2017年10月20日

「ここが知りたい! デジタル遺品 デジタルの遺品・資産を開く!託す!隠す! これで安心!」 古田 雄介 (著)

「ここが知りたい! デジタル遺品 デジタルの遺品・資産を開く!託す!隠す! これで安心!」
古田 雄介 (著)

最近聞くようになった「デジタル遺品」
人間いつ死ぬか分からんし、
考えねばならんなと思って読んでみました。

著者は「デジタル遺品研究会LxxE(ルクシー)」
という一般社団法人の理事をしておられるそうで
デジタル遺品に関する本など書かれているみたいです。

この本では
「デジタル遺品とは何か」
「デジタル遺品のリスク」
「遺族として、デジタル遺品にどう対応すべきか」
「自分のデジタル遺品を、生前にどう管理すべきか」
ということが書かれています。

優先順位をつけて、一つ一つすべきことを具体的に書いてあるので
分かりやすかったです。
それから、デジタル機器の環境は日々刻刻と変わっていくため、
今後想定されるリスクなどについても少し言及されていました。

印象に残ったところを書いてみます。
〇デジタル遺品とは何か
 大きく分けると
 ●オフラインのもの
 ●オンラインのもの
 二つに分けられて
 ●オフラインのもの は
  ・パソコン、スマホ、携帯に残っているデータ
   これは、文書やメールなどのテキストデータ、
   写真などの映像データ、
   それからパスワードのメモをここに保存している人もいるし
   ブラウザの履歴などもこれに含まれる

 ●オンラインのもの は
  SNS、ネット銀行などのオンラインサービスの中のデータを指していて
  ・SNS、ブログ、ホームページのコメント、
  ・ネット上に保存している文書
  ・ネット銀行やネット証券のアカウント、取引残高
  ・電子新聞、メルマガなどの配信サービスのアカウントや送られたデータ
  ・ネットショップのアカウント、購入履歴
 …などがあるそうです

〇デジタル遺品のリスク
 大まかにいうと
 ・本人でないと分からないものが多い
 ・パスワードが分からないと、ロックが解除しにくい
 ・コピーされて散逸している恐れがある
 ・パソコンなどのデータは劣化しやすい
 ・自分のパスワードを忘れる
 …などがあるそうです

 筆者は、デジタル遺品、というのを
 ネットの海にある島に例えていて、
 ネットの中にサービスの島があり、その島の中に自分のものがある、というイメージ。

 なのでほぼ屋外に放置された遺品と同じだそうで
 放っておくと個人情報を盗まれて家族に危害が…というおそれもある、としています
 (財布とか屋外に放置してたらマズイですものね…)

 ほかにも
 ・オンラインサービスは放置されてしまう
  ブログなどは基本、自分以外は誰も管理していないので、
  何年も放置され、広告や荒らしで好き放題にされてしまう恐れもあるらしい
  ただ、オンラインサービスは会社の利用規約に大きく依存するようです
  (そういえば、このseesaaブログも一定期間更新しないとアカウント削除される、
   という噂を聞いたことがあるが…)
  
〇遺族としての対応
 基本的に、最初にすべきことはパソコン、スマホ、USBメモリなどのデータ端末を探すこと。
 それから知り合いに出会ったら、SNSなどしていないか聞き出すこと。

 そのうえで、対応すべき優先遺品は
 ●オンライン預金、金融遺産
   紙や証券など、デジタル以外のデータから、証券口座、ネット銀行の口座番号を探す
   デリバティブなども証券会社の扱いなので分かる
    (デリバティブを放置して大きく赤字になり、証券会社が遺族に負債請求、
     というケースもあるそうですが、かなりのレアケースだそう
     これを持ち出してデジタル遺品管理を煽る業者もいるので注意だそうです)
   ただし、仮想通貨については未整備だそうです
   ほか、ポイント、電子マネー、アフィリエイトの報酬などもまだ未発展らしい
  
 ●通信契約
   契約解除か名義変更の手続きが必要

 ●仕事や売買で処理が済んでいないもの
   売買は家族が処理しなくてはいけないし
   仕事は同僚に連絡して引き継がねばならない

 ●遺族が残したいデータ(写真、メール、遺言データなど)
  このへんは、パソコンなどに残っているデータを探し出して処理する
  (パスワードロックの解除法などは、この本に具体的に描かれていましたが
   たぶんパソコンや端末の進化でまた変わるんだろうなと思います)

 だそうです
 特にお金がらみのは必ず対応しないと、相続でもめる元になるらしい
 
 ほかには
 ・テキストデータ
 ・趣味のもの
 ・SNS、ブログ、ホームページ
 などもできたら対応すべきだが、これは端末のデータがどれだか取り出せるか次第、のようですね。

 デジタル遺品サポート、という団体やサービスも増えているそうなので
 (筆者の所属するルクシーという団体もその一つ)
 ネットで探して相談するのも手だそうです

〇自分のデジタル遺品を、生前にどう管理すべきか
 基本的には
 1デジタル遺品を探し出し、リストアップ
 2家族に伝えるべきもの、隠しておきたいものを分類する
 3伝えるべきものは、リストを作っておき、パスワードなどもメモして
  いざというとき家族に分かるようにしておく
 4隠しておきたいものは、きちんと隠す

 というのが原則みたいです
 1デジタル遺品を探し出し、リストアップ
  具体的には
  ・端末
  ・契約しているオンラインサービス
  ・オンラインで残しているデータ
  などを書き出してみる

 2家族に伝えるべきもの、隠しておきたいものを分類する
  ・伝えておかねばならないもの
   ・預金、金融口座
   ・定額有料サービス
   ・通信契約
   ・秘密にしていないSNS、ブログ、ホームページ
   ・仕事データ、思い出の写真や動画など
  ・隠したいもの
   ・秘密のSNS、ブログ、ホームページ
   ・秘密の趣味、データ、購入物の履歴など

  3伝えたいものはリストアップ
   伝えるべきものは
   ●メインの情報端末、型番、パスワード
   ●ネット銀行、ネット証券のID
   ●定額契約中のオンラインサービスや通信サービスの内容
   ●公開しているSNS、ブログ、ホームページのIDとパスワード
   ●仕事のことを知っている同僚、友人の連絡先
   …などがこれに当たるそうです

   また、写真などのデータは
   パソコンを見たらすぐに分かるように、普段から整理しておくといいそうです
   (部屋と同じで、片づけておけば自分も使いやすくなりますよね)

 4隠すものはきちんと隠す
  ・秘密にしておきたいSNS、ブログ、ホームページなどは
   履歴が残らないモードで使うなど、跡が残らない使い方を普段からしておく
  ・Googleのアカウントは無効化設定できたり、
   フェイスブックやインスタグラムは人に託せたり、
   便利な機能があるのでそれを利用する
  ・また、Windowsだと死後に指定のファイルを削除できるアプリ
   (「僕が死んだら…」「死後の世界」)などもあるそうです

 基本的に、
 「残っていて放置されたら家族に迷惑がかかるもの(金融資産)などは
  なるべく目につくようにしておくこと」

 「墓場まで持っていきたい、どうしても知られたくない秘密のものは、
  生前から自分とはなるべく切り離して使うこと」

 だそうです

 秘密にしたいなら、ブログやホームページでも個人情報が分かるようなことは
 なるべく書かない方がいいそうですよ…

〇今後のデジタル遺品
 最後に、今後のデジタル遺品について。
 筆者によると
 ・高齢者のネット使用率が高まったこと
 ・IoTなど、端末を通じてネットにつながることが増えてきたこと
  (最近はウェアラブル端末のデータをそのままネットに送るサービスもある)
 ・紙のデータがオンラインデータに切り替わっていること
 ・仮想通貨、フィンテックが利用されつつあること
 などにより、
 「今後デジタル遺品はますます増えていくだろう」というような意見を述べています

 また
 「放置されるデジタル遺品は減っていくかも」
 という見方もしています。

 最近、AIがネット上のデータをプロファイリングして、
 個人の傾向や信頼性を測る「ネット与信」というサービスが出てきているそうです

 そうなると、放置されている故人のデータは余計になるので
 放置データの管理料を徴収する、ということが起きてくるかもしれない、
 そうなると放置データは減っていくかもしれない、とのことです

 また
 「今後は遺族にデジタルデータを継承できるサービス、
  遺族と生前にデータを共有できるサービスも出てくるかもしれない」
 という見方もしています

 しかしいずれにしろまだ過渡期で、法律も十分に制定されていない分野なので
 当面は本人と家族の自助努力に頼る状態が続くようです

私はブログは家族には内緒で書いていて
生前だったら知り合いとか家族にはあんまり知られたくないし、
家族にも迷惑かけたくないので、
なるべく個人情報とか場所情報につながることは書かないようにしています。

一歩譲って、家族とかに、
死後にあの人あんなこと考えてたのか、
と思われるのはまあいいかな…
(子育ての辛さとか、家族関係の辛さとかは死後なら知ってほしい気もする)
とは思うけど

それでも普段から、実体の自分とつながらないような使い方をしておくべきだな、というのは
改めて感じました。

それから、お金がらみのことは重要だ、というのはよくわかった。。
そういえば祖父が亡くなった時も
銀行口座を解約するのが大変そうでした。
ネットに限ったことではないけど、
普段から、家族に口座とか分かるようにしとこう。
と思いました。

それにしても、最近は死後自動的に削除されるアプリとか
死後他人に託せる設定がついているサイトなどが出てきてるんですね~
便利な時代になってきたなと思います。

そういうのを整理するネットサービスなんかも
これから出てくるかもしれないですね。

ちょっと勉強になりました。
今後もたぶん変化していく分野だと思うので
定期的に情報をチェックしていこうと思います。

というわけで今回はこの辺で。
posted by Amago at 14:55| Comment(0) | 本(人生) | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

「「スーホの白い馬」の真実 モンゴル・中国・日本それぞれの姿」ミンガド・ボラグ

「「スーホの白い馬」の真実 モンゴル・中国・日本それぞれの姿」ミンガド・ボラグ

 題名にひかれて借りてみた本です。
 「スーホの白い馬」は、モンゴルの楽器「馬頭琴」伝説の話、
 日本人のほとんどが教科書で読んでるのではないでしょうか。

 私も、2年生のとき教科書でこの話に引き込まれ、
 壮大なモンゴルに行ってみたい、と子供心に思ったものですが、
 いまだに2年生の「こくご下」に載っているのを知り、感動しました。

 この本はその「スーホの白い馬」を深く掘り下げた話です。

 私は単純なモンゴル民話かと思っていたのですが、
 モンゴル人からしたら違和感だらけで
 「モンゴル人にとって大切な馬を弓で殺すなどあり得ない」
 「暗闇で羊を放牧する(最初の場面)などあり得ない」
 など、突っ込みどころ満載な話なのだそうだ。

 ではなぜそんな話が生まれ、広まっていったのか?
 実はこれは中国で作られた話で、
 それには日本とモンゴル、中国との関係や、それぞれの複雑な歴史や文化が絡んでいるのだそうです。
 それら一つ一つを解きほぐしていく過程が見事。

 また、モンゴル文化やモンゴルの現状にも触れられており
 モンゴル理解の入門書にもなりそうな一冊です。
 教科書で、本編と共に紹介してほしいと思うくらいの本でした。

 読みやすいので本書を読んでほしいですが、
 私の印象に残ったところを挙げてみたいと思います。

○筆者の経歴
 筆者は、中国の内モンゴル自治区生まれのモンゴル人。
 内モンゴルで教師の仕事をしたのち、日本に留学。
 現在は翻訳や通訳、文化研究のお仕事をされていると共に、
 なんと現役の馬頭琴奏者でもあるんだそうです。

 たぶん、こういう経歴の方でないと書けない本ではないかと思います。

○日本で「スーホの白い馬」が作られた経緯
 日本でこの話が最初に世に出たのは単発絵本ではなく、
 「こどものとも」(月刊の薄めの絵本)なのだそうです。
 これが好評だったのと、
 絵を描いた赤羽末吉さんが「こどものとも」バージョンの出来に納得がいってなかったので
 改めて単独絵本が刊行されたのだそう。

 その際、赤羽さんは
 「モンゴルの壮大なスケールを表現したい」
 と大判横型にこだわったそうです

 さて、「スーホの白い馬」に関わったのは
 ・翻訳者の大塚勇三氏、
 ・福音館書店の編集長の松居直氏
 ・絵を描いた赤羽末吉氏
 だそうです

 経緯としては
 ・松居氏が、何かアジアの話を子供たちに紹介したい、ネタはないかと赤羽氏に相談、
 ・赤羽氏は、モンゴルものはどうか、と提案
  その提案はしばらくお預けだったが、
 ・2年ほどして大塚氏が「スーホの白い馬」の原典となる話を中国の古典から見つけて訳してくれた、
 とのことです

 赤羽氏がなぜモンゴルものを提案したかというと
 赤羽氏は戦中に満州にいたことがあり、
 その最中にチンギス・ハーン廟の壁画作製を依頼され、モンゴルを取材したことがあったらしい

 その道中で目にしたモンゴルの大地の雄大さが彼の印象に残り、
 これは島国日本にはないスケール、ぜひ子供たちに紹介したい、
 と考えたようです

○中国版「馬頭琴」と日本の「スーホの白い馬」との比較
 では、大塚氏は、何の話を翻訳したのか?

 筆者が調べたところによれば
 中国の作家がモンゴル民話を元に書いた「馬頭琴」という話だそうです

 筆者はこの中国語版「馬頭琴」と
 日本の「スーホの白い馬」の比較をしています

 日本の絵本では
 ・日本の子供でも、モンゴルのことが分かりやすいように描写や説明を付け足している

 ・情感、伏線を持たせて物語に深みを持たせている
  原文も載せてありましたが、中国版「馬頭琴」は機械的に伝えている感じでした

 ・結末のニュアンスが違う
  中国版「馬頭琴」は
  「馬頭琴をひくたびに、殿様への憎しみが増す」と言うちょっとコワイ終わりかた
  「スーホの白い馬」は、「馬と過ごした楽しい日々を思い出す」と温かみがある終わりかたでした

 筆者は、大塚氏の情感や説明を補った翻訳が
 中国版「馬頭琴」よりも深みや味わいを持たせ、「スーホの白い馬」の文学性を高めている、
 と評価していました

○赤羽氏の絵について
 次に筆者は、絵を担当した赤羽氏についても調べています

 この絵には、赤羽氏の体験が大きく反映されているのだそうです

 赤羽氏はモンゴルのチンギス・ハーン廟の壁画作製を依頼され、
 モンゴルを取材していますが

 そもそもチンギス・ハーン廟が作られたのは政治的な理由があったらしい

 戦時中、満州国が作られていた時代、
 モンゴルは3つに分裂していたそうです
 東部は満州国に組み込まれ
 中部は中国国民党に「高度な自治」を求めていた
 西部は中国国民党の支配下だった

 このようにモンゴルは当時他国によりバラバラにされていたので、
 モンゴル国統一を象徴するチンギス・ハーン廟の建設は、モンゴル人の悲願だったようです

 一方この建設は、日本の特務機関(諜報機関、スパイみたいな所)の主導で建てられた
 日本にとっては、モンゴル人を大事にしていますよというアピールになり
 親日モンゴル人を増やすいいチャンスだったらしい

 このように様々な政治的な思惑はあったものの
 赤羽氏など五人の画家さんが壁画作製を依頼されたらしい

 チンギス・ハーン廟の建設予定地はモンゴル東部の王爺廊という所ですが、
 赤羽氏らが取材したのは、モンゴル中部の貝子廊(バンディ・ディン・ゲゲン・スム)という所だったそうです

 ここでの取材が元になっているので
 「スーホの白い馬」のなかではモンゴルの色んな地域の文化がまぜこぜになっているらしい

 例えば
 ・スーホの衣装はモンゴル中部の貝子廊やそれ以西の民族衣装
  素朴な作りで、頭に帽子ではなく布を巻いて端を垂らしている

 (ただし、スーホは絵本で赤い色の衣装を着ているが
 普通はもっと地味な色だそうです。
 これは白い馬と赤い衣装を対比させる「色のドラマ」、
 つまり赤羽氏の創作では、と筆者は推測している)

 ・殿様が開いた馬の競走場面の背景が、貝子廊近辺と酷似している
  (写真も載せられていました)

 ・羊の囲い、ゲルの囲いが柳の木で作られているのは、貝子廊近辺に見られる

 ・スーホの馬頭琴の演奏の仕方が、
  現代的な馬頭琴よりは、モンゴル東部のチョールの演奏法という楽器に似ている

 ・スーホが町に到着する場面の背景では、
  土の家壁が続く絵になっている
  これはモンゴルにはなく、東部特有なんだそう
  東部は漢民族が流入し、こういう家が多いらしい

 つまり、背景とかは東部、衣装などは中部…などちぐはぐらしい。

 また、絵本の「スーホの白い馬」では
 草原がみんな茶系の色なのですが
 絵本の設定となっている春の季節では、普通は緑色なのだそうだ
 しかし赤羽氏が訪れた1943年は歴史的な大干ばつがあり
 枯れ果てた大地だったらしい

 筆者は、赤羽氏のこの経験の可能性もあるが、
 当時の日本の敗戦、赤羽氏の満州での苦労、などの複雑な思いも反映された心証風景なのかも、と考察していました

 このように、現実のモンゴルとは少し違うものの
 筆者はそれは赤羽氏の絵の芸術性価値を低めるものではない、と強調しています。

 むしろ彼は赤羽氏が、
 モンゴル草原の壮大な風景、
 そこに暮らす人たちの生活を描写し、
 子供たちの想像力を膨らませ、
 異文化への関心を持たせたいという狙いをもち、
 それを作品として結実させたことを評価しています

○モンゴル国と内モンゴルでの「馬頭琴」伝説
 次に筆者は、モンゴルにおいてはどんな馬頭琴伝説があるのか興味を持ち、
 モンゴル国の人と、中国の内モンゴル自治区の人に
 「あなたの知っている馬頭琴起源伝説を教えてください」
 聞き取り調査をしたそうです

 すると、モンゴル国ではスーホの白い馬みたいな話は聞かれなかった
 「フフー・ナムジル」という話の方が一般的だったらしい

 フフー・ナムジルは、男女の恋の話。
 男が故郷を離れ、兵役に赴く。
 そこで天女と恋に落ちるが、兵役が終わると故郷に帰らねばならない
 そこで天女は羽のある馬を贈り、それで二人は会瀬を重ねる
 しかし男に横恋慕する女性が馬の羽をもぎ取ったために馬は死んでしまい、
 悲しんだ男が馬頭琴を作った、
 …というもの
 似たような男女の恋がらみの伝説は他にもあるらしい

 一方中国の内モンゴル自治区では
 中国版「馬頭琴」に似た話しか出てこなかったそうです

 (モンゴル国と内モンゴル、
 場所は近いのに、中国の支配にないかあるかで、これほど違いがあるのですね。
 筆者は後書きになるんですが、内モンゴルのケースは「中国当局による記憶のすり替えであり、集団としては悲劇」と指摘していました)

 そこで中国版「馬頭琴」をモンゴル語にして聞かせ、
 「あなたが子供の頃聞いた話とどう違うか」
 という形に質問を変えたらしい

 すると、中国版「馬頭琴」は、モンゴル人からすれば違和感のある話だと分かった

 中国版「馬頭琴」へのモンゴル人の突っ込みどころとしては
 ・馬の死に方がおかしい
  モンゴル人にとって馬は特別、弓で殺すことはない
  また、裸の馬より人が乗る馬の方が速いので、
  殿様の家来が馬に乗って、白い馬に追い付けないのはおかしいのだそう

  モンゴル人によれば、白い馬の死に方は窒息死ではないか、とのことです
  口にくわえさせる鐙(あぶみ)という金具があるが、これを上手く操らないと、馬の口をふさいでしまうことがあるのだそう

 ・馬の競走大会で、スーホは練習もせず出場している
  普通は馬乗りは馬のコンディション調整や、乗り手と馬がと息を合わせるために
  2、3ヶ月練習しないとできないそうです

 ・白い馬が矢に撃たれたあとスーホは矢を引き抜いただけだが、この扱いは雑
  普通は傷跡を焼いて消毒しないと化膿してしまう

 ・スーホが最初、暗闇で子馬に会うが、普通はそんな遅くまで羊牧しない
  羊は暗くなるとそこから動かなくなっちゃうので、明るいうちに家に戻すらしい

 ・白い馬が、スーホの羊を守るため狼と一対一で戦うが、これはあり得ない
  馬は群れで戦うことはあっても一対一で戦うことはないし、普通は番犬がいるのだそう

 ・モンゴルの馬の競走大会は、軽い子供が乗り手になるのが普通
  「殿の娘の結婚相手を決める」という競走の動機がおかしい

 ・競走大会が春、という設定がおかしい
  モンゴルでは普通は夏にやるそうです
  これは春だと、冬の後で食糧も乏しく、馬が弱っているし
  モンゴルでは春、子馬に焼き印を押し、雄馬を去勢する作業で忙しいのだそう

 つまり、「馬頭琴」は馬やモンゴルのことをあんまり知らない人が書いたと思われるらしい

○中国版「馬頭琴」に込められた意味
 では中国版「馬頭琴」は誰が、どんな意図で書いたのか?

 筆者によれば、これは当時の中国人が、
 モンゴル人たちの間で階級闘争が起きるように仕掛けるために書かれたらしい

 1950年代、内モンゴル自治区では
 モンゴル人統治家が中国共産党の土地政策に反対していたそうです

 モンゴル人は遊牧民ですので土地を持たない
 なので土地の所有者を決められてもあんまり意味がない
 一方中国人はモンゴルの土地を農地にしたいから土地が欲しい

 そこで、中国人にとって目障りなモンゴル統治者を抑えるため、
 モンゴルの民衆を煽り、
 モンゴルの統治家に反抗するようプロパガンダを仕掛けた

 しかし民衆の反応は薄い
 そこでモンゴル人の中でも積極因子を選び出し
 その人たちを使ってその他を教育する作戦を立てた
 その教育の一環が馬頭琴の話だった

 つまり中国版「馬頭琴」は、モンゴル人たちの間で階級闘争を煽るためのプロパガンダ作品だそうで
 よくよく読むとその片鱗が話のあちこちに見られるそうです

 例えば
 ・スーホの名前は共産党の象徴である「斧」
  元々、スーホの名前は共産党のマークにも使われる「斧」
を意味する「スフ」だったらしい
  しかし日本での翻訳は中国語からの翻訳だったので「スーホ」になっているのだそうです
  (当時、中国で出版された日本語バージョンの「馬頭琴」もあり、
  その本は「スフ」となっているそうです)

  当時の生まれのモンゴル人では、「赤」や「斧」など、共産党を連想させる名前の人が多いそうです

 ・スーホが暗闇から白い子馬を見つける場面
  これは「暗闇」は「生産階級」の暗い社会、
  「白い子馬」は夢、希望の象徴なのだそう
  生産階級のスーホが白い馬で後に大会で優勝するのは
  小さな夢がかないつつあることを意味するのだそう

 ・殿様が白い馬に振り落とされる場面
  これは「白」は清らかさ、「殿様」は醜い支配階級を意味する
  白い馬は殺されるが、それが馬頭琴に生まれ変わり音色が草原に響き渡るのは
  生産階級の新たな希望を象徴しているらしい

 ・競走の場所が仏教寺院
  これは当時、僧侶も「支配階級」と見なされていたことに関係するそうです

 当時の中国は毛沢東礼賛の時代、
 民衆が悪の力
 (自然災害、支配階級、列強諸国など)
 を跳ね返して中国を作った
 ということを言い聞かせるような民話が多いらしい
 馬頭琴もその一環だったのだそうです

 (ちなみに、モンゴル人の民話にも権力者に庶民がたてつく話はあるが、
 どちらかいうと権力者をからかう笑い話(一休さんのとんち話みたいなの)になっていて、
 具体的な話も紹介されていました)

○中国におけるモンゴル人文化の扱い
 ところで内モンゴル自治区では、言い伝えとして中国版「馬頭琴」に似た話は出回っているが
 教科書には中国版「馬頭琴」は使われていないそうです

 その代わり載っているのが
 「バイリン・フフ」という話で、
 これは馬とは関係ないモンゴル相撲をめぐる話ですが
 これも一般の民(しかし超人的な力を持つ男)
 と王さまとの争い、
 つまり階級闘争を描いています

 中国版「馬頭琴」は、モンゴル人の文化とは違う描写が多いので使われていないのでは、
 と筆者は考察しています

 このほか内モンゴルでは、民話だけではなくモンゴル民謡も毛沢東や共産党礼賛のものに作り替えられているそうです

 また、このように中国が自分達に都合のいいよう、
 モンゴルの歴史、文化を事実から曲げてしまうことは現代も続いているようで

 その例として2004年出版された「狼トーテム」という話も紹介されていました

 これは中国共産党の男性とモンゴル部族との交流などを描いた話で、
 邦訳もされ(「神なる狼」)
映画化もされているそうで、
 中国ではベストセラーになったらしい

 モンゴル人の自然へ畏敬の念を払う姿や
 美しいモンゴルの自然の描写などはたしかに感動的らしいのですが

 モンゴル人の歴史や文化を無視した描写も散見され
 モンゴル人には不評だったらしい

 例えば、話の中では
 モンゴルの自然破壊の原因がモンゴル東部からの移民のせいにされているそうですが、
 実際は漢民族が流れ込み、土地を切り開いたからなのだそう
 話では、それについては一切触れられていないのだそうです

 また、モンゴル人は狼を神と崇めるみたいな話になっているが
 実際は自然すべてを敬っており
 狼はその一部に過ぎない。

 このような物語で、中国にモンゴル文化への誤解が広まらないことを筆者は願っているそうです

○モンゴルの文化、馬頭琴伝説の真実
 次に筆者が調べたモンゴルの真実について。話としては
 ・馬頭琴の歴史
 ・筆者が「一番納得した」という、今まで知られていなかった馬頭琴伝説2つ
 ・モンゴル人と家畜との絆
 ・モンゴルの現状
 などがありました。
 
○馬頭琴の歴史
 実は外国の研究者には
 「日本人のお嬢さんが馬頭琴と名付けた」説があるそうです

 「日本のお嬢さん」とは何者か?
 これには日清戦争が絡んでいるらしい。
 日清戦争後、日本とロシアは清国との対抗上、モンゴルを味方につけようとしていた
 そこでモンゴルの偉いさんを日本に招いたところ
 日本の教育に感銘を受け、モンゴル王室に日本の家庭教師を招くことにした
 このときの教育係だった女性が
 「私が馬頭琴と名付けた」みたいな回想録を書いたらしい

 しかし既にこれらの楽器は「モリン・ホール」という総称があったらしく
 それが中国語訳となりそれを日本語訳したものが馬頭琴なのだそうです

 馬頭琴の歴史もざっと書かれていました

 モンゴルには動物の皮と馬の尻尾の弦で弾く伝統楽器が各地にあり
 西部はイキル、中部はモリンホール、東部はチョールというそうです

 それぞれチューニングや演奏方法などが微妙に違うらしいが、
 それらがだんだん一緒になり、現代の馬頭琴になっている

 時代がたつと、馬頭琴は舞台音楽として使われるようになるが
 動物の皮や馬の尻尾だと、その日の温度などに音が左右され過ぎるので、演奏会には向かない
 このためニシキヘビの皮に代わったとのこと

 さらに照明の熱でも大丈夫な白板の皮、ナイロンの弦に進化し、
 今ではオーケストラにも使われているそうです

○モンゴルの馬頭琴伝説
 筆者が聞いて回った中で「一番すんなり受け入れられた」伝説だそうです
 ・チョールの物語
  これは、2014年に高齢のゾンデという女性から聞いた話だそうです

  モンゴルの草原で牧草地をめぐる部族間の争いがあり
  劣勢側の部族は砂漠の中に逃げ込む
  この部族のシャーマンは祈りを捧げようとするが
  太鼓を無くしてしまったので馬の死体から楽器を即興で作った
  それを弾くと、激しい雷雨となり、敵は神の存在を感じて退散した
  …というもの

  つまりシャーマンの楽器が起源だという説
  (実際東部のチョールという楽器は、元々はシャーマンが使っていたものだそう)

  また、馬頭琴に馬の頭を冠しているのは、
  馬は視界が広く、
  360度世界を見渡す、というシャーマンの宇宙観、世界観に繋がっている意味合いがある、
  という説が最近では有力だそうで、これも馬頭琴のシャーマン起源説を裏付けるのではないかとしています

 ・ボルジガル・ボル・ボルダーグタイ・ボルダライフー
  これは2012年、地元の馬頭琴奏者のオイロブという方から聞いた話
  しかしオイロブさんは誰に聞いた話か覚えておらず、オイロブさんもその後事故で亡くなってしまったらしい

  これは長い話なのではしょって書きますが
  ボルダライフーという子供が子馬をもらい、かわいがって育てた
  足が短い馬なのでみんなに心配されるが、調教師の達人の教えを守って立派な競走馬になる

  そのあと何回もその馬は優勝したが、
  歳を取り、ボルダライフーも成長して馬に乗るには重くなった
  次のレースで有終の美を飾ろうと、好きなだけ走らせた
  すると馬は最後のレースが終わると死んでまう

  悲しみにくれたボルダライフーは、馬の骨を側に置き、思い出に浸る

  すると、頭蓋骨を通り抜ける風が不思議な音を奏でた
  そこで馬の頭蓋骨と脚の骨を組み合わせ、尻尾で弦を張ると
  目に見えない誰かが手伝うかのように手が勝手に動き、メロディーを奏でた
 …というもの

 筆者は
 「風が自然に音を奏でた」
 「見えない誰かが手伝ってくれるかのよう」
 という表現に、シャーマン的な要素を感じる、と記しています

 筆者はどちらの話も、モンゴルの文化にも沿うので納得したようです。
 また、どちらの説からも、馬頭琴の起源にはシャーマンとの絡みを感じるそうです

○モンゴル人にとっての家畜
 次に、「スーホの白い馬」のテーマでもある「人と馬」との絆についてです

 モンゴル人にとっては、
馬、というか家畜は単なる友達ではないらしい

 筆者の分類によれば人と家畜とは
 ・経済的関係
 ・信頼関係
 があるそうで

 ・経済的関係とは
  食用、労働力、家の材料など人間が利用する関係

  モンゴルでは
  馬、牛、羊、山羊、駱駝
が、アラビア語で財産を意味するマラと呼ばれているそうです

  それぞれ食べるものが違うので一緒に飼っても餌には困らないし
  用途も違うのだそうです

  例えば
  牛と駱駝は荷物もち(牛は平原、駱駝は砂漠)
  馬は人が乗る
  山羊は羊の群れを誘導する
  羊は家作りの材料、など

 ・精神的な関係とは、
  安らぎ、仲間、友達、
  それから子供たちにとっては教育的な役割もあるらしい

  例えばモンゴル人の子供は
  家畜が出産し成長していく姿を見て喜び、
  母が子を慈しむ姿を見て心を和ませる

  飼っている家畜が逃げたり奪われたり死んだりしたら
  自分のことのように悲しむ

  しかも家畜は人間より生死のサイクルが早く、
  それらを目にする機会は頻繁にある
  つまり子供たちは命の教育を常に受けていることになる

  また、モンゴルには
  「フゥールヒ・アミタン」
  という言葉があるそうです。
  直訳すると「哀れな生き物」ですが、
  これは人間の子供も含める

  哀れな慈しむべき無力な生き物、
  これらは自分の力で生きていけるようにしつけてあげないといけない、

  このため、可愛がるだけではなく、
  時には厳しくしないといけないという考え方があり
  家畜ををときには叩いたりする
  ペットみたいに一方的に可愛がるだけの関係ではない

  モンゴルでは、人間の子供も叩いてしつける、という考え方なのだそうですが
  それは体罰ではなく、愛情はあるので体は痛んでも心は痛まないそうです

 ほか、家畜に関する表現もあるそうです
 モンゴルでは、
 羊は雲、山羊は岩、馬は風、牛は湖、犬は星、駱駝は太陽から生まれたと考えられていて、
 子供が、家畜の死に悲しんでいても
 「お前の羊は雲になって側にいる」などと言って慰めるのだそう

 また反面教師としても使われ、
 「そんなに動かないと牛のようになってしまうよ」
 という言い方もするんだそうです

 つまりモンゴル人と家畜は日本では考えられないような深い絆がありそうです

 ちなみにスーホの白い馬でいうと、
 スーホにとっては馬は信頼関係、
 殿様に取っては経済的な関係と見なされる、と筆者は分析していました

○モンゴルの現状
 最後にモンゴルの現状について。主に環境問題の話でした。

 モンゴルは砂漠化が深刻で
 中国は遊牧民の過放牧が原因としていて、
 日本もその見解なのだそうです

 そこで中国政府は、
 休牧、禁牧という政策で強制的に家畜を減らしているのだそう

 しかし砂漠化の原因は地球温暖化である可能性もあるそうです
 日本人の研究者によれば
 モンゴルでは凍土が溶けて、乾燥した空気で蒸発し、
 土中の水分量が減っているというデータがあるそうです

 また筆者は、砂漠化防止は緑化、と考えられがちだが、やたらに緑化するのも害がある、としています
 緑化により蚊が増えると、家畜は走り回れなくなり、脂肪を蓄えることができなくなるそうです
 適度な放牧が必要なのでは、とのこと

 また、放牧が減り、家畜が減ることで別の害もあるらしい
 遊牧民は燃料として家畜の糞を使っていたが
 糞は温度を保ちやすく、温暖化の原因の二酸化炭素も出さないエコな燃料だった
 今は家畜が減り、石炭や石油を使うため、環境にも悪影響を与えているとのこと

 ほか、砂漠化をもたらす黄砂は、
 中国が進めている内モンゴルの鉱山開発が原因である可能性もある、という話も書いていました

○まとめ
 筆者は最後にこの本を書いた動機2つと
 誤解されないよう強調したい点3つを書いて締め括っています

 動機の1つは、
 ・「スーホの白い馬」をもっと深く理解して欲しいこと
  この本を読めば、この物語に新たな発見があるはず、と書いています

 もう1つの動機は、
 ・日本の今までのモンゴル文化の理解が中国を介在したもの、
  というのが気になっていたそうです
  中国経由でない、真のモンゴル文化を知ってほしい、ということらしい

 そして、強調したい点としては
 ・この本は何かのイデオロギーに基づいたものではない、ということ
  (中国批判と受け取れることも書いているので
  そこは誤解を受けたくないということかなと思いました)

  また、今までのスーホの白い馬研究は
  モンゴル民話というのが前提だが
  この本は本当にそうか?という疑問から始まっているのが特色だと述べています

 ・また筆者は、
  この本は、絵本の「スーホの白い馬」や、中国版「馬頭琴」の功績を否定するわけではない、
  とも述べています

  筆者はこの辺デリケートな問題であるせいか、慎重な表現で書いていますが

  「この話は、モンゴル民話から衣替えした複雑な成立の過程があること、
  特定のイデオロギーに基づく思想があること、
  それ故に本当のモンゴル文化と矛盾することを修正した上で再評価されるべき」

  つまりこの本の背景には色んな歴史があり、
  中国の共産党思想が介在してできた話ゆえ、
  本来のモンゴル文化からは矛盾している部分もあるが
  筆者はそれらの経緯、矛盾が悪いといいたいわけではなく
  それらを全て知った上で改めてこの話を読んでほしい、ということなんだろうと思います

 最後の1つは
 ・「スーホの白い馬」はただの伝説ではない、ということ
  この絵本はそもそも、日本人のモンゴル草原への憧れから出発したものであり、
  同時に複雑な歴史を背負っている
  それらの経緯すべてをプラスマイナスで見れば
  筆者はプラスの方が大きいと考えているそうです

  この話は最近、別の国でも翻訳されつつあるそうです
  筆者はそれを誇らしいとし、
  世界に発信されて欲しい、
  と締め括っていました

○感想など
・「スーホの白い馬」は、モンゴルの話と思っていたので
 モンゴル人にとっては「?」な点が多い、という事実にまずビックリしました。
 いかに自分がモンゴルについて知らないかを感じました…
 でもそれを考えながら読んでいたら、話が成立しなくなるんでしょうけど(笑)

・モンゴル文化とは矛盾している、と聞くとこの話何なの?てことになってしまいそうだが、
 中国版「馬頭琴」や、「スーホの白い馬」絵本の価値はある、という言葉にはなるほどと思った。

 たしかに、「スーホの白い馬」に関しては
 文章の情感、伏線、説明などは、文学作品としても素晴らしい。
 さし絵にしても、モンゴル草原の壮大さ、モンゴルの人たちの雰囲気はきちんと伝わってくる。

 それは私も自分が読んだときに十分感じられましたが、
 筆者の場面を一つ一つ挙げた細かい分析で、それをより深く感じることができました。

 また、中国版「馬頭琴」についても、
 「暗闇」「殿様」「白い馬」などを、
 階級闘争の暗喩として効果的に使っている、
 という読みは深いと思った。

 個人的には、中国の共産党教育、という考え方自体は好きではないですが、
 共産党の意向に沿う形で
 文学作品として結実させる作者の手腕は、たしかに素晴らしいことに気づかされました。

 そして、文化的には間違いが多いのに、
 これらの作品への敬意を忘れない筆者に学者さんとしての誠実さを感じました。

・他の馬頭琴伝説や、モンゴルの民話も面白かったです。
 恋愛話、シャーマンの話、ボルダライフーの話。これらも訳して伝えられることがあれば面白いですね。

・モンゴルの話も興味深かったです。
 家畜とのつながりについては、言葉の表現や子供への教育にも影響しているのが驚かされた。
 私も子を持つ親ですが、やっぱり世界にはいろんな子育てがあるのね~

・中国におけるモンゴル理解、というのは
 日本におけるアイヌ文化とか沖縄文化など、先住民のマイノリティ文化への理解にも通ずるのかなぁ、
 とも考えさせられました。

 筆者は後書きで
  中国の内モンゴルでは、
  人々に馬頭琴伝説を聞くと中国版馬頭琴の話に近い答えが返ってくることが多かったが、
  これは「国による民族の記憶のすり替え」と見れば一種の悲劇、
 というようなことを書いていますが、

 もしかしたら日本でも同様のことが起きていたのかもしれない。

 また、「狼トーテム」の話にも見られたように
 間違って、あるいは日本の都合で歴史を歪曲している場合もありうるのかなと思う。

 日本とか中国に限らず世界でも、
 先住民を大国が支配したような歴史がある国では、
 そういうことはあるのかもしれない。
 正しい文化の理解や、全ての文化へ敬意を払う心が必要なのだなと感じました。

…というわけで長くなって申し訳ないですが

この本では
中国版「馬頭琴」と「スーホの白い馬」との原文比較、
実際赤羽氏が取材した場所の写真、
その他のモンゴル民話の具体的なあらすじ、
などがふんだんに盛り込まれているし、
文章も読みやすいので
「スーホの白い馬」ファンにはぜひとも読んでほしいです。
「スーホの白い馬」をより深く読めることは間違いないと思います。

今回はこの辺で。
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2017年09月20日

「超高齢社会2.0 クラウド時代の働き方革命」檜山 敦

「超高齢社会2.0 クラウド時代の働き方革命」檜山 敦

 この前のオイコノミアで「高齢化」の話をしていましたが、
 その前にたまたま借りていて、
 いいタイミングだったので読んでみました。

 これからの少子高齢化時代、元気な高齢者の活躍の場を増やしていこう、
 そのためにICT(情報通信技術)を活用しよう、
 という主旨の本です。

 色んな事例がごちゃごちゃしていてちょっと読みにくかったのはありましたが、
 内容としては興味深かったです。

 というのは、高齢化社会、人工知能社会の雇用って共に悲観的なイメージになりがちなんですが、
 実は両者を組み合わせたら希望が持てる未来になるんじゃ?という発想の本なのです。

 私の印象に残ったところを書いてみたいと思います。
 (私のざっくり理解ですが…)

○筆者の研究
 前座として、筆者の専門などの説明がありました。

 元々筆者の専門は、
 人間と情報機器とのコミュニケーションを設計する技術だそうです。

 例としてバーチャルリアリティやヒューマンインターフェイス、とありまして
 ヒューマンインターフェイスってなに?と思ったんですが

 辞書的には
 「人間が使用するのに必要な安全性,信頼性, 利便性などをもった機械システムを,人間の 知覚,認知,行動を熟知したうえで,利用者 と機械を含んだ系をシステム的にとらえて構 築・研究する分野」
 とあります。

 平たく言えば、人間の体の機能に沿った使いやすい機械システムを考える分野、ということかしら)

 さて筆者は2006年から東大のIRT研究機構というところで
 少子高齢化社会において、
 日常生活支援をするためのロボットや機器の開発に関わるようになった、とのことです

 そして2011年からはIBMと協同で
 「ICT基盤の「高齢者クラウド」の研究開発」
 をしているらしい

 これは、高齢者の活躍の場(労働やボランティアなど)をクラウドコンピューティングにより増やせないか、
 という発想の研究だそうです

 クラウドコンピューティングとはなにか?
 一般的には、
 今まで個々のコンピューターで作成、保存、利用していたテキストや画像などの情報を、
 インターネット上で保存、共有などする、
 (ネット上の空間を雲みたいに利用する)
 という感じの意味合いですが

 「高齢者クラウド」の「クラウド」は、雲cloudだけでなく「群衆」crowdも意味するらしい
 つまり、たくさんの人が少しずつ仕事をして全体で一人分、という働きかたでもいいのでは
 という発想なのだそうだ。

 筆者は人口ピラミッドを見ていて
 高齢者が現役世代を上回る将来の図を上下ひっくり返したとき
 「たくさんの高齢者が現役世代を支える」働きかたを閃いたそうです。

 少子化で現役世代が少なくなる時代、
 高齢者は「支えられるだけの存在」ではない、
 元気なシニアが、先細りする現役世代の労働を支える発想があってもいいのでは、と。

 しかし、高齢者の労働市場はまだ少ない。
 筆者は、そこをICTの活用で解決することを考えています

 そのためには、高齢者がICTに親しんでいる必要があるが
 コンピューターというと高齢者には敬遠されがち
 しかし、
 「最先端は使いやすい」
 だからもっと高齢者には親しんでほしい、
 というような話をし、実際活用して生き生き暮らすシニアを紹介しています

 また、このような高齢者クラウドを生かす働きかたについては
 当事者の高齢者だけではなく
 現役世代や、バブル世代団塊ジュニアなどの次世代シニアなど、全世代を巻き込み、
 日本人の働きかた自体を改革するような議論もしていかねばならない、
 というような話もしています

○高齢者が働く意義
 筆者は、元気な高齢者が働くメリットについて書いています

 現役世代の周辺労働をして、少ない人的資源をコア労働に集中できるように助ける、というメリットもあるが、
 何よりもシニア自身にとって健康長寿につながるのだそうだ。

 筆者は3つほど国内外の疫学的な調査研究を紹介していますが、いずれも
 ・老年期に就労したり、生涯学習している人
 ・社会との繋がりがある人
 ・継続的な運動をしている人
 などは長生きが多い、という有意な結果があるようです。

 ではシニアの意識はどうか?
 平成26年の内閣府の35~65歳対象の調査が紹介されていて
 ・65歳までは働きたい人はだいたい3割
 ・65歳過ぎても働きたい人はだいたい5割
 ・元気ならいつまでも働きたい人は25%くらい、
 とありました。

 (たぶんこれ、こないだのオイコノミアでも紹介されていたデータですが
 番組では生涯働きたい人は少ない、というニュアンスでしたけど
 ここでは65歳過ぎても働きたい人は5割もいる、というニュアンスで書かれていました。

 たしかに65過ぎでも働きたい人半数、てのは多いなと私も思いました。
 シニア労働市場が拡大し、シニアも働くのが当たり前になったらこの数字も増えていくのかも、と思います。)

 また、東大の柏キャンパスでは、
 シニア対象セミナーをしているそうで、
 その参加者へのアンケートがあるそうです。

 それによれば
 「仕事に求めるもの」として
 「自分が健康でいられる」がもっとも多く、
 「達成感」「他人との交流」「社会への貢献」「自己成長」などがそれに続く。
 「収入」や「自己への評価」はそれに比べて低いそうです

 また、今までの仕事にこだわらない人の方が多いのだとか。

 (働きがいや生きがいを重視する人が多い。また、自分のしてきたキャリアにこだわらない人が多いのは意外でした)

○高齢者がICTを活用する利点、活用している実例
 次に筆者は、高齢者がICTを活用するメリットを書いていました

 最近はシニアのパソコン、携帯利用者の割合は増えているそうです。
 (平成20年と24年を比べると
60代、70代ともに倍増している)

 しかし柏市のシニア180人へのアンケートだと
 Eメールや検索機能、文書作成などはする人が増えたが
 ネットでの商取引やSNSなどの使用割合は少ないそうです

 (都市で社会参加への意識の高いシニアでこの結果なので、
 地方だともっと少ないんだろうなぁ、と思いました)

 筆者はシニアのICTへの壁として3つほど挙げています
 ・物理的バリア
 ”視力の低下、手先の機能低下
 ・概念的バリア
  新しい技術を覚えられない、敬遠する気持ち
 ・心理的バリア
  炎上、個人情報流出への恐れ

 しかし、これらを取り除く技術の開発もされつつあるし、これからも進めていくべきとしています

 例えば
 「物理的バリア」に対しては、らくらくスマホなど大きい字で使いやすい端末にすること

 「概念的バリア」については、高齢者が使い慣れている道具(テレビのリモコンなど)に似せた端末にすること、

 「心理的バリア」については、間違えたら前に戻れるようにする、簡単な質問に答える形にするアプリにする、など…

 まぁでもこれらのバリアは関係なく、
 ICTを活用して生き生き暮らすシニアもいらっしゃるようで
 その例もいくつか紹介しています

 具体例は本書を読んでほしいですが
 iPadを使いこなしてプレゼンする人、
 エクセルを刺繍模様作りに活用してしまった女性などがいてすごいなーと思いました。

 また、「シニア情報生活アドバイザー」なる資格もあるそうで、
 取得された方は地域のシニアコミュニティでのICT活用リーダーとなることが期待されるそうです。
 地域と都市とのIT格差がこれで解消できれば、とのこと

 ほか、認知症でICTを使いこなし、
 困りごとを発信する方もいました。
 こういう声が認知症予防や援助のアプリ開発に繋がる可能性もあるそうです

 ほか、シニアの日常生活をICTで支えるアイデアもいくつか書かれていました

 シニアの場合、若者のように、
 単純に機械で足りない機能を補うだけだと、
 かえってシニアの自立を妨げてしまう危険もある
 ですので、今ある身体の機能を生かし、シニアが自立した生活をするための補助として活用する視点が必要なのだそうです。

 具体的に今出ている商品としては
 ・ウェアラブル端末(眼鏡、手首ベルトなど)で健康をチェック、身体機能の変化を見守る
 ・バーチャルリアリティーを使った筋トレ
 ・ウェアラブル端末による忘れ物アラーム
 ・歩行支援、重い荷物持ちのサポートスーツ
 ・セグウェイのような乗り物、自動運転
 ・見守りや会話のロボット、象印の見守り電気ポット
 ・テレワーク、クラウドワークなどの就労支援

 …などがあるそうです

○筆者の提案する「高齢者のモザイク型就労」
 筆者はシニアへのアンケートなどから
 シニアの望む働きかたとして
 ・働きたいときに働きたい(フルタイムにはこだわらない)
 ・仕事の動機は、自分の健康維持、人との出会い、達成感、貢献などで
  収入や地位にはこだわらない

 などを挙げています

 しかし企業が求める人材は、未だに
 「安定的に長く働いてくれる人」
 ですし、シニア年代になると給料が上がるという給与体系
 このため企業からすると、
 シニアは
 ・給料が高い
 ・長く働けるか分からない
 ・今までの会社では優秀でも、逆に考えが固定化されて他ではつぶしがきかないかもしれない
 という、非常に雇いにくい人材なのだそうだ

 このため、今のシニア労働市場は
 高い給料でハイスキルの仕事
 または
 安い労働
 かどちらか、二極化しているらしい

 つまり、当の高齢者はフルタイムとか高給は望んでいない人が多いのに、
 労働市場は昔の考え方のままなのだそう。
 筆者は、これではどちらにとっても不幸だとしています

 このため、ICTを利用した高齢者の能力の活用を考えているそうです

 筆者の提案する高齢者の働きかたは「モザイク型就労」で、
 モザイクにも3つあり
 ・時間的モザイク
 ・空間モザイク
 ・スキルモザイク
 だそうです

 「時間的モザイク」は、色んな人が都合のいい時間だけ融通しあって働く仕組み

 具体的には
 ・柏市の「生きがい就労事業」
 (現役世代の仕事の周辺労働を、シニアが助ける事業)
 の割り振りにICTを活用した例、
 ・電子図書館の校正ボランティア
 (電子化したい図書をスキャナーで取り込み、テキスト変換したあとの変な文章を校正するボランティア)
 での作業の進捗把握にICTを活用した例
 などが紹介されていました

 「空間モザイク」は、
 移動が難しい高齢者が、遠隔で現役世代をサポートすることが考えられるらしい。

 例としては、遠隔講義などでロボットを活用し、
 Skypeなどのテレビ電話よりも臨場感を持たせた例がありました

 「スキルモザイク」としては色んな能力を持つシニア人材をマッチングさせ、
 求める企業で能力を活用させる仕組み

 これは筆者のメイン研究なのか、個別に一章割いていました

○高齢者のスキルマッチングへのICT活用法
 筆者はサーキュレーションという株式会社と共同で、
 人材マッチングの検索エンジンを構築したそうです。

 この人材紹介会社は、経営相談顧問に特化した人材を紹介する会社のようですが、

 業務の流れとしては
 クライアント企業が、課題となることを「サーキュレーション」の営業担当に相談、
 「サーキュレーション」のジョブコーディネーターが登録者の中から、条件に合う人材を探し、
 その人と企業で個別面談してもらう、
 という流れらしいのですが

 どれだけ多くの人材を活用できるかどうかは、
 ジョブコーディネーターの腕次第になる

 ここをICT活用で効率を上げることを考えたらしい

 筆者が使ったのは
 ・「自然言語処理」
 ・「対話的検索システム」
 の二刀流だそうです

 「自然言語処理」というのは、
 クライアント企業の依頼文章と、
 登録者の履歴、過去の職務、情報の文章
 の2つの文章の主語、動詞などを機械的に抽出、
 過去のマッチングを学習させた人工知能に検索させ
 ヒットするものを機械的に探すもの

 一方これでは、依頼文章が漠然としたものの場合、
 (例えば「新規事業開拓に必要な人材」…など)
 検索が難しい

 このため「対話的検索システム」で、
 漠然とした依頼文章をジョブコーディネーターが読んで、連想する単語を後から追加入力できる機能を足したそうです

 つまり、ジョブコーディネーターの
 「文には書いてはいないが、こういう依頼は経験からすればこういう職種の人が必要だ」
 という「経験知」を活用させる仕組みなのだそう

 この対話的検索システムの追加で、マッチングが有意に増加したらしい

 追加入力した「経験知」を人工知能に学習させれば
 こちらも自動化できるかもしれない、とのことでした。

 その他、ライドシェアのウーバー
 (自家用車でお客を乗せるサービス、
 運び手は事前にサイトに登録しておき、
 利用者はスマホで予約できる)
 をもじった「GBAR(ジーバー、名前がユニークですね)」
 の仕組みも考えているそうです。
 これは、シニアの労働を好きなときにスマホで頼めるサービスだそう
 
 筆者は、
 ICT活用によるシニアの仕事マッチングを3段階で実現することを考えているそうで、
 ・まずマッチングできるジョブコーディネーターを育成する
  ジョブコーディネーターのスキルや知識もICTで蓄積、共有する

 ・次に、これらの知識などを人工知能に学習させるなどして、
  ジョブマッチングを高精度化する

 ・ジョブマッチングが高精度になれば、
  たくさんのシニアが労働力として確保できるので、
  それらの人材をICTを活用して適切に配置すれば、
  時間モザイク、空間モザイク的な就労が行えるようになる

 …とのことです

○まとめなど
 筆者はICT活用には
 ・雇用制度設計の見直し、
 ・兼業規定の緩和、
 ・法制度の整備、
 などまだ課題はあるとしています
 また、人工知能で仕事が奪われる、という議論もある。

 しかし筆者は、高齢者クラウドの活用は、仕事をむしろ増やす可能性もある、と述べています
 つまり、一人一人の能力を見いだし、
 社会のニーズと結びつけ、
 高齢者の雇用を新たに産み出す可能性、です。

 筆者によれば、テレワークが進めば、
 シニアが海外の途上国を支援する可能性も出てくる、
 日本のシニアが、世界も豊かにする時代が来るかもしれない、とのことです。

 ICTが、高齢者自身を豊かにし、社会も豊かにする方向に生かされてほしい、
 と筆者は結んでいました。

○感想など
・読みながら、このままだとシニアも若者も、新技術をいち早く理解するか否かで
 勝ち組、負け組が決まる時代になってしまいそうだなぁ~
 と思ってしまいました。

 高齢者は特に二極化が進むんじゃないかしら。

 筆者は高齢者がICTに親しめばこのような社会が進む、と書いていたけど、
 現実的にはそういう新しいものに飛び付けるシニアって、今のところ一部の少数派に限られるように私は思う。

 なので技術の開発も大事ですが、それで経済格差ができても不幸なので、
 いかに多くの人に使ってもらうかも鍵だと思います。

 筆者は柏市の先進的なお年寄りと研究されていますし、
 ご自身も1978年生まれとお若い。
 新しい行き渡りにくい、着いていけない田舎のお年寄りの意見も聞いて進めていく方が
 誰もが取り入れやすい、格差のないやり方が生まれるのではと思いました。

 個人的には、年配の人ってお上意識が強い気がするので、
 (偏見ですかね?)
 国や自治体など公的な組織が進める方が、みんな積極的になるのかも。

 前どこかの県で、
 認知症発見のためのゲーム的なものを定期健診に取り入れている自治体がありましたが
 そういうところからお年寄りにICTに慣れてもらうといいのかなと思いました。

・モザイク労働は、育児中の主婦などにも使えるのではないかと思いました。

 好きなときに働きたい、
 自宅でも働けるようにしたい、
 なかなか埋もれたスキルを生かせない、
 という悩みは、むしろ育児でキャリア中断せざるを得なくなった主婦に多いのでは、と思います。
 少なくとも子供が小さいうちは家庭優先、フルタイムも高給も求めてない人が多いのでは。

 シニアの雇用を考え直す場合、
 どのみち今までの雇用や給与体制全体をを考え直さねばならないのだから
 育児介護など、若者でもバリバリ働けない人のための同様のシステムが、同時並行的にできるといいなと思います。

・筆者の人口ピラミッド逆さの発想はなるほどと思った。
 今の高齢化対策って、
 高齢者を「支えられる人」
 悪く言えば「現役世代の重荷」的な扱いになっている気がする。
 そうではなく、元気な人は逆に支え手にする発想は必要だなと思う。

 ただ、私の母が
 「年を取っても働けと言うのか」
 と文句を言っていましたけど
 高齢者が楽しんで、自分から進んで働けるといいなと思います。

 今の年金制度がやる気を無くさせるのかな?
 義父さんも、働いても年金減らされる、ひどければ税金取られてバカらしい、といいますし…

 年金は年金でみんな一律で払い、
 後から税金引く、とかしたらやる気でるのかな?
 もしくはお金ではなくサービスとか現物で支払うとかしたらいいのかな?

私の貧しい知恵では答えは出ませんけど、
筆者のように若い世代がシニア労働について考えたり、議論するってのは何となく未来に希望が持てる、と感じた本でした。

私は新技術を取り入れて楽しむばーさんになりたいです(笑)
そして、なるべく元気に長生きしたい。
仕事させてもらえるなら、一生社会貢献したいです。

というわけで今回はこの辺で。

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