2017年09月28日

NHKBS世界のドキュメンタリー「どうして太るの?」

NHKBS世界のドキュメンタリー「どうして太るの?」

 2016年、イギリスのドキュメンタリー。
 えらいストレートな題ですが、
 ここで扱っているのは100㎏を超すような超肥満の方々で、
 ここまで来ると体質的なものもあるようです。

 それにしても科学大国イギリス、アメリカ。
 遺伝子診断、胃の切除、さらには便の移植と、
 そこまでやるか?という治療法がいくつか紹介されていました。

○今回のナビゲーター
 今回のナビゲーターは、ケンブリッジ大学のジャイルズ・ヨー氏。
 彼は遺伝学者で、肥満遺伝子の研究をされているそうです

 彼が肥満について知るため旅に出る、という設定で番組が進んでいきました。

 ちなみに彼はそんなに太っているようには見えなかったが、
 BMIは27.1(25以上が太りすぎ)
 体脂肪は28%(25%以下が正常)
 とやや太っているのだそうです

 これはなぜかと言えば
 イギリス人には太っている人が多いから、みたいです
 イギリス人の6割が太っているのだそうだ

○太っている人の苦労
 ヨー氏はまず、太っていることでニュースになった人を訪ねました
 その人は、太っているので飛行機の座席を2つ予約したら
 離れた列の席2つが登録されてしまった、
 という話が新聞の記事に出ていたそうです

 その方は235㎏、かなり大きい。
 そのときの話を聞くと
 「自分がバカみたいに思えた」
 とみじめな思いをしたそうです
 そして
 「いつもそんな扱いを受けている」
 みたいな話をしていました

 彼は小さい頃から肥満児で、
 そのためいじめられたりバカにされたりしたそうです
 そしてそのストレスから逃れるため、
 お菓子を部屋に持ち込んでこっそり食べていたらしい

 大人になってからも
 妻を亡くしてから、
 その寂しさから逃れるため食べ、布団にくるまる生活をしていたらしい

 彼によれば、マスコミにも責任がある、とのこと
 太った人を悪く扱うし、
 食べるのを減らして運動しろというが、そんなに簡単にはいかない
 彼くらい大きくなると、動くのも人の助けが要るのだそうです
 「人生は不満だらけ」
 と話していました

 他にも肥満の方々に話を聞くと
 「まともに扱ってもらえない」
 「知的でないと思われる」
 「拒絶される」
 と世間の風当たりは厳しい

 また
 「落ち込むと食べ物に手を出してしまう」
 「食べるのをどうしてもやめられない」
 「タバコやお酒は無くても生きていけるが
  食べることを断つわけにはいかない」
 と話しています

○簡単に高カロリーのものが手に入る環境
 ここで、ヨー氏はファストフード店(多分マクド)に入っていました
 彼が買ったのは
 フィッシュバーガー(329)、ポテトLサイズ(444)、アップルパイ(250)、ポテトのソース(50)。
 ()内はキロカロリー
 合わせて1000キロカロリー以上あるそうです。

 ポテトLだけで444キロカロリーあるんですね…
 ちなみにヨー氏は
 「こんなに甘くて美味しいソースが嫌いな人がいるでしょうか?」
 て言ってたけど、私はフライドポテトはあんまり…。ソースも喉が渇くから要らんな(笑)

 ヨー氏によれば、手軽に食料が手に入る環境だと、
 人は食欲をそそられてしまうのだそうだ
 食べられるときに食べ物を体に蓄えねば、という本能から来るらしい

 20年のうちにイギリスではファストフードのテイクアウト店が45%増え、
 テイクアウトが密集している地区で生活する人は
 肥満になる確率が2倍、という統計もあるそうです

○肥満の原因は遺伝子にある?
 太っている人は、甘いものやこってりしたものが好きな傾向にあるみたいです
 太っている方に好きなものを聞くと
 「甘いアイス」
 「ケーキ、ドーナツ」
 「ジューシーなソーセージパンや、甘いカスタードクリームのパイ」
 「トルティーヤチップスがあったら全部食べちゃう」

 これは遺伝子の影響かもしれない、とヨー氏は考えているらしい
 肥満に関わる遺伝子は100以上見つかっており
 中でもFTOという遺伝子が重要らしい
 人口の半分はこの遺伝子が変異しており、肥満になる可能性が25%上がる
 さらに、人口の6人に1人はこの遺伝子に2つの変異があり、
 体重は平均3㎏重くなり、肥満になる確率が50%上がるらしい

 FTOが変異している人は、
 食欲の調整ホルモンの働きが鈍くなってしまうのだそうです
 実際食べた量よりも少ないよ、と脳に伝えてしまうのだそう

 ヨー氏はダイエット中の人たちに協力してもらい、
 この遺伝子変異を知ることが肥満防止に役立つか、という実験をしています

 なかなかダイエットが成功しない人に遺伝子検査をし、
 FTO変異があるかを調べ、変異があればそれを本人に告げていました

 そして
 「太っているのは遺伝子変異のためで、怠惰とか意思には関係ない」
 「遺伝子変異があってもそれは生かし方次第だ、
  それはポーカーで悪い手をもらっても負けるとは限らないのと同じ」
 「遺伝子の変異は、ホルモンに対する脳の感受性を下げる、
  そのため実際食べた量より少し少ないととらえてしまう」
 というような話をしていました

 そして、そのあと食事をしてもらう
 置いてある食事の中で、コーンスープやアイスクリームなど
 高カロリーのものをどれだけ食べたか調べたそうです

 すると意外なことに、
 遺伝子変異と告げられた人は食べる量を減らしたり、食べなかったりしたそうです

 もとから体質が太りやすいことが分かれば、
 食生活を変えよう、
 という意識になるみたいです

○外科手術で肥満を治す
 しかし、まだ遺伝子検査は一般的ではない
 次に、ヨー氏は胃の外科手術をして痩せた男性を訪ねています

 胃の容積を900から30ミリリットルまでに減らし、
 小腸の迂回路を作る手術だったそうで
 受けた男性は159㎏から95㎏まで減ったらしい

 ヨー氏が手術前の写真を見せてもらっていましたが、まるで別人でした。

 彼によると
 「体の調子はすこぶるよくなった」
 イビキをかかなくなったり、
 糖尿病の薬を昔は16種類飲んでいたが、今は飲んでいないそうです

 また、この手術はホルモンも変えてしまうそうで
 食欲も減ったんだそうです
 手術前の彼の食事を見せてもらうと
 1食に肉のパイ2つ、ポテト2人前、クリームパン一箱(1日に12個とか)など、
 しめて4500キロカロリー
 (1食ですよ!見てるだけで胸焼けしてきた)
 今はパン1つくらいがやっとだそうです

 今後は、胃を切除しなくても食欲ホルモンをコントロールできるようになればいいかもしれない、
 とヨー氏は話していました

○ホルモン注射による食欲の抑制
 しかし手術は高い。
 そこで、ロンドン南西のある病院では、
 ホルモン注射による肥満抑制の実験をしているそうです

 インペリアル・ガレッジ・ロンドンの研究で
 ホルモン注射をしたあと
 (注射と言っても、お腹に丸い器具を当ててカシャッとやるだけですが)
 4時間後に好きなだけ食べてもらい、
 食べる量に変化があるか調べるもの

 対照として、同じ人に前の日にプラセーボを注射して、
 同じ量を食べてもらったそうです

 食べてもらうのに使うのは冷凍食品ですが
 わざと3人前用意し、残した量を計測する

 すると、2人の被験者で
 一人は食べた量が240キロカロリー(22%)減
 もう一人も203キロカロリー(17%)減
 という結果だったそうです

 この研究では、ホルモンを打たない場合と比べ最大3割食べたものが減る、
 という結果があるらしい

 今後は、副作用や痛みがない注射が出れば、この治療法が一般的になるだろう、
 とこの研究をしているスティーブ・ブルーム教授は話していました

○便の移植により食欲が変わってしまった女性
 次はアメリカの話。
 腸内細菌の変化で体重が変わった、という女性を訪ねています

 彼女は2、3年で25㎏も太ってしまったそうですが、
 それはある治療が原因だったそうです

 それはCDI(クロストリジウム・ディフィシル感染症)という病気で
 激痛のあまりたてないほどの病気だった
 
 その治療のため
 「糞便微生物移植」
 つまり他人の便を移植する手術を受けたのだそうです

 この女性もこの手術を聞いて、最初はびっくりしたそうですが
 娘の便を移植したら、
 次の日の朝には体調が良くなったそうです
 彼女の腸にはクロストリジウム・ディフシルという菌がいて
 それが病気の原因だったみたいです

(http://gut-microbiome.com/disease1/cdi.html
 によりますと
 CDIの症状としては下痢、粘性のある便、吐き気、発熱など。
 重症化すると胃に穴があき、敗血症などを起こして死に至る場合もあるそうです

 ただし
 「手術後の抵抗力が落ちている時や、
  免疫抑制剤を使用している場合に、
  抗生物質を服用すると発症することがある」
 とのこと
 よっぽど弱っていなければかからないのでは、と思います)

 しかしこの女性は、半年後、気がつくと服が窮屈になり
 あっという間に太ってしまったとのこと
 娘の便が私の体重を増やしたのだと思う、と話していました

 彼女に移植したブラウン大学アルパート医科大学のコリーン・ケリー氏は
 「お母さんはスリムでしたが、娘さんは太りすぎでした
  ドナーの健康状態は見るが、肥満かどうかまでは見なかった」
 とのこと

 ケリー氏は、2013年に発表された研究について話していました
 一組の双子の便を無菌のマウスに注入したそうです
 それによれば、肥満している方から移植したマウスは体重が増え、
 痩せている方から移植したマウスは変わらなかったらしい
 「あの女性と全く同じだ」
 とびっくりしたそうです

 彼女は、痩せているドナーを探して女性に便を移植できないか
 と考えているそうです

○便移植による肥満治療の臨床研究
 実際に、ボストンのブリガムアンドウィメンズ病院では、
 肥満治療のための便移植を臨床研究しているそうです

 CDIの患者治療では便移植の実績があるが、
 肥満治療のためのものはまだ認可されていないらしい

 ドナーとなるのはBMI17~20の痩せている人、
 健康で代謝に異常のない人を対象とするらしい

 移植した人にたいし、
 空腹を司るホルモン、GLP-1などを長期に渡り調査することを目指しているそうです
 (GLP-1とはインスリンを分泌させるホルモン、だそうです
  http://www.club-dm.jp/basic/GLP-1/benefit.html
 (糖尿病の解説のサイトです)
  によれば、ほかにも
  ・すい臓に対しては、血糖値を上げるホルモンであるグルカゴンの分泌を抑制
  ・すい臓のインシュリンを分泌するβ細胞を増やす(増殖)などの作用
  ・摂取した食物の胃からの排出を遅らせる作用
  食欲を抑える作用があるそうです)

○痩せる腸内細菌を増やす試み
 腸内細菌が肥満の原因なら特定の細菌を増やせばいいのでは、
 と考える人もいるそうです

 ロンドンのセント・トーマス病院では、
 双子から便を採取して調べる研究がされているそうです

 行っているのはキングス・カレッジ・ロンドンのティム・スペクター氏で
 「太りやすさが遺伝か環境かを調べるには、双子の研究が一番」なのだそう

 中でも体重差が大きい双子(ただし二卵性双生児)の方は
 一人が89㎏、もう一人が51㎏
 この二人の腸内細菌を調べると
 痩せている方はクリステンセネラセエという細菌が5%、
 もう一人の方はほとんど無かったそうです

 このクリステンセネラセエを増やす方法は無いか?
 スペクター氏によれば、適切な食生活が重要らしい
 理想的なのは伝統的な地中海料理、
 野菜や果物をたくさん食べること
 ダークチョコ、脂肪をカットしていないヨーグルトもいいそうです

 (クリステンセネラセエ(Christensenellaceae)
  については、いろんなサイトで載っていました
  http://jp.wsj.com/articles/SB12711975506514794531604580287951049681076
  (ウォールストリートジャーナル誌の2014年11月20日の記事)
  では、コーネル大学の研究などが紹介されていました
   416組の双子を含む23歳~86歳の1000人近い人の排泄物のサンプルを分析したところ、
   この菌は双子の太っている方よりも痩せている方により多かったそうです

   また、この菌の量は、普通の兄弟同士よりも双子同士の方が似通っていたことから、
   遺伝の影響が強い可能性があるそうです

   そして、この菌を無菌状態で育ったマウスに移植し
   3週間後の体重を比べたら
   移植したマウスの方が増加が少なかった、とのことです

   メカニズムはまだわかっていないそうですが
   コーネル大学では、クリステンセネラセエを経口投与したらどうなるかを調べる予定
   とこの記事にはありました)

○まとめ
 ヨー氏は、取材のなかで、肥満に苦しむ人の悲しい話が一番印象に残ったそうです
 自分の研究をもっと進めなければという気持ちになったのだそう

 ヨー氏自身も、コーヒーをカプチーノからブラックに変えようかな、だそうです

 ダイエットは辛いけど、ご褒美もある。
 取材を受けた方々の
 「体重を32㎏減らした」
 「私は別人だと思われているわ」
 という、ダイエット成功に喜ぶ声でしめくくられていました

〇感想など
・糞便移植の治療が気になったのでもう少し調べました
 FMT(fecal microbiota transplant、糞便微生物叢移植)と呼ばれているそうです

 http://data.nistep.go.jp/dspace/bitstream/11035/2976/1/NISTEP-STT146J-37.pdf
 (科学技術動向 2014 年 9・10 月号(146 号)の記事)
 に詳しく書かれていました。

 これによりますと一応1958年には、すでに重症感染性腸炎の治療例として、
 文献には発表されていたらしい
 2011年時点で、27の症例のうち92%は成功、
 この年には臨床医の国際グループ、FMT作業部会から、
 FMTのガイドラインも出されていたそうです

 ただエビデンスが不十分だったこと、
 また気持ち悪さもあって最後の手段的な扱いだったみたいです

 しかし、2013年にオランダのアムステルダム大学アカデミックメディカルセンターを中心としたグループが、
 対照との比較実験を行い、有効性を示した

 また、米マサチューセッツ総合病院のグループは2014年6月
 再発性CDIには、FMT が抗菌薬治療より費用対効果がある、
 とする報告書を発表したそうです

 糞便バンクなるものもできているそうで
 2012年には、米国マサチューセッツ工科大学の研究者らによって、OpenBiomeというNPOが設立されており
 ほかの病院でも、患者のために、糞便バンクを作っている所もあるようです

 日本でも慶應義塾大学で、潰瘍性大腸炎などに対する臨床試験を始めているとのこと。

 しかし今後は安全性などが問題になってくるようで
 そもそも糞便は臓器移植に当たるのか、医薬品に当たるのか?という議論もある
 医薬品扱いなら、治験など時間がかかる手続きが必要なのだそう

 また、医薬品化の動きもあるそうです。
 カナダでは2013年、糞便から分離した菌株33を再混合した合成糞便「RePOOPulate」を移植した例がある
 (ただし、医薬品としての承認が必要、とされ、試験は今中止されているらしい)

 ほか、カナダの別のグループは 2013年10月の学会で、
 糞便由来細菌の濃縮カプセル錠剤で、
 27 名の再発性CDI患者全員の治療に成功したことを発表したそうです

 これを受けて、いろんな会社が細菌を濃縮した経口薬の開発を試みたり
 腸内環境を健康にするための菌株を選抜したり
 あるいは菌の機能を高めるために遺伝子組み換えをするなど
 技術の開発が進んでいるそうです

 糞便だと確かに抵抗あるが、薬ならまだいいかなあ…

・私自身は太って悩んでいるわけではなく
 (むしろBMI的にはやせている方だ)
 太っている人の「どうしても食べてしまう」
 という切実感は今一つ分からないのですが
 遺伝的に食べても物足りない、と感じてしまうのは辛いんだろうなと思う。

 ギャル曾根ちゃんみたいに、食べても太らない、ていうケースもあるが
 彼女も体質的にそうみたいで、
 毎日たくさん食べなきゃいけないのはそれはそれで辛いんだろうな。

 たしかに太っていると健康にも良くないし
 飛行機2座席取らなきゃいけないとか、不便もあるので
 体質的に太ってしまう人に対する治療薬が見つかるといいですね。

 でもそういう人たちに限って、
 食べることでストレスを回避しようとしちゃったり、
 甘いもの、こってりしたものを食べたがるのは何でだろうと思いました

 胃を切ったり検査したり薬飲むのもお金かかるし、
 食べ方を変えない限り、再発の可能性もある。
 なので、心理的なアプローチもあるといいんじゃないかと思います。

 太っている人って、意思が弱いとか怠惰とは思わないのだが
 何か食べ方見てると、必死な感じがするのですよね。
 (偏見だったらごめんなさい)
 心に満たされないものがあって、
 それを埋めるために食べる行動をしているのかな…と思ってしまう。。
 どうしても食べてしまう心理、というのも探れば
 もっと肥満の人への偏見が減るのでは、と思います。

それにしてもアメリカ、イギリス、やることがすごいですね…
いろいろ勉強になりました。
というわけで、今回はこの辺で。

posted by Amago at 16:09| Comment(0) | テレビ(科学) | 更新情報をチェックする

2017年09月26日

NHKBSスーパープレミアム「医師の闘病から読みとくガンを生き抜く知恵」

NHKBSスーパープレミアム「医師の闘病から読みとくガンを生き抜く知恵」

 ガンについての番組です。
 自分もガン患者となり、闘病して生き抜いた医師たちに体験談を聞き、
 ガンを生き抜く知恵を探る番組でした。

 私は身内にガンになった人はあんまりいないのですが、
 (父方の祖父が80歳過ぎてかかったくらい)
 知り合いで若くしてガンになった人は4人ほど、
 うち2人は治癒しています。

 でも唯一亡くなった1人も
 宣告時ステージ3か4、余命半年と言われながら
 セカンドオピニオンを聞いて医者を変え、1年以上生きました。
 もちろん、本人はもっと生きたかったでしょうけど、
 治療の合間に山登りしたり、高級ウナギ食べたり
 したいことはやりきっていました。
 納得して生ききったのではと私は思っています。

 しかし納得できないまま、治療を受ける人は多い気がする。
 私の祖父のときも、主治医の強い勧めで手術したけど、
 高齢で体力が無いのに良かったんだろうかと今でも思う。
 祖父は術前はひ孫を抱くほど元気だったのに
 手術後は弱り、数週間で亡くなってしまったのです。

 自分はそういう後悔はしたくないなぁと何となく思うので
 何かヒントはあるかと思って見てみました。

 そしたらさすがNHK?
 3時間番組って内容薄い場合が多いのに
 3時間みっちり密度の濃い内容でした。

○出演者の紹介
 司会は坂上忍さんと高橋真麻さん。
 坂上さんは他番組の経験もあるせいか、
 ゲストの方々への話の振り方、重くなりすぎない話術はさすがでした。

 ゲストは
 ・俳優の柳生博さん
 (2年前に息子さんの柳生慎吾さんを咽頭がんで亡くされたそうで
 「早すぎた」「今でもあいつがいる」と話していました)

 ・元ボクサーの竹原慎二さん
  (膀胱がんにかかり、手術、抗がん剤治療を受け、現在経過観察中、本も出されています。
  竹原さんは余命1年と言われていた所からの生還だそうです)

 ・女優の宮崎美子さん
 「最近では周りで治療中とか経験した、という話を聞く」
 ・タレントの吉木りささん
 「自分はまだ若いが、父親などが心配」
 ・レッド吉田さん
 「子供が5人いて、自分がもしなったら心配」

 それから解説として
 がん対策推進協議会会長の門田守人さん、
 それからがん経験者である医師として6人
 ・垣添忠生さん
  日本対がん協会会長、泌尿器科医
  大腸がん、腎臓がんにかかり、妻もがんで亡くされている

 ・塩崎均さん
  近大学長、消火器外科医
  胃ガンにかかり、自分を実験台にして新しい医療法を確立させたそうです
  ちなみに門田氏と同級生らしい

 ・坂下千瑞子さん
  日本医科歯科大、
  骨軟部腫瘍という珍しいがん、大腸がんなど4回のがんから生き残ったそうです

 ・田所園子さん
  国吉病院(高知県)の麻酔科医、
  子宮頸がんになったそうです

 ・清水秀文さん
  東京新宿メディカルセンター呼吸内科医
  縦隔腫瘍というがんを30代で発症、現在42歳だそうです。

 ・浜中和子さん
  浜中皮膚科クリニック(広島県)院長、
  乳がんになったそうです
  「自分はがんにならないと思っていた、不遜だった」
  と話していました

 ほか、子供がいるガン患者の会「キャンサーペアレンツ」
 のメンバーの方々もいらっしゃいました

 番組の構成としては
 前半は治療、後半は生活面の話。
 前半は「ガンの新常識」として
 ●ガンは治る(坂下医師の体験談)
 ●治療法は自分で選ぶ
 という話、それから
 ●抗がん剤の話
 ●標準診療と自由診療
 ●自分のガンで新しい治療法を試した体験談(塩崎さん)
 の話でした

 後半は最初に
 ●ガン患者のための「元ちゃんハウス」を作った医師の話(故西村元一さんの話)
 「ガンの新常識」として
 ●ガンを隠さない(清水医師の体験談)
 ●ガンでも仕事ができる(キャンサーペアレンツの西口さんの体験談)
 ●ガンはみんなで戦う(田所医師、浜中医師の体験談)
 ●死と向き合う(垣添医師の体験談)

 という構成になっていました

●ガンは治る
 最初はガンは治る、という話。
 治療法を探せば治る可能性があるそうです

 ここでは、4回のがんを克服された坂下医師の体験談が紹介されていました
 彼女は血液の医者として
 悪性リンパ腫や白血病などの患者の治療をしてきたが
 2005年、アメリカに留学中骨軟部腫瘍、という
 脊椎にできる珍しいガンにかかったそうです

 「夏前から背中が痛くなり、脇まで痺れてきた」
 寝られないほどの痛みの時もあったそうです
 坂下医師は患者さんを見てきた経験から
 がんは手術で切除するのが一番と考え、手術を希望した

 しかしアメリカの医師には
 「背骨なので手術で根治するのは難しい、
  悪いところを削る対症療法になる」
 と告げられたそうです

 そこで医師である夫と共に症例を探し、手術できる所を探したそうです
 なかなか見つからず、絶望もしたそうですが、
 まだ2歳だった娘さんの存在に
 「この子の成長を見守るのが自分の仕事、生きなきゃ」
 と思ったそうです

 幸運なことに、金沢大学付属病院で「腫瘍脊椎骨全摘手術」
 という手術を開発していることを知ったそうです
 これは、腫瘍となっている脊椎を切除し、
 腰の骨を移植して残りを金属で固定する手術

 坂下さんは手術を受ける
 「自分なりに納得して受けた手術なら、
  結果がなんであれそのあと納得して生きていける」と話していました

 しかし彼女は2006年再発
 腰椎、仙骨に転移していることがわかった
 既に腰の骨を移植しているので
 さすがに次は手術できないと言われたそうです

 彼女は泣き崩れたそうですが
 担当医は「重粒子線治療」を紹介してくれたそうです
 これは放射線治療の1つで
 普通のエックス線より強力な放射線をあて、
 がん細胞をピンポイントで破壊するというもの

 しかし当時は開発途上で
 使う放射線も強力なので、失敗すれば大変なことになるリスクもあった
 特に坂下さんの場合、場所が場所なので、
 内臓損傷や下半身不随の恐れもあった

 彼女は悩んだそうですが
 主治医の
 「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、命の方が大事」
 という言葉に押されて挑戦、
 幸い後遺症もなくがんは消滅したそうです

 坂下医師はそのあと、再発防止のため抗がん剤治療を半年受けたそうです
 副作用がひどいので入院の治療で
 生きるのに精一杯だったそうですが、なんとか乗り越えた

 「今までは医療者が何とかしてくれると思っていたけど、
  治すのは患者なんだと思った」
 とのことです

○スタジオでのトーク
 坂下医師が、最初手術にこだわったのはなぜか?
 「悪いものは取りきりたいと思ったから、手術にこだわった」のだそうです

 坂上さんが門田氏に
 「がんは取り除くのが基本なんですか?」
 と聞くと、
 「確実なのは取ること」
 ただし周辺部位にも影響があるので、そこは場合による、とのことでした

 宮崎さんや坂上さんが坂下医師の経験について、
 「お医者さんだから色んな治療法のリスクも分かるし、
  お医者さんに無理と言われても探せるだろうけど、
  普通の人はそうはいかないですよね」
 と聞くと
 坂下医師は
 「たしかにそうだが、
  他にも治療法があるかもしれない、と頭に置いておくのは必要かも」とのこと
  ただしこだわるあまり、治療のタイミングを逃してしまったらもとも子もないが…
  とも話していました

 また、別の医師は
 「セカンドオピニオンも大事」とのこと
 これについては竹原さんが
 「最初の医師は上から目線で合わなかった、
  僕はフォースオピニオンまで行きましたよ」と話していました
 ただ、セカンドを聞きに行くまでどうしよう、と1年かかったので
 もっと早く動いておけば、と後悔しているそうです

 後で吉田さんが
 「医者を変えると浮気みたいな罪悪感がある」と聞いていましたが
 浜中医師は
 「そういう方も多いんですけど、結局大事なのは自分の命ですから」
 そこは割り切って考えたほうが良さそうです。
 
 また、坂下医師によれば、重粒子線治療は日本が最先端、施設もあるので
 「日本に生まれて良かった」
 と思ったそうです。素晴らしい。
 この治療法は1㎜でも間違えると危険なので
 型を取ってそこでじっとして、当てるとき呼吸も合わせるなど
 かなり厳密にやるそうです

 そのようなリスクを伴う治療でも受けるか?という話については
 女性である浜中医師、田所医師は
 「私も自分なら受ける」
 と話していました。
 やはり子供のために生きねばと思うそうです。母親は強い。

 レッド吉田さんは価格について質問していましたが
 背骨の全摘出手術は先進治療こため保険がきかず、200万円!
 (今は一部は保険がきくらしい)
 また、重粒子線治療は週四回、4週間(16回)のセットで300万円!
 さすがに先進治療は高い。
 坂下医師は「再再発があったらと思うと、金の切れ目が命の切れ目、かと思ってしまう」

 ところで坂上さんは
 「僕、主治医にお酒もたばこもやめません、て言っているんです。
  その代わり3か月に一回検診するように、て言われてるんですけど、それは守ってるんです
  大丈夫ですよね?」
 と自信ありげに?医師たちに聞いていましたが
 「ガンは生活習慣病です、お酒やたばこは少しでも控えて」
 「タバコはやめるべきですね」
 としっかりダメ出しされていました(笑)

●最近の抗がん剤治療
 抗がん剤治療は最近、通院が一般的になりつつあるそうです
 通うこと自体がリハビリにもかるし
 行きたいところに行けるので
 本人にとっても家族にとっても精神的にはいいらしい

 ただし、条件として
 体調の変化を看護師、医師に正直に報告することだそうです。
 「家にいる間の体調の変化が分からない」からだそうです
 それらを踏まえて投薬の種類や量を決めるので、正直に話すのが自分のためらしい

 柳生さんも、息子さんが通院治療だったそうですが
 「これはいいよ、周りの絆が強くなってくる、本人にも力を与えてくれる」

 宮崎さんは、近くに病院がない地方だと無理ではないか、と指摘していましたが
 門田氏は
 「通院の方が患者さんにも費用はかからないし
  通院が増えていく方向に行かなきゃならないとは思います」
 増えていくといいですね。

 また、ガンは適切に治療を受ければ治る、という話もしていました
 前立腺がん、乳がんなどは、最近は生存率は100%に近くなっているそうです

●最近の抗がん剤
 抗がん剤は
 ・分子標的薬
 ・免疫チェックポイント阻害剤
 があるそうです

 分子標的薬はガンの原因遺伝子に異常を起こさせないようにするものだが
 原因となる遺伝子が特定されるときしか有効でない、という難点がある
 (番組では触れられていなかったけど、遺伝子検査を受けないといけない、ということですよね)
 薬も高く、一粒6615円、1年で1000万かかるそうです

 免疫チェックポイント阻害剤というのは「オプジーボ」に代表されるもので
 普通、正常な人でもがん細胞はあり、これは健康な時は免疫細胞で抑えられているが
 がんは、この抑制が弱っている状態なのだそう
 そこでがんの働きを抑え、免疫細胞が働けるようにするのがこの薬らしい
 これも一箱36万円と高いそうです
 
 坂下医師も言っていたが「金の切れ目が命の切れ目」
 医療格差も生まれそうな話ですね…

●治療法は自分で選ぶ
 がんの治療法は大きく分けると
 「手術」「抗がん剤」「放射線」の3つですが
 細かく分ければたくさんの種類があるそうです
 
 例えば手術だけでも、開腹手術、内視鏡手術、ロボットを使うものもあるそうです
 ロボット手術は、メインは人がするが、手ぶれ防止でロボットを使うとのこと。へえ。

 ここから選ぶとなると、かなり大変になる。
 垣添医師は
 最近は、患者さんへの説明が義務になっているので確かに説明はするが
 「じゃあ来週まで決めてきて」という医師が多い、
 という話をしていました
 「私の場合は患者さんの経済状況などを聞いて、
  私ならこうしますという言い方をします」
 だそうですが、それは医師によりけりみたいです

 医師を選ぶにしても通えるかという問題もあり、
 田所医師は「四国なので、東北の先生も検討したが、通う労力を考えてやめた」
 という話をしていました

 坂上さんは
 「人柄もありますかね?」と聞いていましたが
 「信頼関係が大事なのはあると思う」
 「医師にも色んなタイプがいて、
  ガンガンいく人もいれば慎重に見ましょうという人もいるので
  セカンド、サードオピニオンを聞く方がいいかも」
 とのことでした。

 とにかく調べるだけ調べて、納得できる選択をするのが一番みたいです

●標準診療と自由診療
 次に標準診療と、自由診療の話が出ていました
 標準診療は保険がきくもの、つまり国が科学的根拠があると認めている治療法、患者は3割負担で済む
 自由診療は保険がきかないので、全額自己負担になる

 VTRでは、「免疫療法」をしている医院を取材していました
 これは、患者から血液を抜き、クリーンルームで免疫細胞を増殖させ、
 また患者の体に戻す治療法だそうです
 クリーンルームなどちゃんとした施設が必要なので費用がかかるが
 科学的根拠がはっきりしないので、自由診療に当たるらしい

 それでも治療を受ける患者さんはいて
 「お金がかかっても、治ってから働いて取り戻せばいい」
 と話していました

 坂上さんは
 「初めて先生方がVTR見てざわついてます」と言っていましたが(笑)
 ぶっちゃけ自由診療ってアリか無しか?
 という質問をスタジオの先生方にしたところ
 垣添医師は「認めない」、その他の方は△でした

 垣添医師は
 「エビデンスのない治療はすべきでない」というご意見

 その他の方々も
 「基本的にエビデンスのないものは認めたくない」そうですが
 「海外で実績があり、海外なら試せるものなら受けるかも」
 という意見でした

 竹原さんは「免疫療法」を受けたことがあるそうですが
 500万円したが効果はよくわからなかった、とのこと
 垣添医師は
 「500万もかけて、効いたか分からないようなものが許せない」

 他にも竹原さんは、50万円する海草エキスを取り寄せたことがあるそうです。
 患者になってしまうと
 わらにもすがる思いで怪しいものに手を出してしまうみたいです
 「インターネットで見るといっぱいでてきますよ」

 清水医師は
 「そういうものの中にはエビデンスを作る努力もしていないものがある、
  それならそのお金で食事や旅行した方がよっぽど有意義だと思うんですけど…」

 スタジオにいるキャンサーペアレンツの方にも話を聞いていましたが
 「自由診療は怪しいものもあるが、家族に善意で勧められると断れない」
 「勧められたこともあるが、効果があるか分からないものだから断った」
 「周りから言われるより、信じた道に進むしかない」
 など色んな意見。
 結局、自分の気持ち次第ということらしい

●自分のガンで新しい治療法を試した例
 次は塩崎医師の体験談。なんと自分の体を実験台にしたそうです
 彼は付属病院長だったころ、PETという機械を購入し
 試しに自分の体を撮影したそうです

 すると結果を見て信じられなかった。
 明らかにがんと分かったそうです
 ステージにして4くらい、
 生きる道は無いと思ったそうです

 リンパ節にも転移があり、抗がん剤治療しか無いが、
 一時的に小さくするだけで根治はしない
 そこで、認められてはいないが、経験からこれなら治せるのでは、
 と思う方法を試そうと考えたそうです

 それは、食道がんなどの治療で行われている
 「術前化学放射療法」
 放射線や抗がん剤でがんを小さくしてから手術で取り除く、というもの
 胃がんでは、胃に穴があく恐れがあり採用されていないそうです

 相談を受けた放射線医師はさすがにびっくりしたそうですが
 「そこまで覚悟があるならやりましょう」という話になったそうです
 塩崎医師は
 「最後まできれいに生きよう」
 「一人でもこの方法で助かれば、治療の1つの選択肢になる」
 と考えてこの決断をしたそうです

 塩崎医師は週5回放射線照射と抗がん剤投与を受けた
 3ヶ月するとがんがほとんど消え
 そのあと胃の8割を切除する手術をしたそうです

 今は、これを正式な治療法にすべく臨床研究中だそうです
 16人がこの治療を受けているとのこと

 自分を実験台にする…てのもさすがお医者さん、ですね…

 竹原さんが
 「知識のある人がやってくれって言ったらどうなるんですか?」と聞いたところ
 「倫理委員会にかけることになるでしょうね」

 でも私の知り合いがそうでしたが、
 治験で新しい薬にチャレンジする、という手はあるようです(半分の確率でプラセーボ群になりますが)

 後半は生き方について。
 よりよい患者の暮らしのためにはどうすればいいか、の話でした

●患者のための「元ちゃんハウス」を作った医師
 最初に、がん患者が気軽に相談できる場所作りに尽力した人が紹介されていました
 西村元一さんという外科医の方で、
 2015年の3月にステージ4、余命は半年と診断されたそうです

 彼は胃と肝臓を切除する手術を行い、
 10か月後には入院による抗がん剤治療を行った
 抗がん剤の副作用で手足のしびれや味覚障害はあったそうですが、
 そのあと講演活動などを精力的に行うようになった

 というのは、がんを経験して
 がん患者が不安などを相談する場所の必要性を感じ、
 賛同する人から寄付を募っていたそうです

 イギリスには、がん患者が気軽に訪れることができる
 「マギーズセンター」いう相談場所があり
 前々からそういうものがあればいいなぁとは思っていたそうですが
 実際がんになってみて、患者にはいいなぁどころかどうしても必要だ、と感じたらしい
 「残された時間というのもおこがましいが、やりたいこと、伝えたいことをやりたい」
 と当時のインタビューでは話していました

 彼は余命より大幅に生き、同級生たちからの援助などもあり
 2016年12月、「元ちゃんハウス」がオープンしたそうです
 看護師、栄養士などの資格を持つボランティアスタッフがいて 
 訪れた患者の相談に乗る

 木目調のリラックスできる感じの内装になっていて
 利用者は
 「病院だと用がないと行っちゃいけない雰囲気があるけど、ここなら気軽に来れる」
 と話していました

 西村さんもたびたびここにいて、患者さんの相談にも乗っていたそうですが
 今年の5月に亡くなったそうです

 しかし、今もたくさんの人たちが利用しているそうです 
 不安を相談したり、くつろげる場所がある、というのは心強いですね。
 全国にもできてほしい。

 ちなみに田所医師も西村さんの講演会に行こうとしたそうですが
 「西村さんの体調が悪いので、今回は中止です」と言われ残念だった、とのことでした

●ガンを隠さない
 次はガンの告知について。
 昔ほどがん告知は難しくない、とはいえ、
 やはり告知を受けたり、家族などに打ち明けるのは患者さんの心理的負担になるようです

 竹原さんの場合は
 「実はがんの数値が5になっていて…」といきなり言われたそうです
 がんの数値5って、いいのか悪いのかよくわからんが。
 「頭が真っ白で、車の中で涙にくれた」とのことでした。
 また「女房に話すのが怖かった。話したらええ?ってびっくりされた」とのこと

 柳生さんはこの話をしているとき突然
 「実は隠していたことがあるんですけど」と切り出し
 「10年ほど前、大腸がんにかかっていたんです」と告白。
 宮崎さんは当時共演されていたそうですが「知らなかった」と驚いていました。
 柳生さんは
 「女房と息子二人と、息子の嫁さんには話したけど、そこだけで終わらせた」
 「でもそのときすでに息子もガンだったんだよね」
 周りに話せなかったのは、「カッコつけていたのかな」と話していました

 ちなみに番組での調査によると
 自分がガンと分かったら家族などに話せるか?という質問では、
 話せるという人2割、どちらかといえば話せるという人6割強、合わせて87%だそうです

 告知をどう乗り越えるか?
 家族に何もかも話した清水医師の体験談が紹介されていました
 清水医師は6年前、30代のころにガンが見つかる
 レントゲンやCTの結果を見ると、自分でもガンと分かる大きさだった
 その半年前の健康診断では発見されておらず、進行の速いガンだったそうです

 当時は子供が2人、妻は3人目を妊娠中でしたが
 すぐに妻に電話して来てもらったそうです

 医師である妻に画像を見せながら説明するためだったそうで
 「具体的に見せた方が分かると思った」

 清水医師自身は割と冷静に受け止めたそうです
 「色んな患者を見てきたので、この年代で起きるのは珍しいことではないと思っていた」

 説明を受けた妻は
 「ただ事ではないとすぐに分かったが、
  夫が落ち着いていたのでこちらも動転せずに済んだ」
 とはいえ5年での生存率は50%、
 覚悟を決めねばならないことは分かったそうです

 そして、抗がん剤を使えば髪の毛も抜けるので、
 その前に子供たちにも伝えることにしたそうです
 「周りから色々言われて子供が不安になるのは避けたかった」
 
 当時長男は7歳、次男は2歳
 長男くんにそのときの話を聞くと、
 「父が入院する、大変なことになるとは思った
  でも母がはっきり正しいことを伝えてくれたのは嬉しかった」
 なぜ嬉しかった?と聞かれると
 「嘘を伝えられて、もし最悪な場合父が死んだら後悔していた」

 幸いにして4ヶ月の抗がん剤投与、手術は成功し、
 3男も生まれて家族の絆は強まったそうです

 妻は
 「嘘をつくと次に何かあったらまた嘘をつかないといけない、
  私にとってもストレスがなくて良かった」
 と話していました

 清水医師にスタジオで話を聞くと、
 妻とは、子供には徐々に伝えていくしかないよねという話はしたそうです

 竹原さんは、
 「子供には女房に話してもらいました」
 自分は落ち込んでいたので、それが伝わってしまうと思ったそうです

 田所医師の場合、
 小6、小4、小2のお子さんがいて長女が中学受験だったところで
 「なんで今なん?」と言われたそうですが
 最終的には受け入れてくれた、とのこと

 柳生さんの場合は
 「うちはもともと会話がない親子だったからねぇ」
 と言っていましたが
 野良仕事しながら話をした、とのこと
 改まって話すと受け止める側も大変、と話していました

●ガンでも仕事を続ける
 次に、ガンになっても仕事を続けている方の話。

 番組の調査では、ガンになっても仕事を続けられるか?という質問に
 そう思う1割、どちらかと言えばそう思う2割弱、
 そう思わない3割弱、どちらかと言えばそう思わない4割弱

 だいたい3割弱の人が仕事を続けられる、7割ができないという結果

 ここでは、キャンサーペアレンツを設立した西口洋平さんの体験談が紹介されていました

 彼は人材紹介サービスの会社で10年間営業をしていたそうです
 しかし、胆肝ガンが発見されたときはステージ4、リンパ節や腹膜にも転移しており
 5年での生存率は2.9%だったそうです

 それでも働くことを選択した
 金銭面の不安という理由もあったが
 「会社の役に立ちたい」という思いが強かったそうです

 社長は相談に乗り、彼の今までの貢献も評価してくれて
 キャリアが生かせる人事部の採用担当に異動させてくれたそうです

 今は週3回くらいのパート勤務
 抗がん剤治療の当日や翌日はしんどいので休むそうです

 西口さんは
 「会社があると、仲間がいると感じられる」
 「僕らのような人たちが働けるような会社を作っていけば
  他の事情で今まで通り働けない人も働けるようになる」
 と話していました

 会社の同僚は
 「うちの会社は若いので、西口さんのように長く働いている方は貴重、心強い」
 とのことでした

 西口さんはスタジオで坂上さんに
 「いい社長ですね」と言われると
 「いい社長なんですよ」(笑)

 「同僚からはどう接して欲しいか?」という質問には
 「僕は普通の気遣いが100なら、101くらいでお願いします、ていうんです。
  300、600の気遣いは要らない」なるほど。

 キャンサーペアレンツの他の方々の意見は
 「病人扱いされたくない」
 「お客さんに話したら「待ってるからね」と言ってくれた」
 普通がいいらしい

 他、浜中医師は
 「私は仕事を止めるのを考えていなかった、仕事していて良かった」
 働くのは本人の生き甲斐にもなるようです。
 ただ、坂下医師は
 「無理はしないで」
 門田氏も
 「体力と相談して働くといい」
 「交わる人がいる、というのはいい」
 とのことでした

●お金の問題
 最近は、治療による家計破綻を起こす人もいるそうです
 そこで、ガン患者専門のフィナンシャルアドバイザーも登場しているそうです

 番組でもガン患者専門のフィナンシャルアドバイザーの方が出演されていましたが、
 特に自営の方は注意だそうです
 サラリーマンの場合、
 健康保険による治療費補助もあるし
 傷病手当も支給されるが、
 自営の場合全て自腹、収入ゼロになる恐れがあるらしい。

 また、専業主婦の方がガンになったときも落とし穴だそう
 夫の収入があるから大丈夫、と思いがちだが
 家事や育児の担い手が他にいない場合、そのぶん支出あるいは収入減になる
 このパターンで破綻する場合も少なくないそうです

 「お金のことは相談しにくい、
  どこに聞けばいいか分からない」
 という質問もありましたが、
 最近ではNPOもあり、病院に相談窓口もあるとのことでした

●ガンはみんなで戦う
 次は、ガン患者どうしのネットワーク作りについての話、
 田所医師と浜中医師の体験談が紹介されていました

 田所医師は高知で麻酔科医として働いていたが
 7年前、子宮けいがんと診断される
 進行が進んでおり、子宮や卵巣の切除も必要だった

 しかし田所医師は、女性の生殖器が無くなったときの後遺症が不安だったそうです

 「更年期障害になるのか?
  今まで通り子供と遊べるのか?
  旅行に行けるのか?
  オムツが必要になるのか?」…などなど

 しかし医師に聞くと、
 「やってみないと分からない」の一言
 「関係者だからこそ言わせてもらうと、他人事だなと思った」そうです
 当事者になったらわかるが
 患者にとっては怖さ、不安がある

 医師である夫にも不安をぶつけたが黙るばかりで
 「あなたに私の気持ちなんか分からないわよ」
 と言ったこともあったそうです
 夫は「分からないから何も言えなかった」

 田所医師はインターネットで
 経験者のブログを見たり、
 SNSで疑問を投げ掛けたりしたそうです
 すると尿漏れ対策や、ホルモンの影響など
 リアルな話がたくさん聞けたそうです

 その話をもとに、最悪の場合を考えて行動できるようになった
 また、手術前には末期の方の言葉が支えになったそう
 「この病気は諦めたら終わりだよ、
  私はそういう人たくさん見てきた、諦めちゃダメ」
 この言葉に励まされたそうです

 田所医師は手術を受け、4ヶ月ごとに経過観察中だそうです
 彼女は自分の経験をもとに、自身の仕事でも緩和医療に取り組んでいる、とのこと

 スタジオで田所医師は
 「だんなさんとどうやって仲直りしましたか?」
 と聞かれていましたが
 「してなかったですね、サンドバッグになってもらってました」

 それから医師の態度については
 「私は毎日宣告台に上る気分なのに、先生はひとごと、
  何気ない仕草もおおごとに感じられた」

 竹原さんも
 「お医者さんの態度によっては傷ついたり信用なくしますね」
 「お医者さんは最悪な想定をいうんですけど、言い方によっては傷付く」
 と同意していました

 また、田所医師にとって、
 SNSの情報は本当に助かったそうです
 試しに坂上さんもパソコンで見ていましたが
 「なるほど、リアルなんだね~」
 と感心していました

 一方浜中医師は、患者どうしで支え合う会を設立したそうです

 彼女は広島で皮膚科として働いていたが、24年前に乳ガンを発症したそうです
 当時は40代、しこりが気になっていたので検査したそうですが
 担当患者の執刀前に、同僚医師に結果を告げられたそうです
 
 「手は動くけど頭は真っ白だった」
 それもどうかと思うが、何事もなくて良かったですね…

 そのあと不安になり悩んでいたが
 同じく過去に乳ガンになった看護師が話しかけて来てくれた
 傷跡も見せ、詳しい話をしてくれたそうです

 「体験者の言葉は響きました」
 健康な人に大丈夫とか言われても、何の根拠があるんだ、としか思えないが
 体験して乗り越えた人の言葉なら「私も乗り越えられる」と思えたそうです

 治療後、話しかけて来てくれた看護師の呼び掛けで患者の会を作ることにした
 今では会員が450人、講演などには毎回50人以上集まるのだそうです。
 経験者の方が今治療中の方の相談に乗ることもあり、
 浜中医師によれば経験者の話が一番心に響くのだそう

 また、先程の西口さんは
 自分は情報が少なくて困った、という経験から
 子供を持つガン患者の会「キャンサーペアレンツ」を立ち上げたそうです
 今では会員は1100万人を超え
 治療費のことなど、悩みを語り合い共有することで前向きになれるそう

 西口さんはスタジオで
 「これだけ会員がいるということは、患者が手をあげにくい雰囲気がまだあるんだということだと思う」
 「僕たちには、自分達の気持ちを伝えていく役割がある、
  それで社会を変えられれば、子供たちにも何か残せることになる」
 「経験したからこそワクワクできることがあるんじゃないか」
 と話していました

 ガンになってどうしよう…という人も、
 探せば悩みを共有できる場を見つけられる時代になってきたのですね。

 坂上さんが
 「経験したからこそワクワクできる、てのは新しい視点ですね」と驚いていました

 柳生さんは
 「ガンはね、妻といい感じになる、子供もいい感じになる、みんな優しくなるんだよね」

 そして急に竹原さんに
 「山、登りなよ」と謎の言葉。
 これは、竹原さんがやりたいことをやった方がいい、とやりたいことを書き出していたそうで、
 富士登山やフルマラソンを挙げていて
 「妻とやりたい」と言っていたそうです
 柳生さんは
 「明日行きなよ」
 「手をしっかり握ってね…」
 と細かくアドバイスしていました(笑)

●死から目を背けない
 次は、前向きな治療をしても不幸にして訪れるかもしれない死について

 門田氏は
 「命があるってことは死を負うことなんだけど、
  最近はそれが目隠しされてしまっている、
  でも意識のどこかに残しておくことは重要だと思う」と話していました

 ガンで妻を亡くした垣添医師の体験談が紹介されていました

 彼は2007年、妻を亡くしたが、
 40年連れ添った相手を亡くした辛さは遥かに想像を越えていたそうです

 妻のガンは進行が速く、再発、転移を繰り返して1年で亡くなったそうです
 病が進行していくと、命が限られていることが垣添さんにもわかる
 弱っていく妻は
 「家に帰りたい」としきりにいうようになり
 彼は自宅で最期を看取る決意をした

 家に連れて帰り、彼が作った鍋を喜んで食べる妻を見て、幸せを感じたそうです
 しかしその3日後、体調が急変
 「最期は起き上がって目を見開いて、話せないんだけど手をギュッと握ってね。
  ありがとうと言っていたんだ、妻は満足していった、と思えた、
  それが立ち直る心の拠り所となった」

 亡くなったあと3ヶ月はさすがに酒にも溺れ、涙にくれたそうですが
 「妻がいたらあんたなにやってんの、ていうだろうと思った」そうで、
 そのあと新しいこと
 居合道、お遍路さんなどに挑戦した
 そうして徐々に立ち直ったそうです

 喪失感というのは計り知れないようで
 吉田さんも
 「母親はおやじが死んだあと2年、記憶を無くしていた、俺の名前も忘れた」
 と話していました

 しかしそれでも何かをするというのは励みにはなるようで
 柳生さんも、仕事をしていてだんだん立ち直れた、と話していました

 愛する人の死は計り知れない辛さはあるけど、
 ずっと絶望していても亡くなった人も喜ばないだろう。
 悔いのない看取りをすること、
 何か体を動かすこと、
 仲間を作ることでなんとか乗り越えていく人たちが多いようです

○まとめ
 最後に、余命3ヶ月と言われたらどうしますか?という質問に
 宮崎さんは
 「私は一人なので、身の回りの整理をしていたら終わっちゃうのかなぁ」

 吉木さんはまだお若いですが
 「私も終活しないといけないのかな」
 しかし柳生さんに
 「まずは婚活だね」
 と突っ込まれてましたが(笑)

 竹原さんは
 「色んな人に会って、色々あったから、また転移したとしても乗り越えられる」
 と話していました

 門田氏は
 それでもまず予防、検診が大事、と話していました
 まず、ガンになるリスクを減らすこと。
 それでもかかってしまう場合もあるから、準備はしておくこと。
 医療現場としては、緩和ケアが大事になってくるだろう、とのことでした。

 最後に、ガンになって得たものを6人の医師に聞いていました
 垣添医師
 「人との共感、生き方が謙虚になった」

 塩崎医師
 「覚悟はする、しかし決してあきらめない」
 これは患者さんにも言うそうですが、
 覚悟はしておいた方がいいが、あきらめたらいけない
 というのは、明日新しい治療ができるかもしれないから、だそうです
 それだけ進歩が速いということですね。

 浜中医師
 「今日を精一杯生きる」
 やりたいことをやる、行きたいところに行く、食べたいものを食べる。
 「でもタバコはやらない」と坂上さんに言っていました(笑)

 田所医師
 「いつも全力、明日はない」
 病気になる前は、子供大きくなってからこれしよう、とかあったけど、
 いつ病気になるか分からないから、やれることは今やった方がいいと考えるようになったそうです

 坂下医師
 「ピンチはチャンス」
 そう考えて生きたいそうです

 清水医師
 「ガンは人生の終わりではない」
 最近はいろんな治療法ができているので、諦める必要はない、ということらしい

 門田氏は
 「僕だけ経験者じゃないので、今日はここ(6人の医師との間)に壁を感じていたんですが…」
 と言いつつ、正岡子規の言葉を紹介していました
 正岡子規は36歳の若さで結核で亡くなったそうですが
 そのときの思いを「病牀六尺」という書に残しているそうです。
 そこにある一言がしめくくりとなっていました

 「悟るということは、いかに平気で死ぬか、
  と思っていたが、それは間違いであった、
  それは、いかに平気で生きるかということだった」
 
〇感想など
 私が子供の頃は、ガンというと本当に不治の病、
 本人への告知も、闘病の公表もためらわれる時代でしたが
 (その告知するしないでドラマができたくらい)
 今や2人に1人がガンになる時代、
 ガンの治療、というのも珍しい話ではなくなっているのだなと思いました。

 そんな中で、西口さんのような若い世代の人たちが
 新しい働き方、新しい生き方を提案してくれているのは心強いと思います。
 ほかにも、親の介護とか精神的な病など、いろんな事情で働けなくなる人もいる。
 そういう人たちも働きやすい時代になるといいなと思いました。

 また、治療法は自分で決める、とあったように
 この番組ではこの治療法がいいとかいう話はしていない。
 (たぶん人によりけりだから、できないと思うけど)
 でも、探せば自分に合うものがあるかもしれない、新しいものが出るかもしれない、諦めてはいけない、
 という希望は持たせてくれたのかなと思いました。

 それにしても、ガンになったら調べなければいけないことが多い。
 治療方法、お金のこと、薬のこと、
 仕事のこと、不安になったときの相談窓口(ネットも含む)…
 しかも進行が速い場合、時間も限られてくる。
 また、田所医師のように専門的な知識を持つはずのお医者さんでも
 実際なってみると分からないことが多い、という事実には少し驚きました。

 認知症もそうですけど、これだけガンが一般的になってきた時代、
 健康なうちに、今どんな治療法が出てきているのかとか、
 どんなサポートシステムがあるのかなど、
 探しておいた方がいいのかもしれないなと思いました。
 海藻エキスとか騙されて買うのも悔しいですしね。
 もしくは、そういう相談ビジネス、資格などが出てくるかもしれないですね…

 それから、ならないように予防をすること、
 健康なうちにやりたいことをやって、
 悔いのないように生きるのが大事ですね。 

 いろいろ勉強になりました。
 というわけで、今回はこの辺で。

 

 
 
 
posted by Amago at 10:45| Comment(0) | テレビ(科学) | 更新情報をチェックする

2017年09月04日

NHKBSプレミアム「フランケンシュタインの誘惑 水爆 欲望と裏切りの核融合」

NHKBSプレミアム「フランケンシュタインの誘惑 水爆 欲望と裏切りの核融合」

この回は水爆開発の話。
2016年の11月くらいに放送されたものの再放送だそうです。
しかもこの再放送したのも数日前…
今さら感がなくはないが、
思わず見いってしまいました。

登場するのは水爆を開発した理論物理学者エドワード・テラー、
それから著名な物理学者ロバート・オッペンハイマーでした。

かいつまんでいえば、
天才だけど人間性はちょっと問題?な物理学者が、危険な武器開発に取りつかれてしまった
という話ですが、
そこには、科学者の好奇心や探求心てのはどこまで許されるのか…
という問題を含んでいるように感じました。

というわけで内容から。

○エドワード・テラーの生い立ち
 1908年、テラーはハンガリーのブダペストに生まれる
 父は弁護士、母はピアニストを目指していた人
 (ウィキ情報によれば、彼は裕福なユダヤ系知識階級の家庭で、
 お母さんは銀行家の娘、4か国語をマスターする才媛だったらしい)
 2歳からピアノの手ほどきを受ける
 ピアノは終生、彼の友になったようです。

 しかしそれよりも彼が才覚を示したのは数学で
 就学前に掛け算をマスターする、など逸話は多かったらしい
 それでも靴下をお母さんに履かせてもらうなど
 精神的には幼いところがあったようです

 17歳になると当時科学の最先端だったドイツに留学、物理学を学ぶ

 しかし当時はヒトラーが台頭、
 迫害の恐れがあったためアメリカに亡命し
 ジョージワシントン大学の教授になる

○原子力の研究
 当時は原子核の研究が進んでおり
 1938年には核分裂の現象が発見される

 核分裂とは、原子の中心にある原子核が分裂、
 その際に放射線と共に膨大なエネルギーが放出される現象、
 これは後に原子爆弾に利用された

 テラーはその先の核融合を利用することを考えていた
 核融合は、核分裂とは逆に原子核が融合し
 その際光やエネルギーが放出される現象で、
 太陽など恒星の中心で普通に起きている現象

 しかし、核融合を起こすには1億℃、という大きなエネルギーが必要で
 彼は物理学者フェルミなどとの議論から、
 原子爆弾の爆発のエネルギーを使えば、
 無限に破壊力を大きくできると考えた
 「無限は人類にとって、奇妙で強烈な魅力がある」
 と述べているそうです

 無限のエネルギーに彼は取りつかれていった。
 彼の生涯を追うジャーナリストによれば
 「彼はどんな方向であれ、科学は追求されるべきと考えていた」
 破壊的な結果をもたらすとしても、科学者にとって知的探求は必要、と考えていたそうです

 彼のこの科学者としての信念?が、後に水爆開発まで手を出してしまう原動力となった

○ロバート・オッペンハイマーとの出会い
 1942年、マンハッタン計画が立ち上げられる
 (マンハッタン計画は、
  第二次大戦中に枢軸国の核兵器開発に対抗し
  イギリス、アメリカ、カナダが科学者たちを総動員して、
  核兵器開発を試みた計画だそうです)
 中心となったのは物理学者ロバート・オッペンハイマー

 このマンハッタン計画のためにオッペンハイマーの開催した会議で、
 テラーは議題と関係ないのに水爆を持ち出し
 「理論はできてる、あとは実現するだけ」と熱く語り
 他の科学者も次第にその熱にうかされたそうです

 テラーを知る人によれば
 「科学者は他の科学者から刺激を受けて閃き
  その閃きが科学の真髄に導いていくものだが、
  テラーはその才能に溢れていた」

 つまり他の人と議論を重ねる中でインスピレーションを得て、
 アイデアを産み出す才能に優れていたそうです

 彼と最も議論したのがオッペンハイマー、
 オッペンハイマーは当時、知性もリーダーシップもあり
 テラーは彼に憧れていたそうです

 二人の議論は「Mental Love Affair」(知的な情事)とまで呼ばれた
 ジャーナリストによれば
 「テラーはオッペンハイマーの科学的な総合力にひかれ、
  オッペンハイマーはテラーの科学的な発想力にひかれた。
  二人はお互い求めあっていた」

 ラブ・アフェアってのもスゴい表現ですねぇ…
 熱烈に愛し合う男女と同等の絆なんですね。

○原子爆弾の開発
 1943年、マンハッタン計画の面々は、
 ニューメキシコのロスアラモス研究所に拠点を移す
 オッペンハイマーは
 「水爆開発は時期尚早、まずは原爆技術を確立させてから」
 と判断し、水爆開発は当面見送る方針を決めていた

 テラーはオッペンハイマーに裏切られた気がしたそうです
 やる気をなくし、仕事もせずピアノに没頭

 テラーを知る人によれば
 「テラーは感情的な人間、
  自分が間違っていると認めたことはない」
 精神的には幼く、自己中な人だったみたいです

 オッペンハイマーは仕方なく水爆開発の小グループを作り、
 そのリーダーにテラーを据える
 オッペンハイマーとしては彼を近くに置いて、
 彼の才能を生かすのが得策と考えたようです

 それでもテラーはご不満だったらしい
 「みんなが1つの目的に向かっているなかで、
  自分だけ離れて働くのは寂しい」

 …たしかに、テラーの態度は思い通りにいかないから拗ねてる子供そのまま、
 形だけでもテラーの顔を立てるオッペンハイマーの方が政治力があるかな。

 1945年7月、オッペンハイマーのチームは原爆実験に成功
 同年8月には日本の広島、長崎に投下された

 テラーとしては
 さあこれで水爆だー!と思ったみたいですが
 チームとしてはこれでミッション終了ということで、
 ほとんどの科学者は研究所を去ってしまった
 テラーはやるせない気持ちだったようですが、
 オッペンハイマーも辞職してしまい
 彼も仕方なくロスアラモスを離れる

○解説
 次はスタジオでの解説になります
 進行は武内陶子アナ、
 今回の解説は池内了氏(総合研究大学院大学の方、物理関係でよく出ておられます)
 笠田竜太氏(京大のエネルギー理工学研究所、核融合の研究者)

 笠田氏は核融合の研究者ですが
 「なぜ核融合の研究を?」
 という質問に
 「小学校の授業で、星の内部で核融合が起きていると聞いたから」
 武内アナが「そんなの私たち習ったんですね」
 と言ってましたけど私も覚えてないな(笑)
 彼によれば
 「核融合も、まだエネルギーを産み出すまでは行ってない」
 彼は若い研究者ですが、
 自分が現役のうちに目処がつけば、くらいのレベルなんだそうです

 武内アナ
 「科学者にとって、無限とは魅力的なんですかね?」
 笠田氏は
 「共感はできないんですけどプロセスに魅力を感じるのは理解できます」
 池内氏は
 「科学者にとっては魅力的でしょうね」

 それからオッペンハイマー氏との「知的な情事」については、
 池内氏は
 「現実性があるかは置いといて、議論は知的なトレーニングとして面白い」
 笠田氏は
 「科学者ってのは一人で考えることが多いんですけど、それだと行き詰まる。
  でも議論によって相手を自分の鏡、増幅する鏡として見ているうちに、
  新しい考えがまとまってくるという経験はある。
  それは女の子とデートしているとき以上の経験ですね」

 私も研究ではないですが、
 他人と話をしているうちに、
 頭に何となくあったものが刺激を受け口から出て形になり、
 自分でも話しながらそのアイデアに半分驚いている経験がたまにあるので、
 その感覚に近いのかな~と思いました。
 芸人さんがネタ思いつくときとかもそんな感じなのかな?

○冷戦時代、ソ連の脅威
 第二次大戦後、オッペンハイマーは戦争を終わらせた英雄となる
 一方テラーはただの研究者

 そんな中、1949年、ソ連が原爆実験成功
 戦後からわずか4年でアメリカと並ぶ

 これを聞き、テラーは恐怖に近い感情に囚われたそうです
 「ソ連はすぐに、水爆開発にも成功してしまうに違いない」

 彼には共産主義へのトラウマがあったそうです
 彼が11歳のとき、ソ連の影響で
 彼のいたハンガリーで共産主義政権が成立
 企業国有化などが進められ、反対した人は投獄された
 この恐怖体験は強烈だったらしい

 (あとでウィキで調べたら11歳のときの話はもう少し複雑で、
 ハンガリーに誕生した共産党政権の影響で、
 弁護士だった父親は失職、一家は困窮に陥っている

 わずか5ヶ月でこの政権は将軍により倒されるが、
 倒されたハンガリー共産党のリーダーや党員の多くがユダヤ人だったことから
 ハンガリー国内に反ユダヤ主義が起こり、
 ユダヤ系の家庭だった一家は追われる形で、彼が18歳の時にドイツに移住したそうです

 つまり共産主義にも迫害されたがそれだけではない
 反ユダヤ主義にも迫害されているみたいです

 また、彼は生涯反共産主義一色ではなく
 ドイツでの大恐慌時代には、
 資本主義の崩壊を目にし、共産主義にも興味を示していた時期があったみたいです。

 しかしその後友人がソ連政府に逮捕されたり
 スターリン体制下の理不尽な裁判などを描いた小説などの影響により
 共産主義への嫌悪感を強めていった、とのことです)

 ジャーナリストによれば
 「テラーは多感な思春期に不安定な状況に置かれたため
  安定を求めて強い力を得ようとした、
  彼にとってはそれが科学だった」

 彼は当時の行政の科学部門トップだったオッペンハイマーにその気持ちを訴えたそうです
 しかしオッペンハイマーは「頭を冷やせ」といい、何もしなかった

 その上オッペンハイマーは水爆について、
 「水爆は大量殺戮兵器、人類全体への脅威」
 という見解を示した

 これにテラーは激怒したらしい
 「技術を使用するかを決めるのは、科学者のすることではない」
 科学者は行けるところまで技術を進めるべきだ、と考えていたらしい

 この考え方の違いは、オッペンハイマーへの憎しみとなっていった

 しかし社会は変わっていく
 1951年、トルーマンがソ連に対抗するため水爆開発を決定
 テラーは開発委員長に任命されたそうです

○解説
 池内氏は
 「彼にとっては共産主義は幼い頃からのトラウマのようなもの、
  最強の兵器でやっつけなければ、と考えていたんですね」
 とテラーの気持ちを代弁していました

 武内アナの
 「科学者にとって、社会的な要求は重要なんですかねぇ」という質問には
 笠田氏は
 「ノーベル賞など、ある分野が脚光を浴びて研究が進むことはありますよ」
  科学は社会の要求とは切り離せないそうです
 池内氏は研究費との絡みを指摘、
 特に軍事が絡むと、国はいくらでも予算を出すそうです
 「でもこれは、最初の段階で止めないといけないですね」

 それから、
 「テラーは先を進むのが科学者の使命、と言っていましたが…」という質問には
 笠田氏は
 「それは否定できない」
 しかし池内氏は
 「科学者は結果責任、倫理的責任を問われるべき」と話していました
 これに対し笠田氏は
 個人の人間性に期待するのも限界がある、とし
 「特に科学者は純粋にやる人が多いから周りが見えなくなってしまう、
  だから社会の裏付けがあれば何でもやってしまう」
 と話していました

 本来はそこは、科学以前に、人間として教育されるべきことなんでしょうけど…

○水爆の開発
 水爆開発でテラーが目指したのは
 広島で投下された原爆の100倍の破壊力

 最初は原爆の高熱を使い、核融合反応を起こそうとしたそうですが、
 緻密な計算の結果、
 原爆のエネルギーでは破壊力が維持できないと分かった

 しかしそこに突破口を与えたのが同僚の数学者
 原爆の爆発で、容器の内部に圧縮状態を作るアイデアを出す

 テラーはそこから閃きを得て、
 外から核分裂を起こし内部を圧縮させ
 その内部でもう一度核分裂を起こさせることで、莫大な爆発の力を得ることを考えた

 テラーの設計は完璧で、みんなその実用化に突き進んだそうです
 ある物理学者は
 「普通、武器の開発は称賛されるべきではないが、
  テラーの設計は天才しかなし得ない偉業だった」

 その証拠に、
 かつての友人で水爆開発は拒否した物理学者ハンス・ベーテは
 「核分裂の発見に匹敵する」 、
 水爆反対を表明したオッペンハイマーまでも
 「この設計は技術的にとても甘美」
 と、みな倫理性を抜きにして称賛した

 しかし1951年9月、
 水爆実用化の段階で、テラーは責任者から外される
 これは彼の人間性の問題だそうで
 当時のロスアラモス所長は
 「彼がリーダーを続けていたら、職員の2/3がやめていただろう」

 それを示すエピソードとして
 彼は仲間とアイデアを数式化していたとき
 「君たちはこのまま徹夜で作業してくれ、
  私はこれからピアノをひいて、家族と食事をしなくては」
 と立ち去り、
 次の日彼は、徹夜作業した仲間を労りもせずお詫びもせず、
 一人ご機嫌だったらしい

 当時開発チームにいた人は
 「彼は自分がリーダーだと思っていたが、その資質はなかった」
 みたいなことを言っていました

 彼はその決定後、1週間後にロスアラモス研究所を辞職したそうです

 1952年11月、ビキニ環礁にて水爆実験が成功
 彼はカリフォルニアの地震計でそれを知り、
 「It's a boy」
 とロスアラモスに打電したそうです

 私は意味が分からなかったんですが
 これは「男の子が産まれた」という意味で、
 「私が水爆の父親だ」と言いたかったらしいです

○解説
 「彼のアイデアは、オッペンハイマーも称賛していましたが…」という質問に
 笠田氏は
 「理論的に不可能だったことが新しいアイデアでできたというのは、
  どういうものかは抜きにして、
  科学者にとっては称賛すべきことなんでしょうね」
 「たぶん嫉妬も覚えたでしょう」とのこと

 池内氏は
 「純粋に、技術的に考えればたしかに素晴らしい。
  科学者ってのは子供みたいなところがあるから、
  技術的に困難なことをクリアできたのは純粋な喜びだったんでしょうね。
  最新のオモチャを子供がねだるようなもの」

 さすがにこの例えには
 「武器でもおもちゃなんですか…」と驚く武内アナに
 笠田氏は
 「彼は完成させることだけが目的で、
  どういう使われ方になるかは興味もないし、想像すらわかなかったんでしょう。
  だからこそ自分の子だ、とか言った」
 池内氏は
 「前人未到の領域に踏み込むのはある意味誇りですよね、
  科学者は世界一とか世界初に弱いんですよ」

 武内アナは「でも現実としては、はかりしれない影響がありますよね…」
 池内氏は
 「そこはそうです、
  ゼロから1になったらもう戻れない。
  技術的にブレークスルーが起きて、
  その知識のもとに悩むとなると全く新しい世界になります」

 影響が大きい技術ほど、先へ進むべきか熟慮すべき、ということですね。

○オッペンハイマーへの裏切り
 テラーは責任者を外された際、
 オッペンハイマーにハメられたと思ったようです

 やつは自分に反対している、という思い込みが強く
 オッペンハイマーに憎しみを持っていた
 ジャーナリストさんは、
 その理由として妬みがあったのでは、と指摘しています

 オッペンハイマーはハンサムでカリスマ性もあり、
 みんなに崇拝されていた。
 テラーは「自分も優れているのになんで彼と同じように尊敬されないのか」
 と考えていたらしい
 自分の人間性の無さに自覚がないあたりがイタいってことかしら…

 しかし、そのオッペンハイマーに「仕返し」するチャンスが巡ってくる
 1953年8月、ソ連が水爆開発に成功
 すると、オッペンハイマーにソ連へのスパイ疑惑が起きたそうです

 当時原子力政策顧問だったオッペンハイマーの処遇を決める聴聞会が開かれた
 その席では、多くの科学者がオッペンハイマー擁護の立場だったそうです

 テラーもその席に呼ばれ、
 発言する前、友人のハンス・ベーテに
 「不利な発言をすべきでない」と忠告されたそうです
 (ベーテは、テラーが孤立するだろうことを案じていたらしい)

 しかしテラーはその忠告を無視した
 1954年4月、テラーは証言台に立ち
 「オッペンハイマーは理解予測な行動を取る、
  重要な事柄はもっと信頼できる人にゆだねるべき」
 と発言したそうです

 テラーの証言が決定打となり、
 オッペンハイマーは公職を追放される

 しかしオッペンハイマーを追い落としたテラーは
 ほかの科学者たちから冷遇されるようになる
 これは彼にとって辛いことだったようです
 「亡命者である彼にとっては、
  科学者の世界は家族や友人みたいなもの、彼の全てだった」
 
 後に「オッペンハイマーを破滅に追い込もうとしたのか」と聞かれ
 「違います、打ち砕かれたのはこのテラーです」と答えたとか

○解説
 笠田氏はテラーの受けたショックについて
 「科学者にとっては、研究を否定されるのは全否定に等しい」
 と表現していました

 また、池内氏は背景として
 「彼の共産主義に対する憎しみはすごかった、
  オッペンハイマーは若い頃共産主義を支持していた時期もあって、
  それが聴聞会でも明らかになっていくんですけど
  それがテラーの憎しみを増やしたところがある」
 「それから当時は共産主義への赤狩りみたいなのがあって、
  そこにテラーも利用されたんですね」
 つまり、そもそもオッペンハイマーは共産主義ではないかという疑いがあり
 周りは何か追放する理由が欲しかった、
 そこにテラーの憎悪が利用されたという感じですかね。

○晩年は政治家と軍人に囲まれる
 さて科学者から村八分にされたオッペンハイマーの周りには
 軍人や政治家が集まるようになる
 軍人たちはテラーを
 「核兵器の神」と崇めてくれたそうです

 政府も軍事への予算を増やし、テラーの発言力はます

 しかし世界ではビキニ環礁での水爆実験で、1万人の被爆者が出たことが明らかになり、
 原水爆反対の動きが強まる
 6億7千万が反対署名したそうです

 そこで核の平和利用をめざす
 「プラウシェア計画」が立ち上がる
 この計画は1960~70年代のもので、
 核爆発で運河を作ったり、地下資源を掘ったり…

 テラーもこの計画に加わり、多くの実験を行うが
 その過程で多くの放射性物質が出された
 彼はそこは考慮しなかったようです

 ついに世論の反対が強まり、1975年に計画は中止

 (あとで調べたら、
 プラウシェア計画は「平和的核爆発」
 つまり土木工事や採掘などに、
 核爆発を平和的に使う計画の一環で
 ソ連でも行われていたようです。

 アメリカでは放射線漏れの問題が解決できず、
 1977年には予算が打ちきられていたようですが、
 ソ連では、国際的な批判を浴びる1980年代後半まで行われていたようです

 国際的には「平和的核爆発」は
 1968年時点では、核拡散防止条約でも認められていたが、
 2000年時点では、包括的核実験禁止条約に抵触する、
 として現在は禁止されているとのこと)

 その後、軍事としてはスターウォーズ計画(戦略防衛構想)も持ち上がる
 80年代の冷戦の最中レーガン政権で考えられた計画で、300億ドルが投じられたという

 テラーは晩年も科学者との関係は戻らないまま、2003年9月、95歳で亡くなる

 ジャーナリストさんは、
 彼は晩年精神的に幸せだったかどうかは疑わしい、という見方をしています
 「彼は晩年、軍人や政治家に天才とあがめられてはいたが、
  科学者たちと知的な議論をすることはなかった、
  彼にとっては辛かっただろう」

○解説
 池内氏は
 「科学者は、暴走してしまうと自分を誉めてくれる人としか付き合わなくなる」
 とのこと
 特にテラーは、色んな議論をしてアイデアを生んでいくのがこの人の道なのに、
 それとは逆の道を歩んで引き返せなくなっちゃったのだろう、とのことでした

 笠田氏は
 テラーは水爆を開発するまでは一流の科学者だったが
 それ以後は水爆のアイデアをみんなに認めてもらうためのことしかできなかった、
 プラウェア計画もその一環だったのだろう、
 と話していました

 番組の冒頭で、
 テラーは後に、
 水爆開発をして後ろめたさはないかと聞かれ
 「そんなもの感じたことはない、
  無限への挑戦は科学者にとって魅力的な冒険なのだ」
 と答えていた、という話が紹介されています

 池内氏は
 「彼のような人が政策を牛耳った事実を反省しなくてはいけない、
  それが起こり得ない社会にしないと」
 笠田氏も
 「科学者は自分の発見発明について、利益を強調してリスクを過小に表現しがち、
  科学と縁の無い人とこそ、科学者は対話の場を作り、
  一人の人間として恥ずかしくないよう、ちゃんと説明できるようにしていきたい」
 ということを話していました

○テラーが壊してしまったもの
 ナビゲーターの吉川さんが最後の方で
 「核開発はまだ続く…
  しかし壊してしまったものは二度と戻らない」
 と呟いています

 しかしテラーが本当に壊してしまったものとは何か…
 ということを示唆するエピソードでしめくくっています

 オッペンハイマーに一撃を与えたテラーですが、
 和解の道は模索していたそうです

 オッペンハイマーがフェルミ賞を受賞したとき、
 テラーはオッペンハイマーに手紙を書いた
 ロスアラモスで議論していた思い出、会ってまた話したい、
 これからの幸運を祈っている、
 ということなどを綴った長い手紙だったそうです。

 しかしそれに対するオッペンハイマーの返事はたった二行
 「手紙をありがとう
  大変嬉しく思いました」

○感想など
 オッペンハイマーについては
 「Outliers」という本(マルコム・グラッドウェル、邦題「天才!」)という本に少し記述がありまして、

 彼も一筋縄の人間ではなく、
 若い頃には精神病を病んだり、上司に毒を盛る事件を起こしたとか…
 (仕事や上司とあわずノイローゼ状態だったらしい)
 ですので、二度と社会的に立ち直れない危険もあったのに、
 後にマンハッタン計画に抜擢されたのは彼の人柄のおかげ…
 みたいな話が書かれていました

 彼は裕福な生まれで
 人に交渉したり、人の上に立てるような経験を子供の頃から与えられて来たのだそうです。
 事件を起こしても救われたのは
 そんな彼の能力を抜擢した人(名前忘れたけどたぶん軍人)が見抜いたからだろう。と。

 ちなみに、オッペンハイマーの生涯も気になったので少し調べましたが
 数奇な運命を辿ったためか、
 本やドキュメンタリー映画などになっているようです

 本は、「オッペンハイマー 「原爆の父」 と呼ばれた男の栄光と悲劇」上下巻
 ドキュメンタリー映画は「The day after Trinity」

 読んだことないので書評などを流し読みしますと
 彼の公職追放が決まった聴聞会?裁判?では
 共産主義との関係だけではなく
 彼の女性関係なんかも暴露されてしまい
 妻はアル中になってしまったとか…
 (まぁ、たしかに写真見たらイケメンだしねぇ)

 公職追放決定後もFBIに監視された生活で、
 私生活は最期まで大変だったようです。
 (ただし量子力学では功績があり、
 亡くなる2年前にフェルミ賞を受賞されています)

 ところで、彼はマンハッタン計画で原爆開発に成功し
 社会的地位は上がるわけですが、
 彼はテラーとは違い、開発成功の高揚感は無かったみたいです
 というか、テラー以外の研究者はそうだったのかもしれない。

 ドキュメンタリー映画について書かれた以下のサイト
 http://nowsharp.com/archives/1147 によれば、
 そもそもオッペンハイマーが核爆弾開発をしたのは
 ファシズムから西洋文明を守るためだった、という見解があります
 つまり悪に立ち向かうために仕方なく、ですね。

 当時の研究員たちはというと
 戦争終結への期待と、危険な兵器を産み出す怖さの混じった複雑な思いだった。
 オッペンハイマーの弟さんなんかは「成功しても失敗しても不安」と述べていたそうです

 更に日本へ実際に原爆投下されてしまった後は、関係者は
 「戦争終結に貢献することができた」とは思いつつ
 「もたらした結果に衝撃を受け、恐怖を覚え、
  二度とこのようなことをしてはならないという思いに襲われた」とあります。

 つまりみんな、
 必要悪として開発はしたが、
 人道的な後ろめたさ、してしまったことへの怖さはあったということです
 (それが普通だと思うが)

 オッペンハイマーも深く後悔しており
 戦後には政府の意に反し、
 核の管理、核の乱用防止のための体制作りを訴えた
 たぶん反政府的な立場を取ったことが後に政府からターゲットにされることにつながるんだろうけど、
 でも人間としてはマトモな流れでしょう。

 こう見ていくと、
 オッペンハイマーは、テラーとは純粋に科学的な議論は楽しんでいたけど
 生きるよすがは全然違ってたということになりそうです。
 二人のラブ・アフェアも、
 オッペンハイマーにとっては科学に限定したことだったけど
 テラーは価値観の一致も求めていた、
 つまりある意味テラーの片想いだったのかもしれません…

 晩年語り合えたとしても
 そもそもの価値観が違うので
 彼と真の交流が出来たかどうか…

 それから、晩年のテラーについてジャーナリストは
 「彼は知的な議論は出来ず寂しかったのでは」
 という見方をしているが、
 うーん、私はちょっとそれは希望的観測というか、センチメンタル過ぎかな~と思いました。

 人間って変わるし
 今に合わせて都合よく記憶を変えてしまう生き物なので、
 彼も晩年政治家とか軍人にちやほやされてたら
 「あー、若いときは科学に狂ってたな~、
  俺も若かったよねぇ、何であんなに熱中してたんだろ」
 てな具合に
 科学への情熱をもう過去のものとして、押しやってしまうんじゃないかなぁ…

 それで名誉もお金もあったなら、
 それなりに幸せになっちゃうんじゃないかなと思います。
 あれだけ数学や物理の才能があった人なので、そうあって欲しくはない~と他人は思うかもしれないが
 人間ってそんなもんじゃないかなぁ。

 まあでも「それでいいのかお前の人生」とは聞きたくなる。
 彼の生涯の黄金期は、ロスアラモス研究所時代だったのかもしれない。
 平和な時代なら、オッペンハイマーと議論して
 もっと素晴らしい量子力学理論を生み出していたかもしれないですね。

 子供を持つ親としては
 どんなに才能があっても、他人の痛みが分からない人間には育てたくない、と思う。
 だんなもよく
 「どんだけ頭良くても最後は人間力よ」
 と言いますけど、いい大学出ていても人間的に問題…という人は実際苦労している。
 本人にとっても幸せではないしね。
 科学教育する前に、倫理観を育てる経験が必要なのかなとも思いました。

というわけでだらだら長くなりましたが、今回はこの辺で。
 

 
 
posted by Amago at 12:00| Comment(0) | テレビ(科学) | 更新情報をチェックする