2016年07月18日

「HDDにアクセスできません。録画を中止します」

「HDDにアクセスできません。録画を中止します」

先日、我が家の録画機能付きテレビが録画できなくなりました…
今回はこのことについて。

ちなみにテレビの機種は日立のWoooです。

症状としては
・ある日突然録画できなくなった
・録画しようとすると
 「HDDにアクセスできません。録画を中止します」と表示され
 勝手に録画をやめる
・録画はできないが、すでに録画したものは見られる
(ちなみに、内臓のHDDで、外部接続のHDDは無い)

で、トリセツを見たところ
「HDDの空き容量がゼロだったら録画できない」
「HDDに録画されている番組が999以上だと録画できない」
とありました。

確かにうちは、子供が録画したものを何回も見たがるので、
かなり録画されたものがたまっています。
(画質を落として録画したり、
 折を見てあんまり見てないものを削除したりはしているのだが)

空き容量はまだかなりあったけど、
それでももっとザクザク削除しました。

しかし録画はできず…

そこでググったところ
・HDDを初期化する(データはすべて消える)
・ダメならHDDを外して付け直す
・故障依頼

などと書かれていました。
体験談を読んでいると、HDD初期化してもダメで修理依頼、という人も結構いる。
ちょっと悲観的になり、
子供にも「データ全部消えるかもしれんけどいい?」と聞いていました。

しかし、よくよく読むと、修理依頼の人は再生もできない、というケースが多い。
つまりHDD自体がご臨終、というケース。

うちの場合、録画したものは再生できるので、
HDDは壊れていなさそう。
というより、データを削除したのに、HDDがそれを認識してないっぽい。

だんなは「うーん。まあ、ダメ元でテレビ本体の電源消して、あとは様子見したら」
と言ってました(ちょうど不在だったので電話で聞いた)
そうか、元電源を消すという手があったことを忘れていました。
パソコンでも元電源ブツっと消してリセットしたら直ることがある。

というわけで、元電源を消したのだけど…
ダメですね。

でもよく見ると、電源をそのまま消しただけでは録画の表示が消えないのです。
(詳しく言うと、元電源のところにランプが二つあり、
 一つは電源のオンオフを示すランプで、
 テレビが付いているときは緑、リモコンの電源を消したら赤、本体の電源を消すと完全に消える。
 もう一つは録画のオンオフを示すランプで、
 予約が入っていると赤、録画しているときは緑、本体の電源をそのまま消してもこのランプは消えない)
なので元電源を長押ししたら、ランプが全部消えました。

で、もう一回テレビの電源を付けてから、
録画を試しました。
そしたら、テレビがHDDを認識しなおしまして、
これにより録画が成功しました。

まあ、要するに
テレビの本体の電源を長押しして、HDD認識をリセットしたら録画できた。
ということになりました。

HDD本体はご臨終ではなかったので良かったようです。
しかし、やはり録画したものはこまめに削除しないと、
HDDは不安定になってしまうようなので
(パソコンもハードにデータをためすぎるとフリーズしやすくなるのと同じ)
見たらすぐに消したほうが良さそうです。

とりあえずデータ全削除にならなくてよかった。
子供はデータ消えるかも、と聞いて半泣きだったので…
あと録画もできるようになり、ほっとしました。

録画はできないけど再生はできる、
というケースはググっても出てきていなかったので、
一応メモ書きとして記しておきます。

というわけで、今回はこの辺で。



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2016年03月11日

人は死ぬのがなぜ怖いのか

先日、子供が
「人は死んだらどうなるのか、考えたら怖い」
と聞いてきました。

そのとき、私自身も気になったので
「人間が死ぬのが怖いと思うのはなぜなのか?」
を改めて考えてみました。

更に、死への恐怖について、
自分なりにどう消化してきたかも考えました。

今回はそのことについて。

●死が怖い理由

哲学者さんによると
死が怖い理由は大きく分けて4つある、
と前回書きました。

1:肉体的苦痛に対する恐れ
  (死ぬとき苦しんだり、痛い目にあうのではないか)
2:別離に対する恐れ
  (みんなと離れて孤独になる)
3:喪失に対する恐れ
  (財産、思い出などを失う)
4:死後への不安
  (死んだあとどうなるか分からない)

ちなみに、私が思春期の時は何が怖かったかというと…

・死んだらどうなるんだろう?という漠然とした不安(4に近い)
・死んで何も無くなっちゃうとしたら、今までしてきた頑張りとか経験とかは何だったの?という虚しさ(3に近い)
・死ぬとき苦しいのかな、
というのもあったかもしれない(1に近い)
他にもあったかもしれないけど、こんな感じでした。

●先人の知恵

しかしこれらの恐怖については、
先人が色々と知恵を出してくれているように思います。

例えば…
1死ぬときの痛さや辛さへの備え
 医療の発達やターミナルケアなどは、
 病気などで痛みを伴うとき、死ぬまでの苦痛を和らげてくれる。

 キューブラー・ロスの「死の瞬間」
 立花隆の「臨死体験」
 などの死に際の心理状態に関する研究なども、参考にできると思います。

 私はあんまりがっつり読んだことはないけど、前者は患者が混乱を経て死を受け入れるまでのプロセスを研究されていたような。
 後者は死にかけて戻ってきた人の話とか、幽体離脱とかの話も出てくるのでちょっとずれてるかもしれないが、
 とにかく死を目の前にすると人はどうなるか、という先例を見ることができます。

2一人になる恐れへの備え
 宗教では、お盆など、死んだ人とこちらの世界が行き来できる、という儀式がある。
 外国のハロウィンも、死者が戻ってくるという意味ではお盆と似たようなものらしい。

 これは死者の霊を慰めるため…とか言いますが、
 私は実際は生きている人の安心感のためなんじゃないか…と思います。
 自分が死んだ後も、同じようにみんなとまた会えるんだな、と安心するための儀式というか。

3失うことへの恐れへの備え
 お葬式などで、あちらの世界に持っていきたいものを一緒に燃やす(埋める)という儀式がある。

 これも亡くなった人が寂しくないように…とか言いますが、
実際は儀式を行う(生きている)人の安心感のためではないかと思う。
 自分も死ぬとき大事なものを持っていける、と信じて安心できる効果があるように思う。
 
 また、遺言などで自分の財産を誰かに譲る、
 自分史を書き残しておく、
 と言う行為も、
 誰かに残すことで、自分や自分の経験、記憶は失われないと思える効果があるのかもしれない。

4死んでからどうなるか分からん不安への備え
 どの宗教でも、死後の世界とか、転生、極楽などの考え方があるように思います。
 これは、死んでからは楽しい世界に行けるんだ、と想像することで恐怖を和らげる効果があるように思う。
 (もちろん、極楽に行くために生きている間にいいことをしましょう、という戒めもあると思うけど…)

 死んだら人間がどうなっちゃうのか、誰にも分からない。知りようがない。
 どっちみち分からないなら、明るい方向に考えた方がいいのかもしれないですね。

●私の考え方

ちなみに、私自身は子供の時よりは死ぬのは怖いとはあまり思わないです。
何でかなぁ…と思ったけど、
突き詰めて言えばそれだけ開き直れるオバサンになったってことね(笑)

それぞれの恐怖への現在の考え方を書いてみます。
1死ぬときの苦痛への恐怖
 これは無いといえばうそになるが、そこまで深く考えてない。
 これは、出産という痛みを経験したのも大きいかも。
 あと若いとき、一年くらい毎日うつ状態で泣いていた経験も大きいかも。

 つまり、
  生きてたって辛いときは辛いのよ。
  死ぬときも辛いかもしれんけど、生きてる間に受けた辛さより軽いかもしれないじゃない。
  それに、もし辛いとしたって、
  それは           ずーーーーーーーーーっと続くわけじゃなくて、いつかは必ず終わる。
  いつかは終わると思ったら何とか耐えられそうに思う。

 初めての出産のときは陣痛が一日半くらい続き、
 病院の先生がもう帝王切開しようかと迷っていたくらいで、
 最後のひとふんばりで上の子が産まれてきました。
 その間、先生が迷っていたこともあり、
 この痛さはいったいいつまで続くんだ、と思っていた記憶があります。
 そのおかげか、二人目のときは痛いけど耐えられた。いつかは終わると分かっていたから。
 死ぬときの辛さと出産の辛さは比較になるのかわかりませんが、
 いつかは終わると分かっていたらなんとか耐えられそうに思う。

 うつ状態だったときも、毎日毎日勝手に涙が流れてきて、
 私は一生このままなんだろうか、死んだ方が楽なんじゃないかと悩んでいたけど、
 カウンセラーの方に「必ず終わりはきます」と断言されて希望が見えた記憶があります。

 だから死ぬときの描写にも、苦しいけどお花畑が見えて…とかいうのがよくあるけど
 (想像だから本当かは分からんけど)
 辛いけど、それが終わったら安らかな世界に行ける、ということだと思う。

2失うことへの恐怖
 失うものがあんまりないので、そこについては別に怖くないです。
 財産は持っていけないし、もともと執着はあまりなし。
 それから私の経験とか言葉、思い出とかでも、
 意味があると思ってくれる人がいれば、それは私が死のうがその人の心に残るのだろう。
 むしろ生きている元気な間に、意味あるものを他の人に残しておくべきだろう。
 もし誰の心にも残らなくても、まあそれはそれでひっそり死んでもいいかと割り切っているかな。

 逆に生への執着というのはあって、
 誰かを傷つけた思い出を残して死ぬのは嫌だし、
 みんなに笑顔を残して死にたい。

 生きている間にできる経験はしたいし、新しいものは見たいし、美味しいものは食べたいし…
 死ぬときにあれやっとけばよかった、という悔いは残したくないかな。
 でもそれは死への恐怖というより、
 今日を精一杯生きようというモチベーションにつながっている気がする。

3孤独になる恐怖
4死んだらどうなるか分からん恐怖
 そもそも孤独があまり苦にならない性格だし、
 別れより出会いへの興味が強いので、孤独への不安はあんまりないかなぁ…。

 それから、死後どうなるのか、分からんものについて悩んでもしょうがないかなと思っています。

 スピリチュアル系の本とかを読んでいると、
 死んでからもあの世みたいな別の世界があるとか、
 肉体は無いけど意識だけの世界があるとか、
 そこでは肉体的な苦しさや空腹感などは無いとか、
 集合意識みたいなのに統合されて孤独感はないとか
 (孤独感や疲れや辛さなどは肉体があるからこその体験らしい)
 そういうことも書かれている。

 それが本当か分からないし、
 ただのおとぎ話なのかもしれないのですが、
 そういう意見を聞いていると、
 そもそも死んだら辛い世界に行くのか?
 孤独な世界になるのか?
 その前提がどうなのよという気分になってくる。

 なので、
 死んだらまた違う世界に行けるかもしれない、
 新たな出会いがあるのかもしれない
 (もしくは自我とか個がなくなる世界なのかもしれない)
 全く想像のつかない世界に行けるのかもしれない
 などと、楽観的な方向に考える方がいいのかなと思っています。
 想像するだけなら自由ですし。

 まぁそんな風に考えても、
この人生はすぐには止めたくないですけどね…。
 生物学的にも、卵子と精子が出会って健康に育って生まれてくる確率って奇跡に近いのです。
 そんな貴重な経験をすぐに捨てるなんてもったいない。

他にも、もう少し離れた視点で考えました。
・死ぬ恐怖は本能的なもの
 そもそもなぜ死ぬのが怖いと感じるのか。
 突き詰めて考えれば、生物としての本能だろう。
 暗闇が怖い、高いところが怖いのと同じようなもので、
 死んでもいいやとなったら生き延びられないから、死は怖いと脳みそにプログラムされているのだろう。
 なので怖いという感情が起きるのは仕方ない、そうなっちゃってるんだと受け入れると、
 少し気が楽になるように思います。

・どっちみち死ぬんだから悩んでいる時間がもったいない。
 死ぬのが怖かろうが怖くなかろうが、どのみち人は死ぬ。
 そして死ぬまでの時間は限られている。
 悩んだり怖がったりしている暇があるなら、
 その分すべきことがあるのではないか。
 やりたいことをやっておく、
 身近な人たちを大事にする…

 数年前、私の知人がガンで亡くなりました。
 診断を受けたとき既に進行していたようですが、
 そのときから一年半、亡くなるまでブログで闘病記を綴っておりました。

 ブログには治療の話もありましたけど、
 病状の許す限り好きなものを食べ、
 趣味の山登りもして(というか健康な人でもキツイ本格的なトレイルランですよ!)、
 全力で生きている姿が印象的でした。

 もちろん本人には死に行く恐怖などはあったのかもしれない。
 まだ若いしお子さんも小さいしまだ未練はあっただろう。
 でも泣いたり嘆いたりする暇など無いとばかりに、
 最善の治療法を探し、
 体の許す限りやりたいことをやり切った姿には、
 何か教えられるものがありました。


とりとめないですが、死の恐怖への私の割りきり?を一応まとめます。

・死ぬのが怖いのは本能的にプログラムされているものなのでしょうがない

・死ぬ間際の苦痛はどんなんか分からんけど、必ず終わりは来る

・死後どうなるか、孤独になるのかはいくら考えても分からない。想像するのは自由なので、なるべく明るいあの世を考える

・どのみち死ぬ運命は免れず、
生きている時間は限られているので、
 生きているうちにやれることを全力でやる。
 回りの人に何を残したいか考える

とにかく死ぬときには、周りの人に笑顔を残したいですね。
親戚の方のお葬式で、
みんなが
「ありがとう」
と言い合っていたことがあったそうですが
(そういう人柄のおじいさんだったらしい)
私もそうありたいものです。

長くなりましたが、今回はこの辺で。

posted by Amago at 07:28| Comment(0) | 人生 | 更新情報をチェックする

2016年01月02日

初日の出よりも、立春の朝日を拝むべし?

新年明けましておめでとうございます。

主婦の大晦日と正月は忙しい…
今年から義母さんにおせちや雑煮作りを任されてしまい、
(去年まで義母さんでした)

「なくてもいいよ」
と言ってくれたのですが、子供にもお正月を教えた方が良いだろうなぁと思い、
一応おせちやらお雑煮など作っておりました…。

実際は、上の子はきんとんと餅、下の子はだて巻きをひたすら食べて、他はほとんど食べず…。
まあでも昆布巻きとかレンコンとか田作りとかくわいとか、存在だけでも分かればいいかなと。

そんなわけで大晦日は疲れて紅白も見ずに寝てしまいました。
しかし朝はやることも多いので、元日も早起きしましたよ。

せっかくなので初日の出を拝もうと思いました。
しかし、雲で隠れて見えず…
結局想像の中の朝日に拝みました。今年の目標を胸に。

しかし。
後で調べたら、正月よりも立春の朝日を拝んだ方が良いらしい。

今回はこの事について。

実は風水的には、正月よりも立春の朝日の方がパワーがあり、
浴びると金運アップにもつながるのだそうです


個人的には風水とかあんまり興味はないのですが、
昔から言われて今でも伝えられていることなので、それなりに効果はあるのだろう。
実際、1月より2月の方がお日様の力が強くて、イメージ的にも強そうな気がする。

でも何でだろう?
風水のページとかには、「そういうもの」という感じで、理由はあまり書かれていない。
そもそも正月ってなんだ?立春ってなんだ?と思い、いくつか調べました。

●そもそも正月はなぜ1月1日か
●立春とは何か
●立春の方が正月より朝日のパワーがある?

●そもそも正月はなぜ1月1日か
国立天文台のホームページ(質問3-7)1月1日はどうやって決まったの?

など、暦の話を調べましたが、
結局のところ、
少なくとも今世界で広く使われているグレゴリオ暦に関しては、

誰かがこの日を最初と決めたから1月1日が年の始まりになっている。

という結論になりそうです。
(身も蓋もない話ですが…)

グレゴリオ暦に関しては、私なりの解釈で書くと
・ローマの古代、農業用に農繁期の10ヶ月分のみの暦があった
 (そのときは年の始まりは3月だった)
・その後農閑期の2ヶ月が加えられた暦ができ、農閑期の初め頃が年初めとされた
・この暦だと毎年ズレが出て不便なので、カエサルが学者をよんでユリウス暦を作らせた
・その後更にズレを微調整した暦(グレゴリオ暦)が発案されローマ法王により採用された
 (このときなぜか春分の日が固定されたようです)

という経緯があるようです。
つまりはグレゴリオ暦の1月1日に関しては、あまり天文学的な意味合いはないらしい。

おそらく、そのとき世界を支配していたのがヨーロッパだったのと、
その暦が実用的で便利だったので、
それが世界の主流となったのでしょう。

世界の中心が別の地域であったり、
他に合理的な暦があれば、
年初めの日は別になったのかも…。

実際、世界には色んな暦があった(ある)ようで、
(世界の暦)
年の始まりも、
春分、冬至頃の新月、夏至頃の新月、などさまざま。
農業など実用的な、あるいは宗教的な理由があるのかな?
イスラム暦のように、太陽暦はフル無視で季節に関係なく年始めを決めている暦もあるようです。

それでも
月の満ち欠けから、新月や満月、
太陽や星の動きから、夏至、冬至、春分、秋分、
などの自然現象を基準にして暦を決めていることが多いようです。

ちなみに、
月の満ち欠けから決めた暦=太陰暦
太陽や星の動きから決めた暦=太陽暦

太陰暦だと、月を見たら日にちが分かる便利さはあるが、
一年スパンで見たらどうしてもズレができる
(月の公転周期と太陽の(見かけの)公転周期にズレがあるので)

なので、農業など一年単位で使わなければいけない場合、太陽暦が主流のようです。
もしくは太陰暦でも、うるう月を設けて一年のズレを調整している場合もある。
(「太陽太陰暦」というらしい)
マヤ暦なんかは、いくつかの暦を組み合わせて精密なものにしているようですね。

日本でも太陽太陰暦が使われていたようですが、
明治5年くらいにグレゴリオ暦が採用されて以来、今の1月1日がお正月のようです。

●立春とは何か
立春とは二十四節気の一つです。

二十四節気とはなにか?
中国や昔の日本で採用していた太陰暦では、
暦が実際の季節と毎年少しずつズレてしまい、農業や漁業などには支障が出る。
そこで実際の季節に合わせる節目として考えられたのが、二十四節気のようです。

大雑把にいうと、1年を24等分してそれぞれの節目に名前を付けた感じ。
具体的には、春の初めの啓蟄とか、冬の大寒など、天気予報ではお馴染みですね。

正確には、日にちを等分するのではなく、
黄道(太陽の天球上の動きを示した軌道)を24等分し、
太陽がその区分点を通過する日付に名前を付けるのだそうです。
(地球の公転軌道が楕円形なので、24等分から微妙にズレる)
なので、毎年節気の日にちは少しずつ変わります。

立春は冬至から三番目のところにあたります。

●立春の方が正月より朝日のパワーがあるらしい
風水のページなどには、立春パワーについてのことがよく書かれています。
正月よりもパワーがあるから、
朝日を浴びたり、衣食住の何か新しいものを買ったり、財布を新調したりすると良いらしい。

根拠はなにか?

そもそも占いって
「ここに星が来たら人の運気が変わることが多いから、今後もそうなるだろう」
みたいに、統計的に因果関係を決めているようなところがある。
なのでこれもそんな感じなのかな?
と思っていたのですが、
風水?易学?陰陽五行?的な観点から分析がなされたページがありました。
~立春を起点とする理由の運勢学的考察~

なるほどと思ったのでかいつまんで書いてみます。

中国の易などの考え方では、干支に方角や月日や時間を当てはめています。
例えば日本の昔の時間は干支で数えていたし(丑三つ時とか)、
今でも恵方巻など「今年は巽の方角」などと言います。

そして易とか風水などでは、
子を真北として、方角を15度ずつ24方位に等分し、
時計回りに干支を当てはめた方位盤が基礎となるらしいのですが、
ここに24節気を、冬至を真北(子)として照合してみると、
立春は24方位の艮(うしとら、丑と寅の間、東北)に当たるということです。

風水学上では、艮の位置が、陰から陽に変わる境目のようです。
細かく言うと子の位置で極陰になるのだが、
その後も子〜艮にかけて、陰の気が地上に及ぶ、
ということみたいです。

艮からは陽の気がだんだん入って来る。
二十四節気でも、立春が陽が入るスタート地点なので、
この時の気を浴びるとパワーアップできる、ということですね。

感覚的にも、立春にもなると太陽の力が強まってくる感じがして、分かりやすい気がします。
(主婦的には、洗濯物の乾き具合から、12月の日差しより2月の日差しの方が頼もしいことを実感する(笑))

ところで実際どうなのよ?
立春の日に朝日を拝んで、何か効果があるのか?

実際何かあった、という実例は聞かないですが、
いろんなページで

立春の朝日はパワーがすごい!
お財布も自分も朝日に当たると、その年一年の金運アップ!


などと書かれているので、そんな風になりそうな気になります(笑)

普通の初日の出も同じで、
新たにスタートを切るぞという心理的効果、
と考えると良いのかもしれません。

まぁ信じるかどうかは人次第ですが…
一年のなかでもう一度スタートを切るチャンスがある、
と考えるのも悪くないのでは?

私も、立春の日の出にも願いを込めようと思います。
(金運アップ!仕事運アップ!)
初日の出は見られなかったし。
ついでに、今年こそ財布を新調しよう。

今年は(も?)皆様にとってよいお年でありますように。

今回はこの辺で。


posted by Amago at 23:49| Comment(0) | 人生 | 更新情報をチェックする