2017年08月15日

NHKBS世界のドキュメンタリー「みんなのための資本論」

NHKBS世界のドキュメンタリー「みんなのための資本論」

一週間くらい前?にやってたドキュメンタリーです。
再放送らしいですけど。

最近、ドキュメンタリーものは戦争が多い。
終戦記念日が近いし、負の歴史を忘れてはいけないってのも分かるんですけど、
もうちょっと明るい番組が見たいかな~という気分にさせられます。

そんななか、この番組は意外と前向きで勇気付けられました。
(戦争とは関係ないけど)

クリントン政権のとき労働省官だったロバート・ライシュ氏の講義を軸とした番組です。

2013年アメリカ製作なんですが、
アメリカの格差がここまで拡大した理由、
経済不安の背景を鮮やかに解説してくれてあり、
今見ても十分学べる内容でした。

○アメリカの格差
 最初に、アメリカは現在先進国で最も格差が大きい、
という話でした

 格差を比較するために、
 金持ちと平均の労働者の賃金を比較すると

 1978年では労働者の平均年収が4万8千ドル、
 上位1%は39万ドル

 2010年では平均年収は3万4千ドル弱に下がり、
 上位1%は逆に110万ドルに

 2012年には、アメリカの上位わずか400人が、全体の半分(1億5千万人)相当の富を得ている、
 というデータもあるらしい

○格差がもたらす問題
 次に格差の何が問題か、という話。
 1つは「投機的な消費が増え、バブルが弾けやすい」

 経済学者のエマニュエル・サエズ氏、トマ・ピケティ氏は
 1920年くらいから今までの税務記録を調べたそうです

 すると、アメリカの総収入に占める上位1%の人たちの収入割合
 (つまり、富の独占具合)
 を調べると
 1928年と2007年に2つの山があり、共に23%を越えているそうです

 富裕層による富の独占があると、
 彼らは金融セクター(株、債権、金塊、不動産など)への投資に走る
 一方この期間に中間層の収入は下がり、中間層は借金に走る

 こうして債務バブルがはじけて金融危機が来る

 そのあと1928年後には株価大暴落、
 2008年にはリーマンショックが起きている
 この構図はどちらも変わらないそうです

 また、
 「少数の金持ちが収入を増やしても、みんな豊かにはならない」
 という問題もある

 ある投資家は
 「私の会社は寝具メーカーだが、
  私が収入を10万ドル増やしたところで私が必要な枕は1個だけ、消費はそんなに増えない。
  ここに格差の問題がある」
 と話していました

 ライシュさんは
 「安定の鍵は中間層」
 と言っています

 経済の7割は個人消費が占め、
 その消費は中間層が中核になっている
 上位1%の金持ちが収入が増やしたところで
 その分国内消費を増やすわけではない。
 彼らはお金を貯め、投機商品を買い、それらのお金は他国に流れていく

 しかし、金持ちたちは
 「自分達は雇用を産み出している、
  我々に増税したら困る労働者が増える」という
 (実は私もこの理論に騙されてました)

 しかし、ある投資家は
 「雇用主は自分達は雇用を産み出しているというが、
  それは経済の仕組みを説明していない。
  彼らは自分達の地位、特権、権力の追求をしているだけだ」と。

 そして「雇用を産み出すのは経営者ではない。顧客だ」
 目から鱗でした。

○格差はなぜ生まれたか
 次に、格差はいつ、どのように生まれたか。

 ライシュ氏によれば
 アメリカは1929年からGDPは一貫して増加している
 つまりアメリカは数値上はずっと豊かになっているらしい
 中間層の賃金もGDP上昇に伴い増加していたのだそうだ。

 しかし、1970年を境に急に横ばいになったそうです
 ではこのとき何が起きたのか?

 ライシュ氏が当時見ていたデータには
 ・工場の海外移転
 ・技術革新
 ・金融の規制緩和への要求
 ・労働組合の結成を阻害したり、既存の組合をつぶす
 などの動きがあったそうです

 ライシュ氏によれば、
 「グローバル化」「テクノロジー」が企業を変えたそうです

 つまり、通信技術の発展により、世界中のどこでも仕事が可能になった
 また、安い労働力を求めて工場が海外移転した
 オートメーション化は、従業員の必要性をなくした

 こうして大企業は効率化を進めた
 彼によれば
 「グローバル化は雇用を奪ったというがそれは間違い、
  正確には賃金が下げられた」

 このため働いても収入が増えない
 掛け持ちしたり残業しても収入は増えない
 いわゆるワーキングプアが増えた

 さらに深刻なのは生活費の増加だそうです
 特に家賃、養育費、教育費は増え続け
 実質的に中間層の賃金は横ばいどころでなく、生活水準を下げざるを得ない

 一方儲けた金持ちは
 金融投資にお金を回すからお金が国内に流れない

○第二次大戦後のアメリカに学べ
 「このような状況をうまくやってのけた国家はあるのか?
  実はアメリカがそうだった」
 ライシュ氏によれば、解決のカギは昔のアメリカにあるそうです
 1947から1977年の30年間、アメリカは大繁栄、格差も縮小していたらしい

 ではこのとき取られた政策とは?
 ・教育への投資が強まった
  教育は国家の最優先課題とされ、
  高等教育を受ける人の割合も増えたそうです

 ・労働者の権利が確保された
  労働組合も誕生、組合も増えた

 ・高所得者からの税金が多かった
  最高限界税率も高く、
  アイゼンハワー大統領(1950年代)のときはなんと91%だったらしい。
  この時代は富裕層は5割以上を税金として払っていた
  このため教育への公費による投資もたくさんできた

 こうして
 中間層の賃金は上昇
 →購買力増加
 →企業の収益増加
 →税金増加
 →公共投資増える
 →教育水準上がる
 という良い循環だったらしい

○世論を操る富裕層
 しかしその後、1970年くらいから教育への投資が伸び悩み、
 1980年代からはリストラや賃金低下が始まり、格差が拡大

 ライシュ氏によれば、それでも上位1%の金持ちは巧みに世論を操り
 「政府は悪、マーケットは庶民の味方」
 という考え方を人々に植え付けているそうです

 ライシュ氏と労働者のやり取りにそれが如実に現れていました

 ある労働者は
 「うちの会社はいい会社」と言う
 ライシュ氏は「ではなぜ人員を削減するのか」
 「リストラすれば会社の収益が上がる、仕方ない」

 しかし、ライシュ氏はその現状に怒れ、と労働者に呼び掛けます
 ある労組の集会で
 「いいですか、労働者の発言権が無くなるということは、
  労働者の賃金や手当ての削減に直結するんです」
 労働者は
 「私は会社から身にに余る処遇を受けてますよ」
 と反論。

 ライシュ氏は
 「株主に依存する会社は株主から圧力を受ける、
  それが会社であり、本質的には悪いことではないが、
  それは必然的に皆さんの給料の削減につながる」

 労働者はなおも反論する。
 「私が言いたいのは、稼ぐ人はすごい優秀な人ってことです。
  自分はそうじゃないから、労働者になっているんだと思う、
  今のアメリカは苦しい、企業にも負担がかかっている…」

 しかしライシュ氏は
 「いいえ、アメリカは今最も豊かです。
  そしてこの国の一部の人たちは、人類市場最も利益を得ている」とキッパリ言う。
 この言葉には、みんな引き込まれていました

 この集会を終えた方は
 「何億ドルも持っているのに、なんで私たちのなけなしのお金が必要なの?」
 と憤っていました

 ライシュ氏は、
 「企業の目的は労働者の質の確保ではない、
  一番の目的は利益を上げることだ」
 そして、
 「ウォール街にその権力がある」と話しています

○負の循環の果てがリーマンショック
 またライシュ氏は
 「1980年代の大不況に対し、なぜ措置を取られなかったか?
  それは一般労働者が適応したからだ」と述べていました
 適応の仕方は3つだそうです

 1女性が働き始めた
  まず女性が社会進出した
  彼によれば、女性が働きだしたのは解放などではなく、
  家計を支えるためだそう

 2長時間働く
  次に人々は労働時間を増やした
  1990年代から残業や早朝勤務が増えた、
  ライシュ氏はそんな現場も見て回ったそうです

 3借金
  しかしそれでも足りず、人々は借金を始める
  住宅価格の上昇を背景に
  自宅を担保にして医療費やクレジットカードを支払う人が増えた

  (ちなみにこれは2013年製作ドキュメンタリーですが、
  このときの場面に
  ドナルド・トランプ氏が
  「ビーチに家を買う絶好の機会です、
   多少の現金があればOK、
   アンビリーバブル・ディール!」
  と呼び掛けている場面もありました。それが今の大統領なのね…)
  その末の借金バブルが、リーマンショックだそうです

  「30年間、人々はインフレに順応してきたが、それも限界を迎えた」

 賃金が増えない
 →購買力低下
 →人員削減
 →税金減少
 →予算削減
 →教育の質低下
 →失業
 という負の循環になっている

○格差は民主主義も歪める
 またライシュ氏は
 「格差は民主主義も損なう」
 と主張しています
 トップに金が集中しすぎて、
政治も支配してしまう

 まず金持ちは税制を支配した

 アイゼンハワーの時代(1953~61)には最高税率91%、富裕層は収入の5割を税金として支払っていた
 ジョンソン、ニクソン、フォード、カーターの時代でも70%
 しかしレーガンの時代に大幅減税が行われ28%、
 今でも35%くらいなんだそうです

 しかも資産運用の場合は減税されるので
 富裕層は実質的には15%くらいしか払っていないそうです

 中間層の賃金低下と富裕層の減税、
 このため当然全体として税収は減る
 こうして公的な教育投資も減り、
 授業料が高くなり、教育格差が生まれた

 また2010年には、最高裁が
 「企業の政治献金の制限は表現の自由の侵害に当たる」
 という判決を下したそうです
 金で政治を買うことが容認された、ということだそう

 2012年時点の選挙運動では、多額の政治献金が行われているそうです
 議員によれば
 「そのうち大統領を金で買う人が出てくるかも」
 としつつ
 「ふさわしくない人が政治家になる危険性もある
  そもそも政治はお金で買うものではない」
 と話している

 こうして、富裕層に都合のいい人が政治家に選ばれ
 富裕層に都合のいい政策ばかりが取られる
 しかも金持ちは上手いこと世論を操作するから
 庶民はそのカラクリに気づかない

 それでも庶民は生活に不満をもち、
 なにかにその矛先を向けたくなる
 イスラム教や移民排斥の気持ちもそこから生まれている
 ライシュ氏は、
 「世論の分断が起きている、
危険な状態」
 と述べています

 それにたいし我々はどうすべきか?
 ライシュ氏は、
 「我々の共有する価値観と現実とのズレに目を向けること、
  そこから不正行為が見えてくる」
 と話しています

 「富裕層や企業から流れるお金は
  民主主義の基盤である倫理の礎を脅かす。
  このままでは民主主義は腐敗してしまう」

○ライシュ氏のメッセージ
 最後に、彼は自分の原点を語ってくれました

 彼は背が低く、いじめられていたそうです
 そこで、先輩を味方につけて身を守ることを考えた
 中でも一番助けてくれた上級生がいたそうです

 しかし彼は黒人の有権者登録を手伝っているとき、
 リンチにあい、殺されてしまった

 ライシュ氏は
 「自分を守ってくれた人が本当のいじめっ子に殺されてしまった」
 と思ったそうです
 そしてそこから、弱者を助けなければ、と思ったのだそう
 彼が今、格差問題に取り組むのはそのためだそうです
 まずは他の人を勇気づけ、まとめること、そこから始まる、と。
 「経済のルールを作るのは我々です。
  その力を我持っているのも我々。
  政治を人任せにしてはいけない、
  自ら動くのです」
 と話しています

 そして学生への講義の最後では
 「格差のグラフを最初の講義でに見たとき、
  落ち込んだり不安になった人は多いはず、
  格差は階級闘争の始まりか?と。
  いや、金持ちは更にうまくやっていく」

 しかし彼はこう続けます。
 「歴史は前向きな社会に味方してきた。
  失業保険、社会保障、選挙権、環境保護…、我々の先人は色んな制度を改革してきた。
  もし社会の改革に疑問を持つことがあれば、
  その歴史を思い出して欲しい。
  それらの歴史は、確実に君たちに引き継がれていく。君たちに。」

 「社会を変えるには、大統領や労働長官になる必要はない。
  なぜなら君たちは、色んな分野でリーダーになれるからだ」

 「私にも色んな選択があった。
  しかし、私は今日ここで教壇に立つことを選んだ。
  なぜなら、君たちを信頼しているからだ。
  これから、君たちが驚きと輝きに満ちたキャリアを歩むことを望む」
 と講義は終わっていました

 講義を聞いた学生は
 「触発されました。僕もなにかを変えたい」
 「ブラジルでNGOに入りたい」
 「進学を望んでいるが、希望が見えてきた」
 「この講義で感じたことを本にした」

 ライシュ氏と話をした労働者も
 「やるべきことはもうわかってる、
  革命は小さな一歩から始まるのよ」
 と話していました

○感想など
・格差のできかたについては、現在でも学べる内容だなぁ…と思いつつ
 2013年に指摘されていた変革が、
 なんでいまだに行動に移されていないのだろう、とも思いました。

 そして、今回の大統領選挙やトランプ政権について、
 ライシュ氏はどう思っているんだろうと思ってあとから調べました。

 すると彼が2015年に書かれた
 「最後の民主主義」という本にそのヒントがあるようです。

 私は読んでないんですけど
 http://toyokeizai.net/articles/-/145115
 にはご本人の前書きが載せられています

 私の解釈で書きますと

 ここには、
 アメリカではかつてないほど格差が拡大している。

 ライシュ氏はそれへの解決策として、
 伝統的な経済学らしく
 「政府が金持ちに増税し、貧しい人のための政策に使う」
 つまり所得の再分配を考えていたそうですが
 それは現状では無理があるのではと。

 その理由は、今回も指摘していたとおり
 ・金持ちが、市場のルール自体を自分達に有利になるように変えてしまっている

 ・その結果、
  ワーキングプア(働いても貧乏)とノンワーキングリッチ(働かなくても裕福)が生まれている。
  乱暴な言い方をすれば、
  金持ちは努力しなくてもルール上有利なので儲けられる。

  市場はもともと「稼ぐ人はそれに値することをしているんだ」
  というルールだが、それはもはや形骸化している

  それなのにいまだに金持ちは善、努力している、雇用を作っている、
  貧乏人は努力していない、能力がない
  みたいに思い込まれている

 ・この状況で「所得の再分配」を言えば
  「政府の介入(大きな政府、いわゆる今までの民主党)」対「市場に委ねる(小さな政府、いわゆる今までの共和党)」の対決になるだけ

  この構図では弱者である労働者層が入り込めず、社会を変革するのを妨げてしまう

 解決のカギは
 既存のエスタブリッシュメント対弱者労働者層
 の対決なのでは、
 みたいなことを書いています

 そして、その流れがトランプ政権誕生、サンダース氏の健闘だったのでしょう。
 ヒラリーさんは、エスタブリッシュメントの一人とみなされてしまった。

 そういう意味では、今回の大統領選は、
 労働者層にとってはある意味変革だったのだろう。

 しかしトランプ政権がベストかというと微妙…
 ライシュ氏は、就任前のトランプ氏に対して
 「トランプは、世界を個人的な勝利か敗北か、敵か友人か、サポーターか批判者かという点から世界を見ている。 大統領は個人的な敵意を越えて、公共的 に信託された職を維持しなければならないものなのだということもまだわかっていない。」
 と批判的です。
 (http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/671446/563362/86612941)

 まぁ要するに、今回の大統領選挙は
 「史上最悪」
 と言われたように、有権者にとっては選択肢が無さすぎたのかも…

 さてこの状況からこれからどうなるか。
 http://diamond.jp/articles/-/118272
 は橘玲氏のこの本の書評ですが
 橘氏はアメリカの格差は制度的なもの、
 と指摘していて興味深い。

 例えばアメリカでは、不動産価格とその学区の学校の質が連動していて、
 家族が家を買うとき、
 不動産価格ととその学区の学校の情報を真剣に調べるのだそう。

 自分の予算内で一番学校の質がいいところを選ぶためで、
 これはなぜかというと
 アメリカでは学校を建てる予算のうち、地方の負担分の何割かは、その地方の不動産税から出される制度なのだそうです。
 金持ちの地域ならしっかり税金を払ってくれるので、いい学校ができる

 さらにそこに住む人は、
 自分の家の不動産価値を高めるため、
 あと自分の子供の教育水準を高めるために、
 寄付やバザーなどにより学校の質を高めることに熱心になるのだそうだ。

 これが進むと
 金持ちが住むような土地では教育の質がますます良くなり、
 貧乏人が住むところでは逆の現象が起きる
 つまり教育格差が高まるのだそうだ。

 これを防ぐには、国などが税金で均一的な教育を提供することだが、
 これは今いい教育を受けている所では質が低下することになり
 そのような制度改革(彼らにとっては改悪)はあり得ない、と。

 また、今回のドキュメンタリーで出てきたように
 企業の政治献金も表現の自由として保証されている
 ある企業が自分に有利になるように政治家に献金すれば、
 ライバル企業も自分達が潰されないように、政治家に献金せざるを得ない
 払うお金がない企業は競争に不利になる。

 つまり格差はもはや制度に組み込まれている。
 こうした状況にライシュ氏はどんな提言をしているのか。

 ライシュ氏は公教育改革やTPP、NAFTAなどには否定的みたいです。
 というのは、自由競争を容認すれば
 それに負けた人は自己責任とされてしまう危険がある、という考え方。
 「市場で勝つ人が善」みたいな価値観に違和感があるみたいです。
 (まぁ、私個人的には敗者への救済措置があればいいのかなと思いますが)

 ライシュ氏の解決案はわりとあっさりらしくて
 「政治不信が高まれば、理性的な勢力が革命を起こすだろう」
 みたいな希望観測的な話なんだそうです。

 しかし橘氏は、
 「これはリアリティがない」とし
 「じつはライシュ自身がそんな勢力になんの期待もしていないのではないだろうか」
 と書いています。

 そしてここから先は少々SF的な予測になりますが
 ライシュ氏は、
 テクノロジーの発達で人間がする仕事自体が減るのでは、という予測もしているそうです。

 そして、世の中の仕事はAIが担い、
 テクノロジーを作った少数の人だけが莫大な富を得て
 残りの人は仕事も所得もなくなる…と。つまり格差が二極化してしまう。
 そうなると、仕事も富もない人たちに対するベーシックインカムが現実的になるのでは、とのこと。

 なぜかと言えば、
 テクノロジーを発明し、富を手にする人たちにとっては、
 自分達でその富を独占して社会を混乱させるよりかは
 大多数に最低限の生活費を出して安定した社会にしておく方が得だ、と気づき始めるのでは、と…。

 ライシュ氏はこれにより
 人々は芸術や娯楽を追求するようになり
 社会は芸術、ボランティア活動などの成果を得る、
 としている。

 橘氏はこれは現実に起こりうるのでは、と述べています。

 うーん。なかなかスゴい。

 実際そうなったらどうなんでしょうね。

 テクノロジーを勉強しまくって、ヒエラルキーピラミッドの頂点に行くか、
 あるいは最低限のお金をもらって娯楽やボランティアで生活するか、の二拓になるんかな。

 こうなるとお金というものが意味を成さなくなるのかもしれない。
 働く人がいない、てことは現金収入がなく、税金を納める人がない世界になるわけで…
 そうなると、
 ギリシャの時間銀行とか補完貨幣、みたいなものができるのかもしれない。

 まぁベーシックインカムもらってボランティアする生活もある意味楽なんかなぁ、
 とも思いますね。
 (ただ、支配する側、される側という構図にはなりたくない。選択が自由ならいいかな)
 アメリカはよく分かりませんが
 日本だと最近物を持たない「ミニマリスト」だの、「物のシェア」なんて生き方もできてきているので
 ある意味モノのいらないシンプルな世の中に適応してしまえるかも。

…なんかこう見ていくと、最初にこの番組を見たときの
 「変革しようぜ」という気概はどこへいった、て感じですが(笑)
 変化に対応できるような柔軟さ、
 それから変化をつかめるよう、情報をキャッチしていくことが
 これからは必要となるのかなと思いました。

色々勉強になりました。
というわけで今回はこの辺で。

2017年07月27日

NHKBSスペシャル「激動の世界を行く メキシコ」

NHKBSスペシャル「激動の世界を行く メキシコ」

大越健介キャスターが各地を行くシリーズ。
不定期にやっているみたいですが、今回はメキシコでした。
そう言えばメキシコってあんまり知らないな、と思って見てみました。

前半は移民問題、後半はメキシコ文化の話でした。
移民の話はトランプさんがらみでよく話題にされるのでもういいよ、って感じでしたが(笑)
後半の方が知らなかったことが多くて面白かったかな、と思います。

まず前半から。
○アメリカとメキシコの国境沿いの町
 最初に大越さんが訪れたのは、
 メキシコの国境近くの町ティファナ。
 太平洋に面していて、
 国境を隔てた向こうはカリフォルニア州のサンディエゴだそうです

 大越さん
 「大地はずっと続いているのに…」
 隔てるのは、人間が作った壁だけでした

 ここの国境は、アメリカ人はビザなしで越えられる
 アメリカ側では、楽しそうにスイスイ人が流れていく

 一方、メキシコ側から行くにはビザが必要。
 入国手続きを待つ人たちの列が渋滞になっていて、身なりも貧しい
 「申し訳ないけど、お風呂に何日も入ってないようなすえた臭い」

 合法的にアメリカに行くには、
 健康状態、犯罪歴などの厳しい審査がある
 自分は強制送還された過去があるからダメだろう、とか、
 違法でも仲介業者にお金を払って出国するかも、
 と話す人もいました

 また、ここには移民のためのキャンプ?シェルター?があり、
 朝食を無料で提供している
 中には幼い子供を連れたお母さんもいて
 「アメリカでより良い暮らしがしたい、
  どんな仕事でもする」
 と言っていました

○サカテカス州
 アメリカへの移民は、サカテカス州出身の方が多いそうです
 彼らにとって、アメリカに出稼ぎに行くのは当たり前らしい

 47年間アメリカで働いていた、という靴磨きのおじさんは
 「トランプは最悪だ。
  働いているのは俺たちメキシコ人だ。
  建設現場にアメリカ人なんていない」
 「アメリカ人は怠け者なんだよ」
 と話していました。

 この州では、行政もアメリカからの求人を紹介し、移住を後押ししているそうです。

 行政の担当者の方は
 「アメリカ企業は、強制送還により人手不足になっている。
  メキシコ人は、アメリカ人のやりたがらない分野をする
  だからアメリカの企業も不法移民でも雇ってきた」
 と話しています
 トランプ政権発足後でも求人は減らないだろう、とのこと

 具体的には建設業界、清掃業などが多い
 アメリカで働きたい、という若い女性に聞くと
 「英語ももっと勉強したい、
  メキシコから出ていくことで成長したい」

 彼女は電話での面接試験を受けたものの、
 緊張でほとんど英語を話せず不合格。
 それでもまたトライするといっていました

 行政の仕事紹介の担当者の方は
 「彼らの力になるのが喜び。
  彼らがチャンスを掴み、前進していくのを応援したい」
 アメリカから写真を送ってくれる人もいて
 感激して涙が出るそうです。

 この州には、2/3の町民がアメリカに出稼ぎに町もある

 17年調理師としてアメリカで働いた方は、
 そのお金で故郷に家も建てたそうです
 「安定した生活はアメリカのおかげ、
  アメリカは私にとっても家族にとっても大切な第2の故郷」
 と話していました。

 歴史的には、
 19世紀からメキシコからアメリカへの出稼ぎが行われていたそうです

 安い労働力を必要とするアメリカと、
 仕事が欲しいメキシコ人との利害が一致し、
 このため違法でも不法移民は黙認されてきた
 今では違法、合法合わせて1000万人以上のメキシコ人が住むそうです

 メキシコの局長の方は
 「トランプ氏は、すべての問題をメキシコが作った、と批判するがそれは違う。
  メキシコの安い労働力が、アメリカの経済成長を支えてきた。
  両国は150年間、強い結び付きがあり、
  移民の伝統を裁ち切るのは難しい」

 アメリカにとっても、メキシコにとっても、
 移民の流れを止める方がむしろ不自然なようです。

 サカテカス州では、
 英語が小学校で必修なんだそう
 子供たちも
 「英語は好き」
 「何で?」
 「仕事に役立つから」

 「お姉ちゃんは医師でアメリカにいるの」
 という子は、自分も勉強してアメリカに行きたい、
 と話していました

 「ほとんどの子供は、親や兄、姉がアメリカで働いていて、
  それが英語への好奇心につながっている」
 と先生は話していました

 大越さんは
 「この子達にとっては、国境はあってないようなもんなんだね」

○南米からの移民の中継地
 さて次に大越さんが訪れたのは、中央のサンルイスポトシ州

 ここは南米からの移民の中継地だそうです

 ここには、250人収容できる大きな移民シェルターがあり、
 近くに貨物列車の線路が走っている
 移民はここから貨物列車に乗り込んで(違法ですが…)国境に向かうそうです。

 移民シェルターは、3食無料で振る舞われ、シャワールーム、医務室もある。
 利用者は
 「旅の途中のオアシスだよ、ここで休んで元気を取り戻して、また先に行くんだ」

 利用者の出身地を聞くと、
 ホンジュラスやエルサルバドルなど

 エルサルバドルから来た、という男性によると
 エルサルバドルは治安が悪く、住むのは危険なんだそう

 彼は体に残る銃弾の跡(太ももと脇)を見せてくれました。
 これは、彼の妻が経営するお店で、
 ギャングからみかじめ料を請求されたので断ったら、
 バイクで横付けされて銃撃されたそうです

 彼は身の危険を感じ、家族でアメリカに渡ろうと決意
 まず自分が様子を見るために先に渡るそうです
 「残してきた娘、妻、息子が心配だ」
 と話していました

 しかし
 「アメリカに渡る道中も油断できない」
 彼は列車の中で強盗に襲われたそうで、
 「時速70キロで走る列車からみんな投げ出された
  泥棒、誘拐、何でもいる、
誰も信用できない」

 このシェルターのスタッフは
 「使命感があって彼らを助けているのか」
 という質問に
 「私はメキシコ人だが、
  自分だっていつどこかの国の移民になるかもしれない」
 他人事とは思えないから助ける、と話していました

 さらに、
 「移民は犯罪ではない、させてしまう母国が悪いんです。
  働く機会、食事、教育も与えてもらえない。
  シェルターがなくても、彼らが自由に行き来できる日が来るのが私の夢」
 と話していました

 ホンジュラスから来た、という利用者もいて、
 家族に反対されても国境越えにトライする、ダメなら帰る、
 と話していました

 彼は「今日ここを出る」と言い
 仲間と一緒に貨物列車の外側にしがみついて行く
 貨物列車も黙認しているのか、心なしか速度が遅め…
 それを見送っていた大越さんは
 「無事を祈るとしか言えない」
 違法だから成功を祈るとは言えない、と言葉少なにコメントしていました

○アメリカにいる家族を思い、歌を作る男性
 次はティファナに住む60代の男性の話。
 彼はメキシコ音楽のボーカルをしていました
 「自分の歌を聴く人に、
  遠く離れた所に住む家族のことを思い出してほしいと思って歌っている」
 みたいな話をしていました

 大越さんが彼の家を訪ねると、彼は独り暮らし
 彼は30代のとき、娘と妻を連れてアメリカに渡った
 サンディエゴで音楽をしていたが、
 14年前に彼だけ強制送還されたそうです(理由は不明)

 喧嘩しても家族に会いたい。
 家族を思い出すと色んな感傷が生まれてくるので、
 歌として書き留めているのだそうです

 娘さんはずっとこちらに来ていない
 「来たらアメリカに戻れないかもしれない。
  娘の結婚式にも出られなかった」
 娘さんには娘が生まれたそうで
 今は孫娘を思う歌を作っている、と話していました

 大越さんが彼の家を訪ねてから数ヵ月、娘さんが孫を見せたい、と連絡してきたそうです

 出会うのは国境をまたぐ公園
 ここの公園には国境に格子状の柵があり
 離れた家族が柵越しに会うことは黙認されている

 待ち合わせの時間になり
 娘さんが旦那さんとベビーカーに乗せた孫娘を連れてきた
 柵越しに小さい孫の指を握ったり、彼は涙ぐんでいました
 そのうち彼は楽器を取り出すと孫娘を思う歌を歌い出しました

 メキシコ音楽はよく分からないけど、
 孫娘さんに、愛されて生まれてきた、会えなくてもいつも私の心の中にいるよ、という愛情あふれた歌でした

 ここで前半は終わり。
 アメリカとメキシコを隔てる壁について
 「ある人は家族を引き裂かれ、ある人は違法であっても国境を目指す」
 というような言葉で終わっていました

 次は後半です。
 前半はしんみりする場面が多かったですが、
 後半はメキシコの陽気さ、元気さを感じさせてくれるものでした
○メキシコ人の魂、ルチャリブレ
 大越さんがまず行ったのが
 「ルチャリブレ」
 というメキシコ版プロレスの試合
 メキシコ人の大衆娯楽です

 試合をするレスラーはみんな覆面を着けているのですが
 そのなかで、一人だけ素顔のレスラーが登場
 彼は「俺はアメリカの英雄だ」
といい、
 トランプ氏の顔がかかれた星条旗を振り回す
 彼は徹底的に悪役を演じていて
 最後に人気の覆面レスラーにやっつけられていました

 「彼は一人だけ素顔で、アメリカの自由さの象徴なんですね
  正に命がけのエンターテイメントですね」

 その星条旗のレスラーに話を聞くと
 「俺は華やかで、カリスマ性のあるアメリカ代表さ」と話していました

 ルチャリブレには応援団もいて
 団長に星条旗のレスラーについて聞くと
 「彼は仕事をしてるだけってのはみんな分かってる。
  みんな試合を見て、
  日々のストレスを発散して、
  次の日からのエネルギーにするのさ」

 彼はテピート地区もいうところでお店をしているそうですが、
 レスラーはテピート地区の出身が多いそうです

 そこで彼の店をたずねると、壁画一面に歴代レスラーの顔、顔、顔…
 「なぜこの地区にはレスラーが多いのか」
 とたずねると
 「小さい頃からみんなテレビや映画でレスラーを見て憧れる」

 彼によれば、この地区にはカロンテという彼の最も尊敬するレスラーがいるとのことで、
 大越さんは、その名前を継ぐレスラー、カロンテ・ジュニアに会いに行っていました

 カロンテ・ジュニアは覆面で仕事をしているので顔を出すのはNGだそうで
 覆面を被っての撮影でした

 カロンテは彼のお祖父さん、おじさん、お父さんが継いでいて
 彼は4代目らしい
 (お父さんはまだ現役なのでジュニア、みたいです)

 普段は家業の弁当屋を手伝う真面目な青年で、
 5歳から働いているそうです
 母親は
 「ここは治安も良くないし、不良になる子も多いのに
  うちの子は真っ直ぐ育ってくれた
  朝から晩までよく働いたわ」
 と話していました

 本人に
 「ルチャリブレの魅力とは?」と聞くと
 「マスクのマジック」
 人々はレスラーは強いと信じている、
 マスクをかぶることで別の人格になれる、と話していました

 (あんまりプロレスは詳しくないのでちょっと調べましたが
 Wiki情報によれば
 ルチャリブレはメキシコを中心に、中南米で絶大な人気を得ているそうです。
 レスラーは公の場ではマスクを外さないらしく
 伝説のレスラー、エル・サント(テピート地区の出身とかこの番組でも言ってましたが)、
 マスクを外さず葬儀をしたという逸話があるそうです

 空中技とか投げ技とか身軽な技が多いらしく、
 日本の小柄な選手や女子プロレスラーがルチャリブレ留学したりもするんだそうです。

 私は知りませんでしたが、
 日本ではザ・グレートサスケさんがルチャリブレの方で、
 東北にルチャリブレを根付かせた功績があるそうな。
 彼が議員になったときは、マスクを外すかどうかで問題になっていたらしい)

○メキシコ人のルーツ
 大越さんはそのあと、メキシコのルーツを色々訪ねていました
 ・街の遺跡
  メキシコ人は、アステカ帝国の繁栄のあと、スペインに征服された歴史がある

  メキシコの街にある建造物はそれを示しているかのようでした

  街並みは中世のヨーロッパに似ていて、
  スペインに征服された頃そのまま

  地下に残されたアステカ帝国の宮殿の跡地の上に
  スペインの大聖堂がどーんと建てられていて、
  大越さんは
  「歴史を上書きしているかのよう」
  と表現していました

 ・歴史を描いた壁画
  また、国立宮殿にある壁画には
  スペインの歴史絵巻が描かれているそうです

  最初はアステカ帝国の繁栄、
  次にスペインに虐げられる人たち、
  19世紀に独立を果たすが、他国から内政干渉される

  この壁画を案内してくれた方は
  「メキシコ人はこの壁画を見るたびに誇りを感じる」
  メキシコ人はここに自分達のルーツを見る、
  征服や干渉を受けても、国は絶えることなく、メキシコ人は生き延びてきた
  とのことです

  (メキシコの歴史は、調べたら戦争だらけでした。

  スペインに征服され、
  革命の末独立を果たすが

  そのあともアメリカにテキサスを併合され、
  アメリカに戦争を仕掛けられてカリフォルニアやニューメキシコを失い、

  そのあとはスペイン、イギリス、フランスにも干渉され、
  スペインとイギリスはすぐに撤退したそうですが
  ナポレオン3世のフランスには攻めこまれ、一時期傀儡政権が樹立されたようです
  しかしそのあとは傀儡政権が崩壊、復活する

  そのあとも独裁政権、革命…など、日本には想像がつかないような歴史がありました)

 ・オリンピックスタジアム
  また、メキシコの発展を象徴するものとして、
  オリンピックスタジアムも訪ねていました

  メキシコオリンピックは、東京の次の1968年に開催された
  当時は経済格差が広がってきた時期で
  強権政治への反発もあり
  開催に反対する声もあったそうです

  しかしオリンピックは無事開催された
  当時聖火リレーの最終ランナーという大役を受けた女性は
  (ちなみに史上初の女性最終ランナーだったそうです)
  「オリンピックは窓を開けてくれた。
   メキシコの文化、経済、スポーツや、
   国を愛する気持ちを世界に見せる窓だった」
  と話していました

 ・音楽、テキーラ
  メキシコは週末、音楽を楽しむ人たちで賑わう
  テキーラを楽しむ人たちも…
  小さいガラスのおちょこみたいなので飲んでいましたが、なんか度が強そう。
  大越さんは
  「酒飲みにはたまらない味だねぇ」
  けっこういけるクチなのかな?(笑)

  テキーラは中部のテキーラ市が産地だそうで
  ここにはリュウゼツラン、という原料の植物の畑が一面に広がる

  このお酒は原住民の発酵酒と、スペインの蒸留技術の融合により産み出された
  と言われているそうです
  伝統的な製法を続けている醸造元の社長は
  「私で5代目、この味は守っていきたい。ほかには代えられないよ」
  と話していました

  (テキーラの原料のリュウゼツランは、漢字で書くと「竜舌蘭」、
  けっこう怖そうな名前ですね。
  多肉植物で、収穫するとパイナップルみたいな姿をしているそうです。

  分厚い葉っぱを切り取り、
  残った球根をすりつぶし、
  その汁を発酵させるんだそうです
  (発酵した汁はアルコール3~5%、どぶろくのような味らしい)

  そのあと、蒸留させて完成。
  蒸留酒なので度数は30~55%くらい、焼酎並みですかね。カクテルのテキーラサンライズなどにも使われますね)

○テピート地区のルチャリブレ
 再びテピート地区のルチャリブレ。
 ここには仮設リングが作られていました

 この地区では、住民がお金を出し合い、
 定期的にレスラーが試合をしているそうです

 子供たちもわらわら集まってきて、
 みんなで試合前のリングでレスラーごっこ
 地区のお祭りみたいな雰囲気でした
 「こりゃ、子供の時から好きになるね」

 試合が始まり、女性レスラーなども出場していましたが
 なんといっても大トリはカロンテ・ジュニア。
 お父さんのカロンテとタッグを組んでいました

 しかし試合開始後、いきなり悪役が不意打ちを食らわし、
 流血になるわ、カロンテの頭をつかんで柱にガンガンするわ、けっこう激しい…
 小さい子供は怖がって泣き出し、
 大きい子供は悪役に本気で怒る

 しかし観客の声援を受け、カロンテチームは立ち直り
 最後は悪役たちをなぎ倒す。
 観客はみんな「カロンテ、カロンテ!」
 完全に感情移入していました

 最後にカロンテ(お父さんの方)は
 「皆さんも、レスラーのように闘える。
  親御さんは子供にスポーツをさせなさい、
  この地区が一番だとみんなに見せよう」
 と呼び掛けていました

 ルチャリブレとは「自由への闘い」を意味する
 厳しい現実と闘い、自由を願う人たちの象徴なのだそうです

 試合後1週間後に大越さんがカロンテ・ジュニアをたずねると
 「観客が喜んでくれたから、僕らも100%以上の1000%の力を出せたんだ」
 「僕らがリングで教えたいのは逆境に立ち向かうこと。
  貧しくて危険な地域に住む僕らには、いつもいい道、悪い道の2つの選択肢がある。
  いい道を選べば豊かな人生が送れる、とみんなに伝えたい」

○トランプ氏の制裁にもしたたかに生きるメキシコ
 トランプ政権誕生で、メキシコ経済は試練に立たされている
 トランプ氏はNAFTAの見直しを公言し、
 アメリカ企業に、メキシコからの撤退を促す発言をしている

 サンルイスポトシ州には
 自動車会社のフォード社が
メキシコへの工場移転を断念した跡地が残っているそうです

 跡地には工場の骨組だけ残ったまま
 1600億円の投資が見込まれていたとか
 放置されたままで、壊すのもお金が要るのかな。

 この近くで食堂屋さんをしていた夫婦は、
 お客さんが増えることを見込んで食器などを買い込んだそうですが、
 撤退により廃業を余儀なくされたそうです。
 「撤退が決まった2日後にはみんないなくなっていた」
 と苦笑していました

 しかし、そんなに影響はないという見方もありました
 ・工業団地
  この地域最大の工業団地を経営する方は
  他国からの外資系企業を多数誘致していて
  (仏、独、スイス、インド、日など50もの企業)
  「世界とビジネスできるから、
   トランプ氏の発言は気にならない」
  と強気でした

 ・経済学者
  メキシコの経済学者は
  「メキシコは、地理的な条件で北米との関係を強いられてきたが、
   アメリカ抜きの発展も可能」
  と話していました

  カギは「自国資本の企業を作ること」
  メキシコは車の組み立ては出来るが製造はできない、
  ノウハウを学んで独自ブランドを作れば
  日本のようにものづくり大国になれる、とのことです

 ・新規参入企業
  サンルイスポトシ州にある企業は、
  ドイツ車の部品作りに参入したそうです
  社長は
  「メキシコの人材は、賃金でも質でも世界と戦える」
  「メキシコ人は真面目でよく働く国民、
   チャンスがあれば国際的に活躍できる」
  と話していました

 ・キッザニア
  私は知らなかったんですが、
  子供が職業体験できる娯楽施設「キッザニア」は、
  メキシコ発祥の企業らしいです。

  日本でも、関西(兵庫だっけ?)にも関東(東京?)にもありましたね。

  メキシコシティにあるキッザニアで、
  大越さんは創業者の方に案内してもらっていましたが
  そこにはペレやチャップリンなど
  偉人の子供時代の銅像が。
  「偉人の子供時代を見せて、
   子供たちに、誰でも何にだってなれる、と示したい。
   我々はいつでも変われるんです」

  ここのキッザニアでは100の職業が体験できるそうです
  働く意義を伝えるため、働いたら、施設内で使える通貨も渡す
  お金を持っている女の子に
  「何に使うの?」と聞くと
  「これでハワイに行きたい」(笑)

  創業者は
  「メキシコでは将来の道が限られている。
   生まれで将来が決まる、と考えている人が多いが
   そんなことはない、と伝えたい」

  「キッザニアは、メキシコ発祥の企業の代表ですね」という質問には
  「私はメキシコを心から愛していて、国の成長を心から願っている。
   メキシコからより多くの企業家が出て、世界に打って出る必要がある」

 ・映画作り
  メキシコでは国立大学に映画学科があり
  70人の学生が学んでいるそうです。

  彼らはプロと同じ機材を使い、
  国の支援を受け、実践的に映画作りの手法を学ぶ

  その教育が実り
  近年ではこの学校を卒業したメキシコ人の監督が次々とハリウッドに進出、
  アカデミー賞を受賞している

  ここの教授に大越さんが
  「最近はメキシコ人がアカデミー賞を征服していますね、この秘訣は?」
  と聞くと、彼は笑いながら
  「メキシコには59もの土着文化、59の言語、価値観がある。
   多様な文化を通して、
   他者から学ぶ経験を身に付けているからです」
  と話していました
  アメリカにとって魅力的な映画を作れるのも、
  アメリカの文化から学んでいるからで、
  文化が交わるメキシコ人だからこそ作れるのだ、と話していました

  メキシコ人だから作れる映画、を目指す姿勢は学生にも受け継がれている
  ある女子学生は、女性の解放をテーマにした映画を製作していました
  「この国では性犯罪など、女性が被害を受けることが多い。
   また、女性だからと何事も諦めてしまう人も多い、
   それもこの映画のテーマです」

  彼女はこの学校の卒業生が世界で活躍していることについて
  「学生たちはみんなああなりたいと思う、
   それはハリウッドで活躍しているからだけではなく
   自力で何事も成し遂げたからです」
  「世界で認められる人はオリジナリティがある、
   私もメキシコ人にしか作れない映画を作りたい」

 ・壁画を描く人たち
  最後に、国境沿いの街ティファナに戻りました
  ここでは毎週末に、国境沿いの壁に壁画を描く人たちがいる

  人間が苦しむ絵もあれば
  自由の象徴なのか、
  海を泳ぐ大きなクジラや、空を飛ぶちょうちょの絵も…

  「この壁は残酷、悲しみの象徴と言われるが
   私たちにとってはキャンバスです」
  自分達の思いを世界に伝えるキャンバスなのだそうです

  途中、この男性は壁越しに、
  アメリカ側の国境警備隊と話していました
  「何を話していたんですか?」
  「私たちの活動についてです」
  「理解してくれましたか?」
  「意義は分かってくれたと思います」

○まとめ
 トランプ氏の政策もあり、歴史的な経緯もあり、
 メキシコではアメリカとの壁、
 家族との分断、跳ね返される移民…がクローズアップされがちですが、

 大越さんはこの取材を通じて一番感じたのは
 「人の温かさ」だそうです
 誇りをもち、人生を謳歌する彼らに圧倒されてばかりだった、と話して終わっていました。



 私の後輩が、大学時代メキシコに旅行して
 「メキシコめっちゃ良かったです~」
 落ち込んでいたとき元気をもらえたそうです。

 高校時代の同級生も、
 人生に行き詰まり、そこでメキシコに3週間留学、放浪して今のだんなさんと出会ったとか…

 私はメキシコに行ったことは無いですが、
 そういうエネルギーを貰えるようなものがあるのかも、と思いました。
 機会があれば行ってみたいなぁ。

 現在、メキシコには日本企業の進出が進んでいるそうです。
 真面目に働く国民、というから
 日本と似ている所もあるのかも。
 日本がものづくりのノウハウを教えるとか
 メキシコの発展に貢献できることもあるのかもしれないし
 日本にとっての新しいビジネスチャンスも生まれる可能性もありそうだなと思いました。

 また、家族を思いやったり
 音楽や芸術を楽しんだり
 辛さの象徴の壁画も鮮やかな壁画に塗り替えたり
 逆境をパワーに変えるところは見習いたいな~と思いました。

何気なく見てたけど、思ったより面白かったです。
というわけで今回はこの辺で。


2017年07月18日

ETV特集「こんなはずじゃなかった 在宅医療 ベッドからの問いかけ」

ETV特集「こんなはずじゃなかった 在宅医療 ベッドからの問いかけ」

 少し前に、BSの「ラストドライブ」という番組
 (ドイツの終末期の方を
 いきたい場所に連れていく「願いの車」プロジェクトの番組)
 を見ましたが
 日本の終末期医療についてはどうなんだろうと思って見た番組です。

 この番組は4月に放送されて、これは再放送らしい

 在宅医療を推進してきた医師の早川一光さんという方が
 ご自分が高齢でガンにかかり、
 在宅医療を受ける立場になり、
 改めて在宅医療の問題点について気づかされた、
 その思いを語っている番組です。

 全然答えは出ないようなのですが
 よりよい最期とは何だろうと思わされる番組でした。

○「こんなはずじゃなかった」
 早川さんは、3年前に多発性骨髄腫、という血液のガンを発病されたそうです。
 貧血が主な症状で、安静が必要な状態

 早川さんは一時は背骨を折り、歩けなかったそうですが
 病状が回復してからは、京都の衣笠にある自宅で在宅医療を受けている

 しかし彼は
 「こんなはずじゃなかった」
 「在宅医療は天国だ、と煽ってきたけど、
  かえって地獄じゃねえか」
 と、ちょっとギョッとする発言をしています。

 在宅で家族に看取られて死ぬというのは
 温もりのある医療、
 理想的な大往生、
 と信じてきたが、100%そういうわけでもない

 例えばおふろ。
 早川さんの家には週二回、看護師さんとヘルパーさんが入浴援助に来てくれるが
 早川さんはいつも抵抗するそうです
 「あんた誰やった?」
 とかとぼけたりする

 「一人で入れんこともないけど、溺れたりしたらどうしようもないし
  でも洗ってもらって体拭いてもらって、てのはアメリカのセルロイドみたい。
  でもそれは我が儘なんだろうなぁ…」
 他人に体を拭かれたり見らたりするのは嫌なんでしょうね…

 「自宅で支えられてもなお、
  不安、自己嫌悪、孤独を感じる。
  もっと患者に寄り添う医療があるのではないか」

 早川さんはこのような思いを
 フリーライターの娘さんの代筆で、京都新聞に掲載しているそうです
 題名は「こんなはずじゃなかった」

 第一回目では
 「この70年、畳の上で死のうと呼び掛けてきた、
  それは天国だと説明してきたが
  それは煙のように消えていく。
  経験して分かった。
  在宅医療の現場から、年寄りが人間らしく往生できるよう声を出していきたい」
 というようなことを書いています

○在宅医療を進めた70年間
 早川さんが在宅医療を始めたのは京都の西陣

 当時は戦後で、保険制度も整っておらず
 医療を受けられるのは一部のお金持ちだけだったそうです。

 そこで「自分達の診療を作る」
 と新しい診療所を立ち上げ
 初代所長になったのが早川さん
 彼は「病気の原因は暮らしにある」として
 暮らしの中に入る医療を進めたそうです
 医療制度改革のために国にも積極的に働きかけた

 3年後、早川さんに共感して加わった元同僚の医師も語っていましたが
 「当時はスタッフの給料を払うために二人とも無給だった」
 二人とも、治療する立場なのに生活保護を受けていたそうです。

 「でもそれが普通だった、
  でないと地域の人が笑顔にならない」

 このような医療は地域の人にも喜ばれ
 「神様仏様の扱いだった」とか(笑)

 その後診療所は堀川病院へと発展していくが
 ここで新たな問題が起きた

 患者の高齢化に伴い、退院しない患者が増え、経営を圧迫。

 そこで医療懇談会を開くと
 高齢者は
 「最期は家で死にたいけど、
  死ぬときは先生に手を取ってもわらなあかんしね」

 治る見込みが無いならもう家に帰りたいのに、
 それを支える医療がない、という指摘があったそうです。

 そこで堀川病院では往診受付の電話窓口を開設し、必要ある人には往診する
 在宅医療の先駆けモデルとなったそうです。

○夜が怖い
 現在早川さんは、2週に1回の主治医の訪問と、
 緊急時の24時間サービスを受けている
 主治医の方は
 「先生が死に怯えているのは、すごく意味のあることだと思いますよ」
 と早川さんに話していました。

 しかし当人は、自分の立ちあげたこのシステムがあっても、
 なお不安な思いがあることに気づいた

 新聞のコラム
 「夜が怖い。
  病気になってから初めて感じた。
  日がくれたら、また夜が来た、と思う。
  携帯を握りしめて寝る、
  かかってくる電話を待つためではなく、自分がもしものおきにかけるために。
  (早川さんは、現役の頃は患者さんの緊急時のために携帯を枕元に置いていたそうです)
  「もしもし、大丈夫?」の声が、睡眠導入剤よりもほっとする」

○患者としての早川さん
 早川さんは、病気になってからは次男が家族と共に引っ越してきて、
 孫二人(小学生か幼稚園くらい)と次男の妻と共に同居しているそうです。
 次男も医師で、職場を京都に変えた。

 時々次男と病院に検査にも行く。

 早川さんの症状は主に貧血で
 主治医は
 「貧血はそんなに進んでいません。
  じわっと悪いことは悪い、
  治療するか迷うところですが…」
 「いらん」
 「副作用が出ないようにはしていきたいとも思いますからね」
 「なんかあったら電話します、このやろうと思って」
 などと憎まれ口を叩きながら診察を受けるが
 検査の数値はあまり見ず、やんわり打診された治療も拒否

 早川さんは貧血のため、気力が持たない、元気が出ないこともあるそうです。
 病院で検査を受け、色々提案をしてもらうものの
 自分も医師と議論し、
 治療を拒否したり、薬を減らすこともあるそうです

○理想の医療と現実
 彼は
 「医療技術の進歩で、薬や治療法は色々出てきた」
 しかし
 「大切な何かが置き去りにされている」
 医者は病気さえ治せばハッピーなはず、と思ってしまうが
 実際は患者さんは暮らしの苦痛に悩まされている
 生活の苦痛を無くさないと完全に治ったことにならない、と話していました。

 彼は今「総合人間学の医療」を目指しているそうです
 これは、芸術や哲学、宗教なども取り込んだ医療
 20年ほど前から講演会などで提唱しているそうです

 その原点は西陣の診療所で求めていたもので
 「出っ張り医療、踏み込み看護」
 患者が困っていたら頼まれなくても出ていくのが医療、
 と考えていたそうです

 しかしこの考えは、西陣ではできても全国にはなかなか広まらない、
 という思いもあるそうです。

 現在早川さんは月一回、在宅医療に関心を持つ若い人を集めて勉強会を開いている

 参加者は様々で
 この日も
 ・川崎市にいる研修医さん(実家が京都だそうです)
 ・阪大の哲学専攻の方(地域運動を作るのはどういうことか、に関心があるらしい)
 ・浄土真宗の僧侶さん、
 など様々。

 早川さんは
 「お金で何でも手に入るこの時代、どんな運動を進めて行くべきか答えは出ていない、
  僕も勉強のために出席しています」

 その中で、大津赤十字の研修医の方は
 「紹介状を持って救急医療に来た方がいたんですが…」
 その患者さんはもともと在宅医療希望だった。
 しかし往診する医師が、土日や夜間対応するのはしんどいからと、救急を呼んでしまった
 というケースを話していて
 在宅医療を全うしたくても、担い手がいない現実を思い知らされました。

 早川さんは
 「求めていた在宅医療が病院の都合で叶わない。
  総合人間医学も、掴もうと思ったら煙のように消えていく
  もしかして自分は煙みたいなのを求めてさまよっているだけなのかも」
 と話していました

 「俺はドンキホーテか」という早川さんに
 「私はそのドンキホーテに付いてきましたよ…
  サンチョですかねぇ」と応える奥さん。

 奥さんは、早川さんが診療所の所長になった頃から早川さんに寄り添っているそうです。
 生活保護を受けていた時も早川さんを支えていた。
 そんな奥さんとの漫才のような会話が、深刻な話を少し軽くしていました

○天国と地獄の在宅医療
 2016年の10月、早川さんの症状は一進一退
 おふろを勧める看護師さんと
 「その手は食わんぞ」
 というとぼけた会話をし
 周りでは孫が元気に遊ぶ

 しかし彼はそんな和やかな雰囲気でも、在宅医療の限界を感じている
 自宅とはいえ1日中ベッドで過ごさねばならない
 そこには「天国と地獄の両方がある」そうです

 「寂しい。
  何度もよぎるこの感情、
  心の奥深いところに流れるこの感情が
  自分の中にあることを知ったときは驚いた」

 「厚労省の動き1つで天国にも地獄にもなる、
  家族や訪問介護の方の一言で天国にも地獄にもなる」

 「枯れていくんやない、熟れて行くんや。
  僕もできるだけ熟していきたい。
  頭を柔らかくして、たくさんの人に食らいついてもらいたい」

○もしもの時には帰宅するか、入院するのか
 去年の暮れ、早川さんは肺炎で入院
 点滴治療が功を奏し、8日間で退院できたが
 一歩間違えばそのまま病院で死ぬ可能性もあった

 このあと少したってから、主治医の方は往診の時
 「今先生は体全体が弱っている、
  口腔内の粘膜が気道に入りやすくなっているために肺炎にかかりやすい。
  もし次に肺炎になって入院して、帰ってこれないときはどうしますか」
 と尋ねていました

 主治医として、元気な時は家に帰ってもいいと言えるが
 入院して危ないときにそういうわけにもいかない。
 治ってまた自宅に戻れることに賭けて入院で治療を続けるか、
 もう死ぬだろうからと、せめて自宅で、と家に帰るか…
 それを決めておかないと、
 「最期は自宅で」
 という望みが叶えられないかもしれませんよ、という話をしていました。

 早川さんは
 「考えておきます」

 そのあと奥さんと
 「難しい選択ですね」
 「どう生きるか、やな。
  俺の最期を看とるのはお前、
  覚悟は決まっていると思うが
  お前が残るとき、心残りがあったらどうすることもできない」
 と奥さんにも考えてもらおうとするが、
 奥さんは涙を流して
 「はよう死なんように…」

○最後まで寄り添うのが医療の役目
 そんなある日、次男が昔の手帳を出してきました。

 それは、小児科医の松田さんという方と早川さんの交流記録でした。

 松田さんは16歳年上の小児科医で、
 現役時代は、治療の難しい子供の診療を引き受けたり、最新治療を教えてくれるなど
 早川さんを支えてくださっていたそうです

 小松さんは晩年在宅医療を望み、
 看取りを早川さんに託していた。
 そのときに交わしあったノートでした。

 それを読むと、晩年の松田さんは体は弱っているものの、頭はしっかりしている
 「今の俺と同じだ」
 と言っていました

 ノートの中には早川さん自身が松田さんにかけた言葉もありました。

 「松田さんがどのような別れをするか、
  いい経験をさせてもらいます」

 早川さんは当時を思い出して
 「俺も老いていきつつあるし、
  松田先生の老いの迎えかたを遠くから眺めながら
  ああいう別れ方があるのかぁ、と…」

 こんな言葉もありました
 「死ぬときは皆苦しむ、苦しみ方は皆違う。
  山か川かを越えないとたどり着けない。
  それについていくのが主治医の私の仕事です。
  見えつ隠れつ、支えていきます」

 息子さんはこれを読んで
 「本来の医療は、これじゃないかな。
  医者と患者との関係を一生懸命作ろうとすること、
  それだけ…それが全て」
 と早川さんに話していました。

 春が来て、早川さんは在宅医療を続けている
 早川さんは今も理想の医療を求めつつ、
 一方で自身がどのような最期を迎えるべきか、考えている

 「生きていくしんどさをしみじみ感じる。
  わずかな喜びとたくさんの苦しみを、
  見てくださる皆さんと生きて、
  もういっぺん、素晴らしい人生だったと噛み締めてみたい」

 最後に、新聞に掲載した文章がありました
 「患者さんが来てほしいと思ったときに来てくれはった、そんな往診をせねばならない。
  それがピタッと合ったら仏様と思う。
  長い人生の歩みの中では、治らずに老いて死んでいくことが多いのです。
  一緒に泣こう、語ろう、悩もう。
  そうして患者さんと共に歩んでいくしかないのでは
  というのが僕の医療についての基本的な考え方です。
  僕らは、楽にしてあげることはできるが、治すことはできないのですから」

○感想など
・早川さんの「地獄」とは一体何なんだろうと思いました。
 私は想像しかできないですが…

 例えば、元気な周りの家族の姿を見るたび、
 人の声がしてほっとすると同時に、
 かえって思うように動けない自分の体がいやになるのかもしれない。
 自分だって元気ならああできるのに、ああしたい…と思ってしまうとか。

 あるいは、誰かの言葉で傷つくとか、
 お世話される事実に自己嫌悪を覚えるとか…

 立場は全然違いますが、
 私も出産直後は思うように動ず
 好きな食事も自分で作れず、イライラしました。

 それだけでも嫌だったのに、
 年老いて病気、となると
 悪くなることはあっても良くなることはほとんどない。
 そういう「ない」「できない」ものに目がついいってしまう、
 そういう辛さがあるのかもしれない。

・早川さんの思いに反するようなことかもしれませんが、
 私は自宅で死ぬというのはそんなに理想的なことなのかなぁ?と思いました。

 私自身は現在、だんなの実家に住んでいることもあり
 「自分の家」という気が全くしない(笑)

 生まれ育った実家も、姉や兄の部屋はあるのに私の部屋はなく、
 (しかも母親は外へ遊びに行けというし)
 なんかいつも流浪の民、という感じで
 これも自分の家とは思えませんでした。

 どちらにしても自分スペース、がなくて、
 家族と常にいるのが気詰まりに思ってしまう。

 そういう環境で生きてきたせいか
 あんまり晩年も家族と一緒に過ごしたいとは、今のところ思わない…
 家族、特に子供にも迷惑かけたくないし。
 (今のところ老いてもいないし元気なので、
 そう思うだけなのかもしれませんが)

 どっちかいうと、ドイツみたいに
 ターミナルケア用のホスピスみたいな所とかで、
 家族がいない環境の方が楽なのかもと思う。
 家族にお世話してもらうと、かえって感情をぶつけあってしまいそう。

 それに家族がいると
 「なんで自分ばっかりこんな寝てないといけないの?」
 と理不尽な気分になりそうな気がする。
 知らない人で似たような境遇の人ばっかりのところだったら
 なんかあきらめがつきそうな気がする。

・早川さんは在宅医療を推進しておられましたが
 「実際は自宅で最期を迎える人は1割」
 だそうで
 勉強会の大津赤十字の例もありましたけど、
 なんで日本では在宅医療が広まらないのかなぁと思い、少し調べました。

 https://www.minnanokaigo.com/news/kaigogaku/no67/

 によればもう少し詳しいデータがあり
 厚労省のデータでは、終末期(若くても病気で治る見込みのない人も含む)
 を自宅で迎えたいという人は7割。
 また、内閣府の高齢者の意識調査でも、5割以上が最期は自宅で、という希望だそうです。

 政府も施設の不足、医療費削減などのために、
 在宅医療、在宅介護を推進しているそうです。

 しかし現実には最期を自宅で迎える人は1割程度

 これはなぜか…というと
 1つは家族の大変さがあり

 終末期になるとどうしても病状が不安定なため、
 家族が自宅から何回も救急車などを呼んでいるうちに疲れてしまい
 これなら入院した方が…
 となってしまう

 また、本人も、在宅の方が高くつくし、
 家族に迷惑をかけたくないと思ってしまうのもある

 もう1つは、在宅医療を実施している医療機関が少ない。

 国の制度にも原因があり、
 在宅医療支援をしている診療所、として登録するには、
 色々要件があるそうです。
 (24時間対応の医師、看護師がいる、
 24時間の往診や訪問看護が可能、
 緊急時の受け入れ体制がある、
 ケアマネとの連携をする、
 年1回の看とり数の報告など)

 なかでも、24時間夜間も休日も対応する、
 というのはお医者さんや看護師さんにとってもしんどい。
 このため担い手が少ない。
 たしかにただでさえ激務な医者に、
 24時間働けというのは酷だと思う。

 そのわりに診療報酬がそんなに高くない、
 過疎地域は特に担い手が不足している問題もあるとのこと。

 また、このほかに
 http://blog.drnagao.com/2016/08/post-5334.html

 では、介護保険との競合も指摘されていました。

 在宅医療では、全部が全部お医者さんが行くのも大変なので、
 点滴など、治療でなければ
 看護師さんに行ってもらうこともある。

 しかし介護保険が始まって以来、
 末期がんや神経難病などの特定の病気は医療保険で在宅看護ができるが、
 それ以外で要介護認定のある人は、
 在宅看護は介護保険の扱いになるそうです。

 そうなるとケアマネージャーに介護のメニューに訪問看護を入れてもらわねばならないが、
 ケアマネは、自分の所属する法人施設のサービスを優先してしまう
 (その方が法人の利益になるので)
 在宅看護は嫌がられるのだそうです。

 そして、看護師が行けないなら在宅医療は止めておこう、
 と考える開業医も少なくないそうです。

 また、診療報酬も2年ごとに改訂され
 そのたびに制度が複雑になり
 患者さんへの医療費の説明に時間が取られるし
 医者自身もついていけない。
 面倒だから撤退してしまう、
 という問題もあるそうです。

 つまり、
 使いにくい制度の問題もあるし、
 医師や看護師など担う側のしんどさもある、
 お金もかかるし家族も大変、
 そこまでして自分のワガママで在宅医療を選んでいいのか
 と思ってしまうのでしょう。

 海外ではその辺どうしているのかな?
 アメリカでは、お金がある人が対価を払ってそれを選ぶ、
 北欧などではもともと地域で在宅介護や医療の風習がある…
 というのがあるようですが
 日本の場合、伝統的に家族が担ってきたので
 公的な支援、となると、する側もされる側も抵抗感があるのかもしれません。

・日本の場合、根本的な問題は
「お世話になるのはお荷物」
 的な意識が根底にあることなのかも、とも思います

 この前に見た「ラストドライブ」
 では、ドイツの担い手の方々は
 「他人へのお世話は社会への恩返し」
 というボランティアの方が多かったけど、
 日本だとどうしても、他人にお世話になる、
 イコール迷惑なお荷物、申し訳ない、と思ってしまう…

 なぜだろう?
 昔は姥捨て山とか物語にあったけど、
 日本は年老いたら引退する、身を引く風習があったからかも。
 欧米は年齢を重ねてもいつでも主役、という感じですけど…
 国民全体に染み付いた意識というか習慣に近いものなのかなあ。
 意識を変えろといってもなかなか無理そうに思う。

 となると、
 介護ロボットの活用とか
 (お風呂とかなら、ヘルパーさんなどよりも、見られても気楽かもと思う)
 外国人労働者に頼るとか
 あるいは在宅医療専門の医師や看護師をビジネス化して、
 24時間労働してくれる人にはそれなりの対価を支払うシステムにする、など
 (お金のある人が利用する、というアメリカに近い考え方)
 なんかドラスティックに変えないといけないのかなぁとも思います。

・お世話させる立場になっても、
 死ぬときは後悔だけはしたくないなと思います。

 私の父方の祖父母のケースを思い出したんですが
 祖母は頭はしっかりしているものの、
 腰がダメで、子供たちも遠い所に住んでいるということで
 早いうちから介護施設に入っていました。
 (ちなみに今もご存命です)

 夫婦二人暮らしだったので、
 そのあとは祖父はおそらく一人で暮らしていたのでしょうが
 祖父に前立腺がんが見つかり入院。
 医師の強い勧めで、ガンを除去する手術をしたのですが、
 そのあとは状態が悪く、そのまま亡くなってしまいました。
 (手術しないほうが元気だったので、いまだにその手術は必要だったのか
  今でもモヤモヤするものがありますが…)

 しかし、祖母は祖父が入院したことすら知らされておらず、
 亡くなったことは、「施設に入った」などごまかして伝えられていたようです。
 祖母は勘がいい方なので、気づいてはいるのかもしれないけど、
 夫婦何十年も寄り添った末に、
 最期にも立ち会えないなんて悲しすぎると思いました。
 
 周りに任せるとなると、ある程度は思い通りにならないのかもしれないけど、
 良かったと死ねるように、家族との風通しは良くしておかねばならんのかな、とも思います。

・早川さんの「心に寄り添う医療」というのは
 現場で治療に忙殺されている医師ではちょっと難しいのかもしれない。

 しかしターミナルケア、みたいな
 もう治る見込みはないけど
 残された生をよりよく生きたい、という人のための心のケアは
 日本でももっとされてほしいと思います。

 ドイツでも終末期医療専門のドクターがいたけど
 そういう専門医ができて、地位も確保できれば
 早川さんの願いもかなえられるのかなと思います。

自分の最期、家族の最期については
これからも折に触れ考えることになるのだろうなあ…
健康なうちから、より良い生とは何かを留意していなければいけない、と思いました

というわけで、今回はこの辺で。