2018年02月22日

NHKBSプレミアム「アナザーストーリーズ「宿命のトリプルアクセル それぞれの選択」」

NHKBSプレミアム「アナザーストーリーズ「宿命のトリプルアクセル それぞれの選択」」

連日オリンピックが話題になっています。
正直今回のオリンピック、個人的にはあんまり気分が乗ってなかったんです。
頑張っている方々には申し訳ないが、
政治の臭いがどうもねぇ…

てな気分を一掃してくれたのが男子フィギュア。
特に羽生くんのフリー「THE SEIMEI」は別格でした。
瞬きするのももったいない、と思ってしまうくらい、
最初から最後まで見入ってしまいました。

なんだろう、ジャンプがどうとかいうより、心が、魂が揺さぶられました。
手足の細かい動きまで曲や効果音と見事にシンクロして、
彼自身が陰陽師の世界を体現していて、
見ている者がそこに引き込まれる。
最後のダダン!という効果音と大きな手の振りではっと現実に還りました。

衣装も、笛の音や息づかいなどの効果音も素敵でした…
もともと彼は東洋系のすっきりした美少年、たしかに外観的な魅力はありますが、
繊細で神秘的、それでいて一本芯が通った強さを備える和の精神世界を表現できるのは
彼しかいないんじゃないか、と思ったくらい。
2015-16シーズンで世界最高得点をマークしたというのも納得できる。
彼は当時「オリンピックシーズンでは絶対このプログラムにする」と仰っていたそうなので
まさに彼のためのプログラムだったのでしょう。

しかし何より驚いたのは
彼、足を捻挫して、かなり苦労しているはずなのに、
その苦しさを感じさせなかったことです。
途中でジャンプよろけてたけど、そんなのが気にならないくらい、物語の世界に吸い込まれました。
てか、見ている間はほんまに怪我してたん?って思ってしまったくらいでした。

しかし後から報道を聞くと、かなり苦労されていたんですね…。

まぁ私が今さら書くまでも無いんですけど、
年明けまで氷に立つこともできなかったこと、
3週間前まで本格的にジャンプの練習もしていなかったこと…

しかしそれでも彼は冷静に事態を見つめ、やれることをやっていた、と。

人体や解剖の本を徹底的に読んで、怪我の具合を医学的に説明できるようにしたり
演技の構成を考え直したり、
練習できなくても陸上で体力を保つトレーニングをしたり、
演技の開始前から拍手をもらうまでイメージトレーニングを繰り返したり…

普通ならじたばたして、
もうダメだと絶望するか
焦って余計悪くするかしそうなんですけど
そこを乗り気ってやれるだけのことをやって、しかも演技に見せない所がさすが。
そこまで自分の状況とか自分の持ち味を冷静に見て、
すべきことを考えられる力の源はなんなんやろなぁと思ってしまいました。

さてそんな気分で見たのが「アナザーストーリー「運命のトリプルアクセル」」
これは2015年8月放送のもので、
オリンピック始まったとき1回放送していたんですが見ていなくて、
男子フィギュア終わってから興味が出たので見てみました
(なので再々放送?)

内容としてはトリプルアクセルを巡って、
跳ぶことで銀メダルをつかんだ伊藤みどりさん、
跳ばない選択で金メダルをつかんだ荒川静香さん、
トリプルアクセルにこだわり続けた浅田真央さん、
のそれぞれの選択のストーリーでした。

見てたら色々学ぶことがあったので書いてみます。

まずは伊藤みどりさん。
彼女は1992年フランスのアルベールヒルオリンピックで、
女子初のトリプルアクセルを成功させ
欧州以外の選手で初のメダルに輝くという大挙を成し遂げています

彼女は5歳からスケートを始めたそうです
天性の才能があったようで
ご本人も
「歩くより滑る方が自然だった」
山田満知子コーチも
「見てるだけなのに、練習している子よりも上手に滑ってた。
あそこまで才能のある子はあれから今まで会ったことがない」
と話しています
実際、10歳にして5つの3回転ジャンプを試合で跳んでいたそうです

彼女は天才少女と騒がれ、
1988年、カルガリーオリンピックに出場
しかし当時は「美しいスケート」が主流だったので、
ジャンプ技術が売りだった彼女はあまり評価されなかったそうです
当時のメダリストは
「誰だってゴムまりみたいな人より、美しい人を見たいでしょう?」
なんて発言をしていました

伊藤さんはそれでもジャンプにこだわったそうです
誰もやったことがないトリプルアクセルに挑戦しようと考えた

トリプルアクセルは、当時は男子でも難しい技で、
成功させたらメダルが取れるくらいだったそうです

伊藤さんは9ヶ月の猛練習の末、1999年のNHK杯で成功させる
彼女は世界選手権でもその技を披露、優勝を飾る

彼女のジャンプのスゴさを語るデータが紹介されていました
浅田真央さんの指導教官だった、中京大学の湯浅教授が
浅田さんと伊藤さんのトリプルアクセルを比較したそうです

それによると、
普通トリプルアクセルを跳ぶときは、
滞空時間を長くするため、踏み切る前に減速して高く跳ぶ。浅田さんもこのタイプ

しかし伊藤さんはトップスピードで踏み切り、
飛距離を伸ばすことで滞空時間を長くしていた
伊藤さんと浅田さんの踏み切り前のスピードを比較すると
伊藤さんは2倍くらい(6.7m/秒、浅田さんがは3.7m/s)
飛距離も浅田さんよりはるかに長いそうです

ちなみに今のルールだと、
トップスピードで入って踏み切るのは難易度が高く、
点数も多く評価されるそうです
当時はもちろんそんなことは認識されていなかったらしいが、
今跳んでもレベルが高いジャンプを、
伊藤さんは当時既に跳んでいたんですね。

伊藤さんにとっては、トリプルアクセルは
「私のモチベーションを上げてくれるもの」
だったそうです

しかしトップスピードで入るため
「みんな、そんなスピードで入るの?ってヒヤヒヤしてましたね。
 思いきって跳ばないと成功しない、勇気のいるジャンプ」
だったそうです

そしてそのジャンプを武器に引っ提げ、
1992年のオリンピックでは
彼女は金メダル候補の筆頭に挙げられていたそうです

しかし彼女にとってはそれがプレッシャーになったそうです
「跳んで当然、勝って当然なのが辛かった」
「「跳びたい」と「跳ばなくてはいけない」の違いが大きかった」

山田コーチによれば
「リンクの前に来て、滑らなきゃと思うんだけどまた帰っちゃう」
まるで登校拒否児状態…

そしてそんな状態でアルベールヒルへ。
本人に当時の話を聞くと、
伊藤さんはシュシュ(布でできた髪飾り)を取り出し
「私のオリンピックの思い出は、このシュシュと銀メダルだけ」と苦笑。

選手村で引きこもり状態だった彼女に、
コーチが「買い物でも行ってきたら」と言われて買ったのがこのシュシュだったらしい

彼女はこんな気分が乗らないまま競技へ。
一日目のオリジナルプログラム(今のSPに相当)では
安全策として、トリプルアクセルではなくトリプルルッツに変更したが、
日本で練習を十分にしていなかったせいか、そのジャンプも失敗してしまう
この日は4位、マスコミにも叩かれる

次の日、彼女は気分を切り替えたそうです
「トリプルアクセルを跳びたい、って思った」
そして挑戦を決める

フリーの演技では
冒頭に3回転ー2回転のジャンプ
しかし最初のジャンプで2回転にとどまる
「あー気分乗ってないな、て思ってました、でもすぐにトリプルアクセルなんで…」
気分が乗らないままトリプルアクセル、やはり勢いが足りず失敗

しかしそのあとのジャンプを次々に決め、体が動いてくる
「この辺りで、ずっと後半の構成どうしよう、て考えてました」
失敗したジャンプのリカバリーを考えていたそうです

後半、トリプルアクセルかトリプルルッツか…
「ここで後ろからジャンプの体勢に入ってるから、
 みんな、え、トリプルアクセル跳ぶの?って思ってたんですね」
思いきって跳んだトリプルアクセルは成功。

彼女はこのジャンプで銀メダルを獲得。
欧州以外では初のメダルという快挙だったそうです

伊藤さんはこのときを振り返って
「思いきって跳んで良かった、
 失敗しても悔いが残らなかったと思う」
「これ以上の演技はできないからもうここで引退しよう、と決めた」
と話していました
しかし、あんまり直前練習してないのに跳べるってのはすごい…
やはりジャンプの天才だったんでしょうね。


つぎは荒川静香さん。
彼女が伊藤みどりさんのトリプルアクセルを見たのは9歳のとき
「テレビで見てて、あ、また跳ぶんだ、て思っていたら成功して…
そのときの音楽にもマッチして感動したのを覚えています」

伊藤さんのジャンプはかなりインパクトがあり、
当時のスケート少女の間ではトリプルアクセルを真似る子が続出したそうです

荒川さんも当然真似したが、
試合では跳ばなかったそうです
「あれはみどりさんだから、特別な才能があるからできるんで、自分にはできないなと」

とはいえ、荒川さんもジュニア選手権3連覇を果たすなど
「天才少女」と言われた
16歳のときには、史上最年少で長野オリンピック代表に選ばれる
しかし世界の壁は厚く、13位に終わった

このとき彼女は他の外国人選手の演技を見ていて、
「技術的には大して差がない、差があるのは表現力」
と気づいたそうです

その後、振り付けを担当したニコライ・モロゾフ監督に出会い
「自分の心をさらけ出せ」
と教えられ、彼女のスケートは変化したそうです

彼の指導で、一つ一つの動きにどんな気持ちを乗せるのか、考えながら滑ることをしているうちに
彼女は表現する楽しさを覚えた。
「初めてでした、技術を磨くよりも面白くなりました」

そして、2003-04年プログラムの「トゥーランドット」では気持ちを表現するため、
あの「イナバウアー」を振り付けに入れる
この表現力が評価され、このシーズンの世界選手権で優勝する

しかし次のシーズンでルールが大幅に変更
それまでは審査員が総合評価していたが
ジャンプの技術などを細かく加点する方式に変わったそうです

選手たちは新ルールへの対応に追われる
荒川さんによれば
「何が良くて何がダメなのか分からないから、
 誰かが何かをやって良かったらそれをみんな真似する、
 個性が無くなってしまった」

新ルールでは「イナバウアー」は難易度が低いとして点は入らず
荒川さんも外さざるを得なかった

しかしそんな彼女を変えたのが、浅田真央さんだったそうです
トリプルアクセルを武器として、
色んな大会で荒川さんを上回る成績を出す
「トリプルアクセルに常に挑戦するのが彼女の個性だった。
 私も自分の個性を追求しようと思った」

オリンピックシーズンになったときも
「今のルールだと個性のないプログラムばかりだけど、
 自分の個性を主張できるプログラムも素晴らしいんじゃないか」
と考え、イナバウアーも復活させたそうです

ちなみに当時のルールでは、
トリプルアクセルは3.5点、イナバウアーは0点
それでも彼女は、自分の表現のため入れた
「トリプルアクセルは記録に残る技、
 イナバウアーは記憶にしか残らない技。
 不思議ですよね、記憶にしか残んないのに皆さんがイナバウアーを覚えていてくださるなんて」

また、トリノオリンピックは、
ちょうど彼女の実力のピークとぴったり合っていたのも大きかったそうです
伊藤さんによると
「オリンピックは12時5分前でもダメ、5分後でもダメ。
 ちょうど12時にあわせないといけない難しさがある」

そしてフリー当日。
荒川さんは演技開始直前の精神状態について
「名前を呼ばれてから位置につくまでの短い間も、
 どうするか決めておかないと雑念が入る」
と説明していました
余計なことを考え出すとどんどん緊張してしまうんだそうです。

そこで彼女は
「前日のショートの自分の演技を見ていて、
 開始前一瞬鼻をすすっていたんですけど、
 美しくないなと思ってそれは止めようと思った。
 あとトリノのロゴマークの三角みたいなののどの位置に立とうか、と。
 その2つだけ考えていたら集中できた」

そのあとは
「最初のジャンプで何番ジャッジを見ていれば自分が気持ちよくジャンプできるか知っていたから、
 何番ジャッジ、何番ジャッジとだけ考えた」

他の選手がミスを連発していくなか、彼女ほぼノーミスの演技をし、見事金メダルに輝く

彼女は
「これ以上の演技はできないから、もう引退を決めました」

彼女はトリプルアクセルについては
「トリプルアクセルは誰かが跳べばいい、
 私の戦略には無かった」
と話していました

(ちなみに私はこのとき旅行中で、荒川さんのフリーを通して見たことはないんです。
でもだんなの話によると
このときはみんな失敗ばっかりで、こんなの美しくない、オリンピックじゃないっていう会場の雰囲気だったが、
荒川さんが芸術的な演技をしたからジャッジも会場も味方についていた、
とのこと。

今回の番組から推測するに、
このときはルール改定の影響でジャンプ大会になってしまい、
観客が欲求不満ぎみだったのかもしれません。
ヨーロッパの方は芸術に関して目が肥えている方が多いから
荒川さんの演技は余計心を打ったのでしょう。)


そして浅田真央さん。
ちなみにこの番組はオンエアが2015年、彼女が現役続行を表明した時で、
まだ引退はしていませんでした

伊藤さんがオリンピックでトリプルアクセル成功の快挙を成し遂げたとき、
浅田さんはまだ1歳。
もちろんリアルタイムでは見てないですが
浅田さんは幼いときから、
そのときのビデオをすりきれるほど見ていたそうです

彼女は伊藤さんと同じく山田コーチの指導を受けていましたが
山田コーチによれば
「二人とも性格が全然違う」
浅田さんの方が意思が強く、一度決めたら引かない所があるそうです

浅田さんは伊藤さんに強く憧れていたようで
「伊藤さんのようになりたい」
と15歳くらいのインタビューでも答えていました

浅田さんは天才少女というイメージがあるが、
中京大学の湯浅教授の分析によれば
「伊藤さんはたしかに天才肌、ちょっと考えたらすぐジャンプできてしまう。
 でも浅田さんは一つ一つ努力して練習して積み上げていく人」
浅田さんは、人一倍の努力と、
完璧さへのこだわりで結果を出してきたそうです

しかし身長が伸び、ジャンプの感覚がずれてしまったことが彼女を悩ませる
それでも彼女はトリプルアクセルにこだわった
荒川さんによれば
「ほかにも3回転3回転の組み合わせなど、武器はあったはずなのに、
 彼女にとってはそれらを犠牲にしてでも完成させたい技だった」
本人も
「ここまでやってきたのに、
 完成させないで終わらせるのはもったいない」
と22歳くらいのときのインタビューで話していました

そして練習を積み重ねた上でのバンクーバーオリンピック。
SPで1回、フリーで2回トリプルアクセルを跳び、ギネス記録にも認定される

しかし試合後のインタビューでは「長かったけど…」と言葉を詰まらせて涙をこぼしていました
ジャンプは跳べたが、結果は銀メダルでした
(私もソチの時は見ていましたが
そもそも曲や衣装が彼女に合ってないなぁと感じました。
暗いし、ズズーンと重くてジャンプには向かなそう、
ふんわりした彼女の雰囲気じゃない。
世界観もロシア革命だっけ、なんか分かりにくかった。
あと、トリプルアクセル成功にこだわっていたなのかな、
全体的に慎重すぎてスピード感がなかったなぁと…。
その点、キムヨナさんの方がたしかに、ボンドガールなど引き込まれる演技でした
まぁ、あそこまで高得点出すほどだったかは疑問だったが)

そのあと浅田さんは
「全てのエレメンツをパーフェクトにする」
という目標を掲げる

そこでステップの表現力を磨く挑戦をする
「ステップは自分の気持ち、技術の全てをぶつけるもの」
その間、トリプルアクセルをプログラムから外したシーズンもあったが
彼女はソチ五輪一年前のシーズンからトリプルアクセルを復活。

彼女がそこまでトリプルアクセルになぜこだわるのか…
インタビューでは
「トリプルアクセルを跳ばないと、気持ちが引いてしまう
 その気持ちの引きが他に影響するのが怖い」
と話していたそうです

ソチ五輪ではSP冒頭でそのトリプルアクセルに挑戦するが、失敗
ほかにも影響したのか、まさかの16位に

しかし彼女は次の日気持ちを切り替え、
フリーではほぼノーミスの演技を見せ、
世界中を感動させる

番組は2015年時点でしたので、
彼女の挑戦はまだまだ続く、という感じで終わっていました

○感想など
伊藤さん、荒川さん、浅田さん3人は、
周りがなんと言おうと自分を貫いた点が共通していました。

しかし伊藤さん、荒川さんには
やれるだけのことをやりきった、結果もついてきた、という清々しさを感じるのに、
浅田さんに関しては、本人もだと思うけど、
なんかすっきりしないものを感じるのはなぜだろうと思いました。

浅田さんはバンクーバーで銀メダルも取ったしトリプルアクセルも3回とんだ。
ソチのフリーではほぼノーミスの演技もした、
なのにどこか、もったいなかったなぁ~感が残るのはなぜかと。

私なりに考えたんですが、
1つは時の運があるのかなと思います。
伊藤さんの時はトリプルアクセル跳べるだけでも神業で、それだけでも評価された。
ご本人の話を聞いていても、ジャンプどうしようと考えるだけで、
あんまりプログラム全体の表現がとかステップはとか考えていなかったのが伺える。
そういう意味では伊藤さんは表現者というよりアスリートだったんだなと思います。

しかし浅田さんがバンクーバー、ソチに挑んだ頃は
ジャンプ跳ぶのは当たり前になってきて、プラスアルファの表現力も求められていた。

浅田さんがシニア大会に出てきた15歳頃はジャンプや技の評価が細かかったから、
彼女の美しいジャンプは高い評価をされていたのかもしれない。
その技術一辺倒の流れを荒川さんの金メダルが変えた、というのもあるのかもしれない。

それからもう1つは、浅田さんが完璧さにこだわりすぎた点があるのかなと思います。
一般的に細部を完成させるのって、
進歩が見えないわりに労力がかかってしんどい作業だと思う。
仕事でも「8割の仕事は2割の労力で終わるけど、
残りの2割の仕事は8割の労力がかかる」
て言いますけど、
勢いでアイデアで突っ走って8割の方向性決めるのはすぐできるけど、
細部を詰めるのは8割の労力がかかるんですよね。
(文章書くのでもそうですよ)

彼女はそこの2割の作業に8割の労力を注ぎ込み過ぎたんじゃないか、と。
私個人の印象でいうと、
バンクーバーあたりから、彼女のどのプログラム見ていても、
曲の世界観どうとかいうより彼女自身が修行僧みたいでしんどそうで、
なんか見ている方が辛いなぁと思っていました。

その点、今回の羽生くんはたぶん本人はもちろんしんどかったんだろうけど、
それを感じさせなかったのは
「このプログラムを表現したい」
「表現できるのは俺しかいない」
という強い表現欲求、使命感にも似たものがあったんじゃないかと思うのです。
それくらい、スケート以上の何かを彼の演技に感じました。

そういえばトリノの荒川さんも、
今回の番組では触れていなかったけど、
直前にSPもフリーも曲を変更する、という大決断をされたと聞いています。
彼女は「トゥーランドット」を聞いたとき
「ああ、これが私の曲だ」
と思ったそうなんですが、
彼女にもプログラムとの運命の出会いがあったのかなと思います。

浅田さんの場合はそこまでのプログラムとの出会いがあったのかよくわかりませんが
もともと彼女は伊藤さんと同じく、ジャンプやスケート技術を極めたいアスリートだったのかな、
そこに表現者としての技量を求めるのが彼女にとっては大変だったのかなとも思います。

とはいえ、ソチフリーの演技は
彼女のジャンプへの求道者的な生き方そのものが現れていて、
その気迫がビシバシ伝わってくるという意味では素晴らしい演技でした。
順位という記録には残らんかもしれんけど、
見ている人たちの記憶には刻まれるスケーターだと思います。
ただ、彼女がそれで幸せを感じてくれていたらいいんですが…

ちなみに今回男子でもネイサン・チェン選手が
SP16位からフリー1位という大逆転をされていたのが印象的でした。
彼のジャンプ、スピンは美しくて、
(それだけに、衣装もうちょいなんとかしてやれよとは思ったが(笑))
ここに彼なりのプラスアルファの個性が加わったら、
もしかしてスゴいスケーターになるのかも…とも思いました。

昔から失礼ながら、スポーツ選手って何のための職業なの?って思ってたんですが
彼らは自分の体の限界を通じて、我々に生き方とかを考えさせ、変えてくれる人たちなのかなと思った次第です。

自分の強み、自分の個性、自分らしさはなんだろう、
方向性を冷静に見つめていられているだろうか…
などということも考えさせられました。
というわけで今回はこの辺で。
posted by Amago at 12:17| Comment(0) | テレビ | 更新情報をチェックする

2017年10月05日

NHKBS「激動の世界を行く カザフスタン」

NHKBS1「激動の世界を行く カザフスタン」

 不定期でやっている番組で、
 大越健介キャスターが世界を取材していく番組です。
 あんまり知らない国のことを紹介してくださるので勉強になります。

 今回はカザフスタンでした。
 私の友人の師匠(かなり遠い知り合いですが)がカザフスタンの研究者で、
 何回も行ってるとかいう話だったので、名前だけはやたら印象に残っていましたが
 正直、あんまりイメージがないですねぇ…。
 中央アジアの国、草原の国かなというくらい。

 実際見てみたら、
 核実験がたくさん行われていた過去だとか
 ドバイみたいな近未来的な建物が建てられている現在の様子など
 知らなかった顔がたくさん見られました。

 また、たまたま最近「スーホと白い馬」に関する本を読みましたけど、
 カザフ人もモンゴルと同じく遊牧民族。
 文化は多少違うとは思いますけど、
 本に書かれていたような、
 広ーい草原、馬など家畜と生きる生活などがビジュアルで見られて感激でした。
 (後で調べたら
  歴史的には一時期モンゴル帝国に支配されていたんですね。
  ざっくりいうとトルコ系民族とモンゴル人が交じり合った感じみたいです。
  http://www.y-history.net/appendix/wh1501-123_3.html
  (世界史の窓、というページ)には
  「モンゴル人が遊牧トルコ化した」とあります
  モンゴル帝国の時代にモンゴル人に支配され、
  その後トルコ系が入って遊牧トルコ化し、ハーンに反発した民族
  その後、ソ連の支配下に入る…
  けっこう、大国に翻弄された歴史があるみたいです)

 50分ずつの前半、後半には分かれており
 前半は「若き草原の国の歩み」
 カザフの歴史とそれを踏まえたこれからの姿、
 後半は「国づくり新たな挑戦」
 民族としてのアイデンティティを取り戻そうとする様子が映し出されていました。

前半「若き草原の歩み」
○核実験場に使われたカザフスタン
 カザフには、旧ソ連の核実験場だったという暗い過去がある
 1945年~1960年代まで、456回もの核実験が行われていたそうです

 最初に大越さんは、旧ソ連の核実験場を訪れていました
 リルチャトフという町ですが、実験が国家機密だったため、地図には載っていないらしい
 モスクワから遠いのでアメリカには見つからないのと、
 広いので周りが良く見渡せる、という理由で核実験場に選ばれていたようです

 国の責任者と核実験場を回っていましたが、結構本格的。
 30メートルの塔があり、そのてっぺんから核爆弾が発射された
 そこから円心状に広がる土地を14の区画に分けて、
 民家や家畜、戦闘機、戦闘基地などを配備して
 実際どんな影響が出るか確かめていたそうです

 また、無人観測基地もあちこちに置き、
 爆風の温度、風速、放射線量などを観測していたようです
 ほか、モスクワの地下鉄の駅を模した地下壕のようなものも作られていて
 避難シェルターとして使えるか確認していたようです

 大越さんは、爆心地の塔があった場所や、
 地下鉄の駅を模した地下壕を訪ねていて
 「こんな施設を作るために、どれだけの技術とお金がかけられたのか?
  冷戦とはそういう時代だったんでしょうけど、
  何が人をそんな風にさせたんでしょうね」
 とつぶやいていました
 
 ○大統領の陣頭指揮により開発が急激に進む首都
  次に大越さんは、首都アスタナを訪ねていました

  カザフは人口の7割がカザフ人、イスラム教徒が多いそうですが、
  (イスラム教徒ってのは意外でしたが、
   もともとトルコ系民族みたいなので、おそらくその影響なのでしょう)
  市場に行くと他国の人もいるし
  イスラム教では禁じられている豚肉なども売られている
  多民族、他宗教にも寛容な国民なのだそう
  市場には色んな国からの食料があり
  見るだけでも楽しそうでした

  アスタナは私の予想以上に近代化が目覚ましく、
  ドバイとかシンガポールみたいなユニークな建物が多い。
  大統領官邸はホワイトハウスのよう、
  大きい円錐型?の建物はショッピングセンター
  球体のような建物もありました

  これらはナザルバーエフ大統領が指揮して建てさせたものらしい
  この大統領は、旧ソ連の共産党の重要ポストにいた人物で、
  1991年の独立以来ずっとトップの座にいるそうです

  中でも、木の上に金の卵が乗っているような建物
  (聖なる木から何かを宿す卵の象徴らしい)
  では、屋上が展望台になっていて
  さらにそこには大統領の手形があって、そこに手を置けるようになっている
  ここに手を置いて、大統領官邸に向かって願い事をするとかなう、という人もいるとか
  実際列になってその手形に触るのを待っている人たちがいて
  「みんな大統領を尊敬している」と話していました
  大越さんは
  「ここまで来るとカリスマですねえ…」

  ここの市長は大統領に
  「中東のドバイ、東南アジアのシンガポールのように、
   アスタナをユーラシアの国際都市にする」
  という命を受けているらしい
  国際機関、投資家、企業なども呼び込み
  政治や経済の重要な国際都市にする目標があるのだそう

 (しかし、http://www.huffingtonpost.jp/foresight/kazakhstan-asia_b_7002058.html
  (「中央アジアの優等生「カザフスタン」の憂鬱」という記事)
  では、この大統領も70を超え、高齢になっていて、
  彼が引退した後どうなるか、というのは一つのカントリーリスクといえる、
  とあります。
  モンゴル帝国もそうだったけど、民主主義で代表を選ぶというより、
  偉大な指導者がいた方が治まる国民性なんでしょうね。
  カリスマな人がいなくなると大変かもしれないですね…)

 ○資源も豊富なカザフスタン
  カザフスタンは豊かな資源もあるそうです
  カスピ海に臨む町アティラウでは、
  大統領が欧米の石油メジャーを呼び込み、
  油田の開発を進めているそうです
  
  ここで働いている方がインタビューに答えていましたが
  夏は45℃、冬は-25℃の過酷な自然条件の中、
  一日12時間、二週間休みなしで働くのだとか
  
  父親も同じ仕事をしていたそうで
  二人で「国の発展に尽くしたい」
  というような話をしていました

 ○地の利を生かし、経済発展を目指すカザフ
  カザフスタンは、歴史的に交易の中心だったそうです
  北はソ連、東は中国、西はカスピ海に挟まれていて
  シルクロードの交差点でもある

  最近、中国が「一帯一路」構想を掲げており
  その要としてカザフスタンを支援しているそうです

  ホルゴスという中国国境の町では
  中国からくる貨物を中継する貨物基地がありました。
  列車のレールが両国で違うので、ここで載せ替えるのだそうです。
  日本ではありえないくらいのデカさでした。

  また、最近この町では経済特区ができ
  どちらの国の人も自由に行き来でき、関税なしで買い物できるそうです
  このため、中国からカザフの品物を求めてやってくる人たちがいました
  (しかし撮影中、中国の警察がやってきて
   「中国側は撮影するな」と注意してきた
   大越さんは「特区だからいいじゃん、って思うんですけど、中国はそうはいかないんでしょうね」
   と言っていました)

  案内してくれたホルゴス側の担当者は
  「ホルゴスはシルクロードの交差点であり、
   これからは貨物だけでなく、人の行き来もさせたい
   商品だけではなく、人と人との交流も生まれてほしい」
  と話していました

  ちなみにナザルバーエフ大学の学長は勝茂夫さんという日本人だそうですが
  (世銀の元副総裁で、カザフの政策承認にも関わっていた
   大統領に請われてここの学長になったそうです)
  「日本人から見たら分からないようなチャンスが、ここにはある」
  と話していました

  カザフは大国に挟まれているため外交上手、
  交易の要の位置なので商売も慣れているみたいで
  そこに面白さがあるみたいです
  どの国ともうまくやりつつ経済的に発展していく大統領の方針がいいのではないか、
  とのことでした

 〇平和国家としてのカザフスタン
  核実験国だった、という暗い過去から、
  今度は平和国家として踏み出そう、という動きもあるそうです

  首都アスタナでは、核実験の悲惨さを伝える絵画展が開かれていました
  核実験場を閉鎖した記念日なのだそうです

  この絵画を描いた画家さんは、自分自身も被爆者で、
  両親が被ばくした影響で両腕が生まれつきない方でした

  彼女は核実験場から100キロ離れた町で生まれ育ったが、
  物資がなく不便なところなので、今は違う町に住んでいる

  彼女は、両親から核実験の話を何度も聞かされて育ったそうです
  衝撃が村まで届き、
  まぶしい閃光が光ったと思うと昼が急に夜のように真っ暗になり
  黒い雨が降ってきた、とのこと

  彼女はその様子を、口で絵筆をくわえて描いていました
  絵の具のチューブを足で出している
  彼女が一番大切にしている絵があって
  それは遠くにキノコ雲が見え
  近くで両腕のない赤ん坊をベッドに寝かせているお母さんがいる
  自分自身を描いた絵のだそうです

  彼女は「核兵器を無くしていかないと子供たちが苦しむことになる」と、
  ソ連時代から核兵器廃絶を訴えていた
  彼女のような市民運動の結果、
  カザフスタンは、独立当時は世界で4位の核保有国だったが
  今は平和国家として核兵器を放棄しているそうです

  それを認められ、去年には国連の非常任理事国となった
  アジアでは日本とカザフだけなのだそうです
  当時国連大使を勤め、今は外務大臣の方は
  「カザフは歴史的に交易の十字路、文明の十字路だった
   だからこそ平和と安定を徹底する努力をしていかねばならない」
  と話していました

  先の画家さんは
  「カザフには、「平和がほしいならその準備をしなさい」という詩がある」と話していました
   寛容の心を次の世代にも受け継いでいくことが大事だ、と。
  「私の一番の願いは、核兵器の最後の犠牲者になること」

  日本もですが、被ばく国だからこそ、平和の象徴となっていかねばならないのだろう
  と思います。

後半「新しい国づくり」
 後半は、戦争などで世界に散らばったカザフ人を国に呼び戻し、
「カザフ人としての誇り」を取り戻そうとする取り組みが紹介されていました

 ○カザフ人のルーツ
  そもそもカザフ人とはどんな人たちか?
  大越さんはカザフの伝統的な暮らしを続ける民族を訪ねていました

  場所はキルギス(中国付近の町)
  草原の中、車で5時間近く走った場所にテントがありました
  (テントっていうか、ゲルですね。多角形のとんがり屋根の真っ白な外観です)

  たどり着いたのは夜で、暗いのであんまり周りは見えない
  家族みんなで出迎えてくれましたが
  毎朝5時に起きて仕事するということで、
  そのままテントでみんなで寝ていました

  次の日起きてみると
  テントの中は広くて、テーブルや長椅子などもある
  居間と寝室が一体化したような感じでした
  テントの中は見事な刺繍で内装されていました
  テントは昔ながらの作り方で、枠組みも刺繍も全て手作りなのだそう
  とても美しくて見事な刺繍でした

  家の外は、広ーい壮大な草原。
  標高2400メートルの山の中だそうです

  みな5時に起きて乳絞りをすることから1日が始まる
  所有する家畜は1000頭だそうで、
  朝から晩までみんな忙しい
  「大変じゃないですか?」との質問にも
  「慣れてるから難しくない」とのこと

  子供たちも動物が好きで、
  3歳の子も器用に馬乗りしていました
  「我々は先祖代々この仕事をしてきた、
   子供も誰か引き継いでくれるだろう」と家の主は話していました

  彼らは伝統的な儀式?訓練?の「コクパル」を見せてくれました
  家畜からヤギを捕まえてきて
  まず「神様、私たちに災害が降りかからないようにお守りください」と祈る
  と殺するため、まず命に敬意を表するのだそうです
  (命をあやめるってのは、災害が降りかるほどのことなんですね…)

  そのあと、ヤギを真ん中に置く
  そのあと馬に乗った男たちが我先にとヤギに向かい、拾った人からヤギを奪い合う
  ヤギを所定の場所に最初に置いた人が勝ち

  参加していた人たちは
  「血が騒ぐ」
  「馬乗りの技術と強い腕、強いハートが必要」と話していました

  彼らは自分の手足のように馬を乗りこなす。
  その動きを見ていると、馬と一体化しているかのようです
  「馬は我々の大事なパートナーだ」と話していました
  「スーホの白い馬」の世界ですねぇ。(白馬はいなかったけど)

  そのあとみんな馬乳酒を飲み干していました
  大越さんもググッと飲み干し
  「いい飲みっぷり」と言われていました
  この馬乳酒を作るのは女性の仕事なんだそう
  お酒といっても酸っぱい飲み物みたいで、
  (アルコール度は1%とか、かなり低いらしい) 
  なんか体に良さそうです

  その日の夜、彼らはヤギを1頭丸ゆでしてくださいました
  お客さんをもてなす伝統料理だそうで、食べ方にも決まりがある
  頭の耳は最も幼い子にあげる
  「年長者の話をよく聞きなさい」
  という意味らしい

  そしてお客さんに一口食べてもらい、みんなに分ける
  大盛りのお肉でしたが、出されたものは全て食べるのが礼儀
  犠牲になってくれた命に感謝を示すのだそうです

  家族の長は伝統楽器ドングラを演奏し、歌を歌ってくれました
  ドングラは二本の弦だけからなるシンプルな楽器ですが、
  芯が強いというのか、胸にトーンと響きます。

 「また来てください」
 「お世話になりました、みなさんはよく働く人たちですね」
 というような会話をしてお別れしていました

 ○帰還民=オラルマンを呼び寄せる政策
  近年、カザフスタンは外国にいるカザフ人たちを呼び寄せる政策を取っているそうです

  中国から渡り、2000キロを旅してロシア国境に近い町に移動する人たちがいました。
  彼らが目指すのはオリギリ村という小さい村だそうです

  途中、迎えの車が来ないというトラブルもありつつ
  みんなで饅頭を食べお茶を飲み、不平も言わずのんびり構えていました

  たどり着くと、村人みんなで歓迎してくれ、村長自ら案内してくれました
  オリギリ村は過疎化が進んでいるので、移住者は大歓迎なのだそう

  帰還民はオラルマンと呼ばれ、
  政府も手厚く支援している
  4人家族なら30万円、平均の月収の7倍支給してくれるのだそう

  バストイレ付きで広い家など
  空き家らしき物件の案内もあり、
  オラルマンの家族たちは早速すみかを探していました

 ○アルマトイに抑留された日本人兵
  私も知らなかったのですが、
  第二次対戦時、日本人兵がアルマトイに抑留された歴史があるんだそうです
  シベリアだけでなく、アルマトイにも1500人が抑留され、亡くなっている
  ちなみに、アルマトイはカザフスタンの昔の首都だそうです

  彼らの仕事は今も残っている
  旧国会議事堂の基礎を建てたそうです
  国の重要文化財となっており
  今は大学のキャンパスとして使われているそうです
  大越さんは、
  「私も恥ずかしながら知りませんでした」と話していました

 ○民族の精神を呼び起こす国営放送
  カザフはソ連時代、ロシア系に支配されていましたが
  近年ではカザフ人のアイデンティティを呼び起こそう、という動きがあるそうです
  
  その手段の一つとして大統領が力を入れているのが
  国営放送を通じた民族教育、ともいえるもの。
  国営放送の会長は大統領から抜擢された方なんだそうです

  見るからに若くエネルギッシュな方で
  大越さんは「いくつですか?」
  「41です」
  「私が41のときは中間管理職なりたてでしたねぇ(笑)彼はもう会長ですよ」

  この会長は、大統領の意を受け、
  カザフ人の民族意識を高めるため、改革を行っている

  例えばキリル文字(ロシア語の表記)をローマ字表記に変える
  国際化のため、ローマ字を使って世界に発信しているのだそう
  また、放送局のロゴも変えたそうです
  カザフの頭文字KがQになっている
  カザフ人の言葉の発音に近いのだそうです

  もちろん、番組内容も刷新している
  会長はほとんどすべての番組をチェックしているそうです
 
  この日、番組の仕上げの会議に出席していました
  会長は「エンディングがヨーロッパの番組みたいだ、カザフらしい色にしないと」
  と変更を迫る
  現場の人たちは
  「そんなのみんな知らないよ」
  「でも私たちは知ってる」
  と譲らず反論
  長い議論になっていました

  会長の肝いりで作られた番組があるそうで、
  大越さんはその撮影現場にも同行していました
  この番組は伝統楽器ドンブラの演奏と歌を競う番組で
  その名も「我こそカザフ人」

  演奏者はステージで演奏をし、
  3人くらいの審査員が審査する

  結構ガチで審査しているのがビックリでした
  「最近の若い人はこの歌の意味を分かっていない、
   ドンブラの演奏も中途半端だ」
  などとかなり評価も辛らつ。

  しかし、その中で伸びのある、哀愁漂う声で歌う若者がいました
  審査員たちは彼の演奏と歌にうっとりと聞き惚れ、
  「声もきれい、曲の意味も理解している
   心を込めた演奏で心に響いた」と大絶賛。
  なんと最後に審査員からのアンコールをもらっていました

  大越さんは、
  「ドンブラって2本しか弦がないから難しくないですか」
  と会長に聞いていましたが
  「本物のカザフ人はドンブラ、ということわざがあるんですよ」という謎の言葉。

  大越さんの解釈によれば
  カザフ人はドンブラに似ているのではないか、とのこと
  弦が2本しかないぶん、
  自由な弾き方ができるし音色はシンプル
  この音色、演奏スタイルが、
  広い草原を馬に乗って自由に行き来する彼らの生き方に通ずるのかなと思いました

  会長は
  「人々に伝統文化を見せることで、カザフ人の精神を呼び覚ましたい」
  と話していました
  カザフ、という言葉は自由とか独立という意味があるそうです
  カザフは独立以来、制度や通貨など、国の枠組みは出来てきた。
  今度は精神、カザフ人のアイデンティティを育てていく段階、
  新しいステージに入った、という話をしていました

 ○安定を捨て、祖国に帰ってきた若者
  大越さんは最後に、キルギス村に移住してきたオラルマンの若者を取材していました

  彼は中国で公務員をしていたが、
  母親とこの村に移り住んで来たそうです
  収入はそこそこあり安定していたのに、その生活を捨ててやってきた
  「なぜそんな決心を?」
  という質問に
  「どうしても子孫をカザフ人として育てたかった、それが理由です」
  彼はまだ独身だが、こちらで結婚して子供も欲しいそうです

  彼はキルギス村に来て
  「なぜこんなに土地があるのに何もないのか、と思った
   ここにはチャンスがある」
  と話し、牛を飼い、野菜や果物を育てて商売したい、と話していました

  母親も
  「息子がいて心強い」
  「ここで孫が見られたら幸せ」
  と話していました
  父、妹、姉を中国に残しており、いずれ呼び寄せたいとのこと

  また、キルギス村には、いったん都市部に移住した人も様子を見に来ていました
  気に入ったら引っ越そうと思って来るのだそうです
  彼らは「広い土地がある方がいい」と話していました
  (せせこましいところでは生きにくいんでしょうかね…)

  政府もオラルマンを支援しており
  キルギスにももっとたくさんの人たちがやってきそうです。
  「今日も5、6軒の家族が来る
   3日後にはまた5軒来るよ」
  「自分達が頑張れば、必ず明るい未来がやってくる
   自分の能力を国のために生かしたい」
  と、オラルマンの彼は話していました

 番組のまとめとして、
 「自分たちの未来は自分で切り開く、という自由、
  それがカザフ人の精神なのかもしれない」
 というような話で終わっていました

〇感想など
 カザフスタンってあんまりイメージなかったんですけど
 今後がかなり面白そうな国ではあるなと思いました

 http://www.procrasist.com/entry/kazakhstan
 「今年はカザフスタンが熱い!日本人だからこそ行くべき『超近未来都市』」
 なんて記事もありまして、読んでいて楽しい。
 いいね~カザフスタン。
 今年は万博が開かれるようですね。

 ただ、行くのは結構お金と時間がかかるみたいです(10万~15万)
 乗り継ぎもあるので、ほぼ1日かかるみたいです。
 それこそ「こんなところに日本人」の世界になりそうだけど、
 まあ、ほぼロシアというかヨーロッパに近いからしょうがないのですが。

 資源もあり、中国、ロシア、ヨーロッパにも近い、しかも平和、
 さらには若い人たちが希望に満ちている、
 とくれば、商売的にも次に来そうな印象を受けますね(笑)

 しかし、何よりも勤勉で素直な国民性には好感を持ちました。
 というか日本人に近そうで親近感を覚える。
 こういう国民性って、競争社会には向かないんかな?
 でも応援したくなります。
 日本との交流ももう少し増えるといいなと思いました。

 第二次大戦での日本人抑留、冷戦での核実験など
 負の歴史についても知ることができました(私も恥ずかしながら知りませんでした)
 でもそれを恨むこともなく、かといって忘れることもなく、
 より良い未来を作ろうと真っすぐに進む彼らの姿は、見ていて美しいと思いました。
 これもドンブラの精神、カザフ人(遊牧民たち)の精神なのかな。

 いろいろ勉強になりました。
 というわけで今回はこの辺で。
posted by Amago at 11:59| Comment(0) | テレビ | 更新情報をチェックする

2017年09月01日

NHKBSプレミアム「アーススキャナー~“空白地帯”の謎に迫る~」

BSプレミアム「アーススキャナー~“空白地帯”の謎に迫る~」

世界の地図上で空白になっている所を調べに行く
という番組でした。

地理好き、地図好き向けのマニアックな番組かなぁと思っていたのですが
意外とそこには深い話があり、予想より面白かったです

進行は鈴木浩介さんと池澤あやかさん(IT女子らしい)
AIの「アーススキャナー」のオペレーションルームにいる、
という設定でした

 番組では3ヶ所取り上げられていました
 1地図にない水上都市(ナイジェリア)
 2海にそびえる謎の巨大構造物(イギリス)
 3ソ連時代にタイムスリップしたかのような町(モルドバ共和国)

というわけで内容。

1地図にない水上都市(ナイジェリア)
 ここではゲストにナイジェリア出身のボビー・オロゴンさんを招いていました

 地図を見るとナイジェリア、ラゴスという街の一角に空白地帯があり、
 「Makoko」と書かれている

 ボビーさんに聞いても
 「あんまり行かない」
 「あんまり知らない」
 ナイジェリアの人にとっても謎らしい

 地図を見るとここだけ真っ白だが、
 衛星画像では家がびっしり並んでいます。
 てことは人が住んでるんですね。

 現地のナイジェリア人リポーターの方が取材に行った映像がありました

 ・マココ地区
  ナイジェリアのラゴスは賑やかな街で
  アフリカでは、エジプトのカイロに次ぐ第2の都市なんだそうです

  マココに行ってみると、普通に露店のような商店が並ぶフツーの町。
  リポーターの女性も、キャッサバ(イモみたいなの)をあげたものを食べてました。

  しかし、この地区はほとんどが水上なのだそうだ
  現地の案内者とボートに乗っていくと
  水上には、簡素な家があちこちに浮かんでいる
  彼らは水の上で暮らしているらしい

 ・水上での暮らし
  水上のわりと広いところでは
  小さいボートが行き交っていて
  物を売る人もいました

  服を売るボート、
  パンを売るボート、
  ジュースを売るボートも。

  ジュースはビニール袋に入れて
  ストローを刺して飲むんですけど、
  リポーターも「これ美味しいのよ~」と飲んでました(笑)

  中には銀行屋さんもいました
  手帳を持ち、手数料をもらってお金を管理しているらしい

  水上学校もありました
  現地の人と外国の支援団体が作っていて
  先生はボランティアの方がしているそうです

  つまり水上でも物資には困らないらしい

 ・インフラなど
  インフラはどうかというと、
  水は陸からパイプを引いて手に入れる。
  土を入れて埋め立て地を作る人もいたし、
  電線を自分で引いている人もいました

 ・家屋
  電線を引く人の家にお邪魔すると、
  家屋は木造、わざと隙間のある造りになっている
  蒸し暑いからだそうです

  建物は二階建て、
  一階に台所、二階でご飯を食べるらしい

  電気は通るが、状態が悪く1日2、3時間くらいしか使えない
  しかも電気代は高いのだそう

 ・生計
  彼らは商売人もいますが
  伝統的に漁師さんが多いそうです
  この家の方も伝統的な漁で、
  9歳の息子さんと、船で10分ほど行ったラグーンで投網漁をしていました

  ここは海水と淡水が交わるところで魚がよく採れるのだそう
  1日でナイジェリアの平均労働者の1週間分稼ぐ日もあるそうです

 ・日本人調査員の話
  日本大使館の方が、彼らの生活を5年調査しているそうです。
  テレビ電話でインタビューしていましたが

 「なぜ5年も調査を?」
  という質問には、支援に向けて、謎だった彼らの生活を把握するためだ、とのこと
  「物資はあるが、衛生状態はいいとは言えない、
   医薬品や医療関係者が不足している」
  と問題点を指摘していました

 ・なぜ彼らは水上で暮らすのか
  ではそもそもなぜ彼らはわざわざ水上で暮らすのか?

  それは、彼らの歴史と生活に関係するそうです

  彼らの多くはエグン族という民族で
  伝統的に漁業をしてきた人たち。
  ボビーさんの属するヨルバ族とは違うのだそう
  (ナイジェリアの多くはヨルバ族らしい)

  エグン族は土地を持たず
  魚が採れる漁場があればそこに移動し、
  魚が高く売れる所で生活してきた

  この地区の近くにはラゴス環礁があり
  淡水と海水が交わる所なので、
  魚がたくさん採れる
  都市も近いので高く売れるのだそう

  先の電気を引いていた家族も
  ナイジェリア国内の違う漁師町に住んでいたそうですが
  魚がたくさんとれるのでこちらに越してきたそうです、

  他にも、隣国ベナンから来た人たちもいました

  よほどいい漁業なのか
  2000年と2017年の衛星画像を比べると、居住地は拡大しているそうです

  リーダーの一人によれば
  彼らは18世紀から、
  ベナンやナイジェリアの海辺で暮らしていて
  移動しながら漁をして暮らしてきた、とのこと

 ・国境の問題
  しかし、国境の問題がある。
  先の調査員の方に話を聞くと
  「20世紀に入ってこの地に列強が進出してきて、
  この土地に後から国境を引いてしまった
  そしてベナンはフランス、ナイジェリアはイギリスが支配した」

  「しかし、彼らは何百年も、移動して生活してきた背景がある
   だから、パスポートを持たずに移動する人もいる
   国際法的には、そういう人は、不法移民ということになってしまう」

  「国際法違反だ、と簡単に言うことは出来るが
   彼らの歴史を考えれば、もう少し柔軟になる必要はあると思う」
  とのことでした

  アフリカでは、国境、てのは欧米の都合だけの話なんだな、と改めて実感させられました。
  住んでる当人たちにはあんまりピンと来ないのかもしれないですね。
  ボビーさんも、民族が同じ人は言葉も同じなので、国が違っても別の国には思えない、
みたいな話をしていました。
  最近ベナン出身のタレントさんが同じ民族だと分かったとか。

 ・彼らを認めない政府
  2012年、ラゴス州の政府は
  環境保護や治安維持の名目で
  彼らの家を強制撤去したそうです

  家を壊されたため野ざらしになり
  弱い子供など、亡くなった方も多かったそうです

  しかし彼らはたくましい。
  半年後には、新しい家屋を建てていました。
  近くに木材の集積地があり、製材所もあるため
  魚を売ったお金でそこから木材を調達し、新しい家や簡易ボートを建てられたのだそう

  なぜそこまでしてここに住むのか?
  という問いに対しては
  「私たちは魚が採れる所に住んで暮らしてきた民族、
   それ以外生きる道がない」
  と答えていました

 彼らは、政府に認められていないために地図に載っていないようです。
 しかし、確かに彼らは力強く生きている。
 ボビーさんは
 「生きる力だと思いますよ、
  だって僕らがあそこに行ったって多分生き延びられないよ」
 池澤さんは
 「私泳げるからあそこに住んでも大丈夫そう~」
 と言ってましたが
 鈴木さんは
 「強気ですね、僕泳げるけど無理、て思っちゃった」(笑)

さて次のお話に入ります
2海にそびえる謎の巨大構造物(イギリス)
 ここでのゲストはイギリス出身のピーター・バラカンさん、DJをされているそうです
 (何でDJの人?と思ったけど、
 後で疑問が解けました)

 最初に、この「シーランド公国」発行の切手が…
 国の存在を主張して発行したらしいんですが
 切手収集家の間では
 「シンデレラ切手」
 と呼ばれているらしい
 (未公認国家のなので、いつ消えるか分からない、という意味らしい)

 さてこの「シーランド公国」、地図上で見たらどうなるか?
 最新の衛星画像では、海に浮かぶポツンとした点みたいなので、何だか分からない。
 ピーターさんは
 「ロンドンのちょっと東ですね」

 そこで、スタッフが実際に訪ねたそうです

 ・シーランド公国訪問
  まず訪ねたのはハリッジという港町。
  ここから船で行くのだそうです
  「皇太子」と称する方が迎えに来てくれました

  しばらくいくと何か見える。
  しかし島かと思ってたら
  見えるのは鳥居のような形をしたコンクリートの建造物で、
 「SEA LAND」と書いてありました。

 どうやって上陸するかというと
 てっぺんからクレーンみたいなので引き上げるのだそう。
 クレーンの先にはブランコがあり
 そこに座って引き上げてもらう

 スタッフが「大丈夫?」と不安そうに聞くが
 「失敗したことはないから大丈夫」
 無事上陸していました

 さて上陸すると
 数人の「国民」が待っていました
 いつもは一人ずつ、2週間交代で守っているらしい

 ・シーランド公国の生活
  実は、ここは英国海軍の要塞だった建物をリサイクルして使っているそうです

  生活はできるそうで
  食料は、イギリス本土から調達
  ただし2週間に1度しか補給されないので缶詰などが多い

  水は雨水を貯めて使い、トイレ、シャワーもある

  電気は風力発電で賄う
  海の上なので風はビュービュー吹くらしい

  唯一問題なのが冷蔵庫で
  電気を食うので小さいのしかないそうです

  建物の構造としては
  鳥居の上の平らな部分はメインのところで
  ダイニング、キッチン、リビングルームがある

  柱部分は階層構造になっていて
  地下6階まで部屋があるらしい
  地下1階は発電所、ディーゼル発電機がある
  地下2階はビリヤード台とトレーニングマシーン
  地下3階はゲスト用の寝室
  地下4階は礼拝堂、
  地下5階は会議室
  地下6階は刑務所があるんだそうだ

  一応、5階で議会を開き、
  国民は187人いる、とか言ってたけど
  会議室の椅子5脚しかないし、どこまで本気なのか(笑)

  元々は海軍の要塞なので
  ダーツの跡とか大砲を保管していた名残などが残っていました

  イギリスには、ドイツからの攻撃に備えて海上にこういう要塞が多くたてられ、残っているものも多いのだそうです

  ここにすむ「国民」の方によれば
  機械など老朽化が進んでいて
  それを直すのに忙しいらしい
  でもうるさいボスがいないから最高、と話していました

 ・シーランド公国の歴史は「自由」への戦いの歴史
  最近、この国への問い合わせが多いのだそう
  イギリスがEU離脱を決めてから、
  市民になりたいという人が増えているのだとか
  「自由を求める人にとっては最後の砦」なんだそう

  自由の砦とはどういう意味か?
  それは、この国の成り立ちと関係しているらしい

  この国はロイ・ベーツさんという方が1967年に建国されたそうです

  彼はスペイン内戦に義勇兵として参加、
  自由を信念として持っていた

  彼は戦後「海賊ラジオ」を開局
  「民間ラジオがないからこうするしかなかった」
  というのは、当時ラジオ局はBBCしかなく
  かけられる音楽も限られていた
  ビートルズなど、流行っていた音楽も1時間に1回など、かなり少なかったそうです

  このため、自由にレコード盤で音楽を聴きたい人が、
  無許可で海上からラジオを放送していたため「海賊ラジオ」と呼ばれた
  現在DJしている人なんかは
  この海賊ラジオを聞きまくっていたのだとか

  ロイ・ベーツも1965年、ラジオ・エセックスを開設
  しかし政府は違法者として1日100ポンドの罰金を課した

  そこで彼は領海外の場所に脱出を試みる
  当時沖合3㎞までが領海だったので
  その外からなら違法ではないと考え、移転の準備を始めたそうです

  しかし、政府は新しい法律「海洋放送犯罪法」を制定し
  「領海外からの海賊ラジオも違法」としてしまった

  彼らは新しい国を作ることを決意
  1967年、領海外にシーランド公国を作ったそうです

  国はそれに対して違法だ、と裁判を起こしたが
  裁判所は、シーランド公国は領海外なので問題ない、
  となんと政府の訴えをしりぞけたのだそう

  今のシーランド公国の国旗は赤、白、黒の三色ですが
  赤はロイ・ベーツ、
  黒は海賊ラジオ、
  白は純粋な道を示しているそうです
  今でもこの国は自由の象徴と取る人もいるんだそうです

  ロイ・ベーツは国のお金を稼ぐため
  独自の切手、記念コイン、爵位状などを作り、売っていたそうです。

 ・ピーターさんの解説
  ピーターさんも、
  「海賊ラジオは僕らの青春、
   法律で無くなると聞いたときは涙して聞いてました」
  だそうです。熱烈なファンが多かったらしい
  「僕もいつか自分のラジオを持ちたいと思いましたね」

  ピーターさんによれば、
  禁止令を出した翌年、
  BBCはチャンネルが増え、音楽を流す若者向けのチャンネルを開設したそうです
  そして、放送禁止令により職を失った海賊ラジオDJを抜擢したのだそう

  鈴木さん
  「そこは仲良くなったんですね」
  ピーターさん
  「彼のやってたことはエキセントリックですけど、
   イギリスはエキセントリックな人が好きなんですよね、
   今でもそういう人たちを応援するような所があります」

  「それからイギリスは個人の自由を求めますね。
   現実には階級とかは未だにあるけど、
   個人主義が深く根付いている」

  鈴木さん
  「それから裁判所も認めちゃったんですね」
  ピーターさん
  「国際海域でやってるから違法じゃない、そこはイギリスの裁判所もフェアにやってる。
  イギリス、民主主義のあるところは政府の圧力も裁判所には及ばないんです」

  ただし、現在は沖合12㎞が領海となってしまったのと、
  国際法では人工的な建造物は国にすることが出来ないそうで
  やはり違法ではあるらしい。

  一応イギリス政府にも取材を申し込んだそうですが
  「コメントは一切しない」
とのことです

  でも、黙認はしているのよね。
  何となくイギリスの懐の深さを感じます

  ピーターさんは
  「まぁ、認められなくても、彼らは自由にやってたらいいんじゃないですかね」だそうです(笑)

さて次の話です
3ソ連時代にタイムスリップしたかのような町(モルドバ共和国)
 ここのゲストは元大関の把瑠都さんでした。
 彼はエストニア出身で国は違いますが、
 どちらも旧ソ連の国です。

 最初に、プラスチックのおもちゃみたいなコインが出てきました。
 このコインは実際にこの共和国で流通しているそうです
 ロシア語なので把瑠都さんに読んでもらうと
 「プリドネストロスキー共和国」と書いてあるとか
 把瑠都さんはコインコレクターらしいですが、
 「見たことない」
 と話していました

 この「プリドネストロスキー共和国」は、モルドバのドニエストル川近くの地域。
 モルドバの人たちにこの共和国のことを聞くと、
 「沿ドニエストル地方のことね、
  この地域のことはあまり話したくない」と訳ありな感じ。

  地図にないので、スタッフが訪ねたそうです

 ・まるで旧ソ連のような街
  この街に入るには、通行ゲートを通るのだそう
  ゲートをいく人はパスポートを持っていて
  そこには「Migration Card」と書いてある紙が挟んである

  沿ドニエストルに行くと
  ハンマーと鎌(旧ソ連国旗の左上にあるマーク)
  の周りに、小麦と果物などの絵が書かれた独特の旗が、あちこちに掲げられている

  中心都市のチラスボリという所は人口10万以上のにぎやかな街ですが
  レーニンの像があり、
  役所には「ソビエト会館」と書かれており
  昔のソ連の名残が残っている

  ここは住民の3割がロシア系で
  経済的にもロシアと結び付いているそうです

  例えばコインは例のプラスチック製の独自通貨を流通させているが
  紙幣もこのコインも、ロシアの支援で発行されている

  また、石油のパイプラインがロシアから引いてあり、実質無料
  年金もロシアから1割支給されているそうです

 ・沿ドニエストル地方の歴史
  モルドバ共和国はルーマニア語圏らしいのですが、なぜここだけロシアの世界なのか?

  もともと、この地にはロシアが人を送り込んできた背景があるそうです
  オスマン帝国の時代、この地はトルコに支配されていたが
  ロシア帝国が対抗上、この地域にロシア人を送り込み、移住させていた
  ソ連の時代でも、
  労働者や農業生産者がモスクワなどから送り込まれていたそうです

  そして1990年には、ロシア系住民を中心に、
  ここの地方はモルドバからの分離を宣言した
  しかし、国際社会からは受け入れられなかった

  1991年にソ連が崩壊し
  モルドバ共和国が独立すると
  モルドバは西側諸国に近付く

  このため、沿ドニエストルの人たちは反発し、1992年に内戦が起きる
  1992年7月に沿ドニエストルが一方的に独立を宣言したそうですが
  国際社会からは未だに認められていないそうです

  彼らは独立したつもりなので
  警察も軍隊も議会も、モルドバとは違うものを持っているそうです

  車のナンバープレートの国旗も違うもの、
  言語もキシニョフ(モルドバの首都)はルーマニア語なのに対して、
  沿ドニエストルはロシア語なのだそう

  学校では、国の成り立ちについての教育に力を入れているそうです

  把瑠都さんによれば
  「ソ連崩壊で、色んな国家がソ連から独立したとき、
   まず最初にレーニン像は撤去されたんです。撤去はロシアからの独立の象徴だった」
  「沿ドニエストルはそこをあえて残しているんですね」

 ・国際的には認められていない国家
  沿ドニエストルのような国際社会から認められていないため国家は
  「非承認国家」と呼ばれている

  モルドバ政府にこの地方について聞いたところ
  「モルドバ共和国も沿ドニエストルも
   国際社会に認められた1つの国境の中にあると認識しています、
   今後は国の再統合に向けて取り組んでいきます」だそうです

  他国からは認められていないため
  輸出品には「沿ドニエストル産」ではなく
  「モルドバ産」と書かないと受け入れられない
  パスポートも、モルドバ共和国のでないと使えないらしい

 ・研究者の解説
  北大のスラブユーラシア地方研究センター研究員の方に、
  テレビ電話でこの地方についてインタビューしていました
  ロシアが年金支給など、経済的支援をしてきたことについて
  「ロシアにはなにかメリットあるんですか?」と聞くと
  「モルドバ共和国が、西側諸国に取り入れられないように
   ロシアが影響力を行使して
   何かあったときのカード、あるいはテコとして使う考えなんだと思います」

  しかし最近少し情勢が変わっている
  「2016年のモルドバの選挙で、
  大統領が親EUから親ロシアの人になったんです」
  モルドバの大統領は、ロシアとの関係改善を打ち出しており、
  ロシアはもう西側諸国に対抗する必要も無くなるので
  沿ドニエストルへの支援をこのままフェードアウトしていくつもりらしい

  研究者の方によれば
  「結局ロシアは支援はしてきたけど、
   ロシアにとっては財政負担になる、
   だからこれからはロシアは支援を減らして、
   沿ドニエストルをモルドバに再統合せざるを得ない方向に持っていくんだと思います」

  鈴木さんは
  「んー、負担になっちゃったから戻して下さい、てのも
   そこに住む人たちにとってはあんまりですね…」
  大国に翻弄される人々の悲哀が感じられました。

  市民の中には将来を悲観してロシア領事館に行き、
  ロシアの市民権を得ようとする人たちもいるんだそうです

  沿ドニエストルの人は
 「もう独立宣言して20年以上たつのに未だ認められていない、
  独立できそうにないのはもう慣れた。
  今は安定した生活が欲しい」
  と話していました

  ただこの方、「下を向いていても仕方ない」
  とギターをもって歌い、趣味の絵を描き
  孫娘は美容師になることを夢見ている
  厳しい現実は現実として、陽気に暮らしている姿もありました

●まとめ
 番組の最後には
 池澤さんは
 「何も無いところって空っぽなのかと思っていたけど、
  そうじゃなくて、書けない色んな事情があったんだなと思いました」

 鈴木さんは
 「歴史、状況、未来、過去とか、
  色んなものが見られたのが興味深かったです」

 さてこの空白地帯のスキャン、まだまだ続く、かも?
 という感じで終わっていました

○感想など
・最初のマココの話では
 以前読んだ「アフリカ 希望の大陸」(ダヨ・オロパデ)という本に、
 アフリカ人のたくましい「カンジュ」精神が描かれていたのを思い出しました

 カンジュとは彼らの言葉で
 「不便さを逆手にとってやりくりするたくましさ」
 みたいなのを示しているんですが
 (貨物コンテナを再利用して病院にしたり
 サッカーW杯で余ったブブセラで簡易洗濯機を作ったり、
 交通が整備されてないから自分たちで夜中の違法バスを走らせ、
 それでも客は多く、そこで物を売り歩く人もいる…など)

 マココ地帯でも、水上の不便さもものともせず、
 近くにある材木をうまく使って家を作ったり
 魚とりだけでなく、ボートで物を売り回って日々の糧にしていたり
 とにかくアフリカ人って図太い、素敵だなと改めて実感させられました。

 また、本には
 国境は実態を全く反映していないという問題点を指摘していました
 (そのため、国民に愛国精神がわかず、
 国の指導者はバラマキ政策、あるいは恐怖政治をして支持を集めるしかない)

 マココ地区に住む人にとっても、
 ベナンもナイジェリアもあんまり意味がない区切りなんでしょうね。

 先の本では、陸地でも移動をして生活している民族がいると指摘しており
 おそらくアフリカでは、EUのシェンゲン協定みたいな
 人の行き来が自由にできる制度にしてしまった方が
 生活も経済もうまく回るのかもしれません。
 あるいは、土地ではなく部族で国を決めるような
 全く新しい国のあり方も模索すべきなのかもしれません。

 …そんなことを考えさせられました。

・2番目の話では、イギリスの国民性の話が興味深かったです。

 昔エマニュエル・トッドさんが
 (彼はフランス人だが、イギリスに留学もしだそうです)
 イギリス人について
 「社会は階級社会だが、思想は個人主義」
 と書いていました
 イギリス人は個人の自由を尊重する、
 ブレグジットもその現れで、ドイツのEU支配から逃れるために国民が離脱を選んだ
 たいう見方をされていましたが、

 ピーターさんの
 「イギリスは個人の自由を尊重する」
 という言葉と重なりました。

 ロイ・ベーツさんの行動も、彼を支持した社会も
 今シーランドが再評価されているのも
 全て個人の自由を尊重する思想の現れなのね。

 またトッドさんは、イギリスについて
 「民主主義が徹底している」
 とも書いていました

 その証拠として、国民投票でのブレグジット選択後の政治家の動きを挙げ、称賛していたと思います
 当時のキャメロン首相は国民の意を受けいれ、速やかに辞任や後任選出の流れを作った、
 また次のメイ首相は、
 自身は元々残留派なのに、
 国民の意思を尊重して離脱手続きを行っている、と。

 シーランドの件でも、
 裁判所の判断は世論とか政治に左右されず、独立しているところは
 民主主義が徹底しているなと思いました。

 また、「エキセントリックな人を愛でる文化」…(笑)
 アメリカもそうなんですが、
 芸能人のゴシップとかでも、
 けっこうぶっ飛んだことをしてたら、日本なら干されますよね。
 でもこういう国だと容認というか、むしろ支持されちゃったりしている…
 これは、変わった人から新しい何かが生まれることもある、
 だから応援する、みたいな
 アングロサクソン系の考え方があるんかなと思いました
 (先のトッドさんによれば
 変革はアングロサクソンから生まれるらしい)

・3番目の話は、ロシアのしたたかさというか冷徹さを感じました。

 ロシアについては
 「ザ・リアルボイス」とか
 プーチンさんのドキュメンタリーとかを見ていたので、
 なるほど~と思いました

 以前、問題にされたクリミア併合では
 「ロシア系住民を救うため」
 というロシアの名分があり、
 ロシア国民やその地域の人たちもそれを支持し、
 世界からの経済制裁も、一致団結して農業などの国内生産を増やし、乗りきっています

 沿ドニエストル地方の支配もそれと重なりました。
 プーチンさんは人の心をつかむのが上手だそうなので、
 たぶんロシア民族で団結しよう、
 ロシア人を助けよう、
 みたいな鼓舞の仕方が上手なんだろうぁと思う。

 しかし本当にロシア系住民のことを考えているかと言えば疑問符はつく。

 プーチンさんは結局自分の権力を守りたい人みたいなので、
 (色んな黒いことを既にしているので守らざるを得ない、
 というのが正しいかもしれない)

 沿ドニエストルみたいな複雑なところは
 西側諸国に対抗するための格好のカードに過ぎない。

 西側に対抗する必要が無くなったから
 沿ドニエストル地方の支援から露骨に手を引く、てのはその現れなんだろうけど、
 たぶんそこも彼のこと、
 徐々にフェイドアウトして、非難を受けないようにうまいことやるんだろうな、と思いました。

 翻弄される沿ドニエストルの人々…
 最後に取材されていた、沿ドニエストルの家族の楽観主義が何か救われる気がしました。

地図に載らない地帯にも色んな人がいて、ドラマがあるんだなぁと思わされました。
また続編あるんかな?
(視聴者の反応が良ければやるんかな)

というわけで、今回はこの辺で
posted by Amago at 15:33| Comment(0) | テレビ | 更新情報をチェックする