(マルコム・グラッドウェル、邦題「天才!」)という本に少し記述がありまして、

 彼も一筋縄の人間ではなく、
 若い頃には精神病を病んだり、上司に毒を盛る事件を起こしたとか…
 (仕事や上司とあわずノイローゼ状態だったらしい)
 ですので、二度と社会的に立ち直れない危険もあったのに、
 後にマンハッタン計画に抜擢されたのは彼の人柄のおかげ…
 みたいな話が書かれていました

 彼は裕福な生まれで
 人に交渉したり、人の上に立てるような経験を子供の頃から与えられて来たのだそうです。
 事件を起こしても救われたのは
 そんな彼の能力を抜擢した人(名前忘れたけどたぶん軍人)が見抜いたからだろう。と。

 ちなみに、オッペンハイマーの生涯も気になったので少し調べましたが
 数奇な運命を辿ったためか、
 本やドキュメンタリー映画などになっているようです

 本は、「オッペンハイマー 「原爆の父」 と呼ばれた男の栄光と悲劇」上下巻
 ドキュメンタリー映画は「The day after Trinity」

 読んだことないので書評などを流し読みしますと
 彼の公職追放が決まった聴聞会?裁判?では
 共産主義との関係だけではなく
 彼の女性関係なんかも暴露されてしまい
 妻はアル中になってしまったとか…
 (まぁ、たしかに写真見たらイケメンだしねぇ)

 公職追放決定後もFBIに監視された生活で、
 私生活は最期まで大変だったようです。
 (ただし量子力学では功績があり、
 亡くなる2年前にフェルミ賞を受賞されています)

 ところで、彼はマンハッタン計画で原爆開発に成功し
 社会的地位は上がるわけですが、
 彼はテラーとは違い、開発成功の高揚感は無かったみたいです
 というか、テラー以外の研究者はそうだったのかもしれない。

 ドキュメンタリー映画について書かれた以下のサイト
 http://nowsharp.com/archives/1147 によれば、
 そもそもオッペンハイマーが核爆弾開発をしたのは
 ファシズムから西洋文明を守るためだった、という見解があります
 つまり悪に立ち向かうために仕方なく、ですね。

 当時の研究員たちはというと
 戦争終結への期待と、危険な兵器を産み出す怖さの混じった複雑な思いだった。
 オッペンハイマーの弟さんなんかは「成功しても失敗しても不安」と述べていたそうです

 更に日本へ実際に原爆投下されてしまった後は、関係者は
 「戦争終結に貢献することができた」とは思いつつ
 「もたらした結果に衝撃を受け、恐怖を覚え、
  二度とこのようなことをしてはならないという思いに襲われた」とあります。

 つまりみんな、
 必要悪として開発はしたが、
 人道的な後ろめたさ、してしまったことへの怖さはあったということです
 (それが普通だと思うが)

 オッペンハイマーも深く後悔しており
 戦後には政府の意に反し、
 核の管理、核の乱用防止のための体制作りを訴えた
 たぶん反政府的な立場を取ったことが後に政府からターゲットにされることにつながるんだろうけど、
 でも人間としてはマトモな流れでしょう。

 こう見ていくと、
 オッペンハイマーは、テラーとは純粋に科学的な議論は楽しんでいたけど
 生きるよすがは全然違ってたということになりそうです。
 二人のラブ・アフェアも、
 オッペンハイマーにとっては科学に限定したことだったけど
 テラーは価値観の一致も求めていた、
 つまりある意味テラーの片想いだったのかもしれません…

 晩年語り合えたとしても
 そもそもの価値観が違うので
 彼と真の交流が出来たかどうか…

 それから、晩年のテラーについてジャーナリストは
 「彼は知的な議論は出来ず寂しかったのでは」
 という見方をしているが、
 うーん、私はちょっとそれは希望的観測というか、センチメンタル過ぎかな~と思いました。

 人間って変わるし
 今に合わせて都合よく記憶を変えてしまう生き物なので、
 彼も晩年政治家とか軍人にちやほやされてたら
 「あー、若いときは科学に狂ってたな~、
  俺も若かったよねぇ、何であんなに熱中してたんだろ」
 てな具合に
 科学への情熱をもう過去のものとして、押しやってしまうんじゃないかなぁ…

 それで名誉もお金もあったなら、
 それなりに幸せになっちゃうんじゃないかなと思います。
 あれだけ数学や物理の才能があった人なので、そうあって欲しくはない~と他人は思うかもしれないが
 人間ってそんなもんじゃないかなぁ。

 まあでも「それでいいのかお前の人生」とは聞きたくなる。
 彼の生涯の黄金期は、ロスアラモス研究所時代だったのかもしれない。
 平和な時代なら、オッペンハイマーと議論して
 もっと素晴らしい量子力学理論を生み出していたかもしれないですね。

 子供を持つ親としては
 どんなに才能があっても、他人の痛みが分からない人間には育てたくない、と思う。
 だんなもよく
 「どんだけ頭良くても最後は人間力よ」
 と言いますけど、いい大学出ていても人間的に問題…という人は実際苦労している。
 本人にとっても幸せではないしね。
 科学教育する前に、倫理観を育てる経験が必要なのかなとも思いました。

というわけでだらだら長くなりましたが、今回はこの辺で。
 

 
 
posted by Amago at 12:00| Comment(0) | テレビ(科学) | 更新情報をチェックする