2017年08月17日

「私が子供を持たない理由」下重暁子

「私が子供を持たない理由」下重暁子

 私は自分と価値観の違う方の話に興味があります。
 私は子供を持つが、
 持ちたくない人というのはどういう考え方なんだろう、
 と思ってこの本を借りてみました。

 ちなみに読んでから気づいたんですけど、
 この方は「家族という病」という本の筆者だったみたいです
 家族という絆に縛られる必要はない、みたいな趣旨の本で
 かなり話題になっていました
 (私は読んでないけど…)

 それはさておきこの本の話に戻ります。
 数年前に女優の山口智子さんが
 「子供を持たない選択をして良かった」
 みたいな話を雑誌のインタビューだったかでされていて、話題になっていましたが
 この本でも冒頭で山口さんの話が扱われていました。

 山口さんの場合は、山口さんも夫の唐沢さんも、
 過去に親御さんとの関係がよろしくなく、家庭にいいイメージが無かったのと
 お互い二人で向き合って生きていくことが幸せ、
 というのがあるみたいですが

 この本の筆者はまた別の理由があり
 人それぞれだなと思います。

 この本には
 筆者が子供を持たない個人的な理由はもちろん書かれていますが

 他にも
 ・子供を持つことが善とされる世の中の価値観への異論、
 ・子供が無くても幸せだという考え方
 ・子供や家族がいるからこその負の面、
 などが書かれています。

 まぁでも
 「子供がいなくてもいいじゃない!」
 みたいな感情的な意見ではなく
 ご本人は他人が子供を持つことに反対でもないそうです

 筆者が言いたかったのは
 子供がいようがいまいが、
 「自分の生き方は自分で責任を持って決めるべき」ということ、そして
 「選択した以上はそれを全うすべきではないか」
 ということみたいです。

 私が読んだ印象としては、
 賛同する所と反論したくなる所が両方ありました。

 エッセイ風でまとまった書き方、てわけでもないので
 私の印象に残ったところを挙げていこうと思います。

○子供がいない人が受ける世間の圧力
 最初に、子供を持たない人にあれこれ言う人に対し、筆者はモノ申しています。

 日本の場合、特に年配の方に多いのかなと思うのですが
 「子供がいたらいいですよ」と勧めてきたり
 勝手にできないと考えて「かわいそうに」という人、
 「いい年なのに子供は作らないの?」と聞いてくる人、
 あるいは「自分だけのために生きるなんて自分勝手」という人、
 など…

 たしかにそれは要らんお世話だなぁ、と私も思う。
 だいたい、子供いるいないって、
 望んでもできない人もいるし、
 かなりデリケートな話じゃないのかね?
 それを口にするのは、他人の家にズカズカ土足で乗り込むのと同じで、
 かなりデリカシーに欠ける行為だと思う。
 (ですので、私は子供がいない人に対しては、相手が聞いてくるまで話題にしない)

 ただ、筆者はちょっと過剰反応?という感じもする。
 例えばあるプロデューサーに
 「子供がいたらもっと素敵になれるのに」と言われた、
 テリー伊藤さんに
 「子供は作ってみたら良かったですね」
と言われた、
 てのを同列に書いて
 「みんな自分と同じ価値観の土俵に引きずりこみたがる」
 としていました。

 たしかにプロデューサーさんはいらん一言やなぁと思うが、
 テリーさんの言葉は単に子供を持つ人の感慨なのであって、
 そんなんにも感情的になられたら、
 こういう人には子供の話は避けた方がいいのか?とか思ってしまう。…まぁ、しない方がいいんでしょうね。

 それから筆者は、
 お節介をする人は
 「子供を持たない人が自由に生きていることの羨望と嫉妬」
 から話をしてくるのか、と書いていますが
 それも偏見なのでは?と思いました。

 まぁ百歩譲って、羨望を持つか人も中にはいるかもしれんけど、
 子供勧めてくる心理としては逆なんじゃないですかね。
 こんないい経験しないと勿体ないよ、
 みたいな余計なお世話的な感じでいうのではないかと思う。

 ただ筆者自身は、
 そういうお節介からは圧力を感じてないそうです。
 自分で決めたことなので後悔はしてない、と。

 しかしながら、日本では特に上の世代の人にそういうお節介が多い。
 そしてそこからの圧力を必要以上に感じてしまっている人も少なくない。

 「本当に圧力なのか?自分が感じているだけでは?」
 自分が選んだなら胸を張って生きればいい、と述べています。そこは頷ける。

○「生まれてきたこと」に納得できない
 次に筆者は自分自身が子供を持たなかった個人的な理由を書いています。

 何だかんだいってお母様の影響が強いのかな、という印象。

 筆者は少々複雑な環境の育ちで、
 父親は再婚、お兄さんが父親の連れ子。
 お兄さんの実母は家を出てしまったそうです
 おそらく父親の実家が厳しい家だったので耐えられなかったのだろう、とのこと。
 お兄さんは実母に会えないままだったとか。

 そして筆者のお母様は、
 連れ子であるお兄さんをもちろん大事に育てたそうですが
 (お兄さんは戸籍を取るまで継母とは知らなかったくらいらしい)
 「子育てを経験したい、女の子を産む」
 という強い気持ちを持って筆者を産んだのだそうです

 筆者は体が弱かったとかで
 幼少時は結核にかかり、同世代の子とはほとんど遊ばず
 太宰治などの本を読んでいたとか。
 そのため、生の辛さについて敏感な子になっていたのかもしれません。

 子供を持たなかった1つの理由として、
 「自分が生まれたことに納得できてない、
  自分が納得できない生を人に押し付けることはできない」
 と書いています。

 筆者は自分が生まれてきたことに感謝できないのだそうです。
 生まれてきたことを自分で選べなかった、
 「生まれさせられた」感が強いのだそう。

 そしてお母様に
 「なんで私を産んだの」と聞いたこともあったそうですが
 そのときは悲しそうな顔をしただけだったとか。
 「母が「私が欲しかったのよ」
  とさらっと答えてくれれば良かったのに、と思う。
  母が欲しいとはっきり言ってくれればそれはそれで正当な理由だった」と。

 そして、そんな納得してない生を子供に押し付けるのは無責任だ、と。

 …この辺は感性の問題なのかな。
 昔内海桂子さんだったか、
 「なんで生まれてきたのかって、そりゃお父さんとお母さんが仲良くしたからでしょう?
  生まれてきたことに理由なんかないわよ。
  生まれてきちゃったんだから生きるしかないじゃない。
  そんなこと考えてる暇あったら働きなさいよ」
 っておっしゃってましたけど
 (「最高齢プロフェッショナルの条件」という本だったかな)
 私はこっちの方が頷けますね。

 生まれるってのは、偶然の産物で、理由なんかないんだと思う。
 産みたくても産めない人もいる。
 だからこそ、そこを受け入れて、与えられた生を全うすべきではないかと私は思う。

 というか、筆者は本当の意味で母親に愛されていなかったのかしれません。
 というのはこのあと筆者は
 「母の愛が重かった」
 ということも書いています。

 お母様は、望むことはなんでもさせてくれたし
 できないこともさせようとしてくれたそうです。
 しかしそれが重すぎて、筆者は段々グレていったらしい。

 「母も自分の人生を生きればいいのに」
 と批判的に思っていたそうです。
 お母様はかなり頭が良く、
 バリバリ仕事をしてもいけそうな能力の方ではあったようです。
 しかし当時の価値観から抜け出せなかった、と。
 なぜ自分の人生を自分で決めないのか、と。

 …この辺は私は母親の立場として耳が痛いなーと思いました。

 まぁ私は自分の子供に人生を注ぐことはしませんが、
 (それこそ、そこまで子供の人生に責任持てない(笑)好きにやってくれと思う)
 現在、自分の人生を生きてないなぁという感覚はあるので。
 結局今私はこの家の「母親は家にいるべき」
 という価値観に縛られていますからね…

○毒親になりたくない
 また筆者は
 「母のような重い母親になるのが怖いから産まなかった」とも書いています。

 ここは私の分析ですが、
 要するにお母様は、
 自分が仕事などで才能を発揮できない分
 その力を娘に注いだのだろう。
 そしてある意味、自分の望むような人生を娘に歩ませようとした。

 そういう感じで育てられたら、自分とは何なんやと思うだろう。
 母のために生まれさせられたのか、自分として生きることを許されないのか、と。
 そのために自分の生が歓迎されていないように感じるのでは、と思う。

 …そういう筆者には同情はするんですが、
 「私はそういう母親にならないぞ」
 と言う選択にならなかった分、
 お母様の影響から抜け出せてないのかなと思います。

 私自身も自分の母親は自分の考えを押し付けてくる人なんですが(多分筆者の家ほどでは内だろうけど)、
 それに気づいたのは自分が家を出てからでした。

 そして子育てして、母親がなんで自分勝手だったのか、より分かるようになった。
 私も今、母親として自分勝手だなぁと思うときもある。
 だから母親は何でああだったんだろう、というのは今ならわかる。
 でも子供を育てる以上、
 子供を優先すべきときはする、という割りきりは必要だ、とも分かった。

 なので、自分の子供に対しては自分の母親ほどは自分勝手にしている気はないし、
 (まぁ、子供がどう見ているかは分からんが)

 今でも私の母は、自分の考えを押し付けてくるけど
 私は柳になんとやらで聞き流せるようになりました。

 自分の母親はこういう人だったんだ、
 じゃあ私は違う母親になろう、
 と思えればそれでいいんじゃないのかなと思うのですが。

 筆者もこの本のあとの方で
 毒親に育てられたけど筆者とは違い、子供を産み母親になっている、
 という方と対談した体験などを語っています。

 でもそういう人たちはカウンセリングなどと手助けを受けていたり
 まだ親への責任、罪悪感を感じていたりする、
 それだけ子育ての罪は重い、
 みたいなことを書いていました。

 でも私は、自分が辛かったぶん自分の子供にしないようにしよう、と思える強みもあると思う。
 また、子育てして母親側の気持ちがわかって、
 初めて全容がわかり、自分の苦しみから解放される一面もあるのでは、
 と私は思います。
 (だからって、みんな子育てすべきだとは言うつもりもないが…)

○世の中、社会への不安
 それから筆者は
 「これからの世の中が不安だから無責任に産みたくない」
 みたいなことも書いています

 村田沙耶香さんの小説「消滅世界」
 カズオ・イシグロさんの小説
「私を離さないで」
 などを引き合いに出し、
 命が人工的に作られる時代になるのでは、としています

 他にも、ブレグジット、トランプ政権とか予期せぬことが起きている、
 そういう時代に子供を産むのは無責任ではないか、と。
 ちなみに、大橋巨泉さんも同様の理由で再婚時にパイプカットされたとか。

 しかし、私はこれは何か議論が違う気がしました。
 不安な時代だから産まない、てのはあまりに消極的というか、逆に無責任なんじゃないかな?
 子供たちのために、将来を安心な時代にしていこう、
 という話に持っていくのが筋ではないかと思います。

 他にも
 「日本の女性は家事、仕事、介護、育児を担わねばならないから大変」
 と書いてるけど、
 それも社会が問題なのであって、社会を変えるべきだろうと思いました。

 他にも
 ある雑誌の編集長が奥さんを殺した事件の話が出されていました。
 その夫婦は4人の子供がいて、
 旦那さんは2ヶ月くらい育休を取ってサポートしたが
 奥さんにとってはそれでは足りず、不満をぶつける。
 一方旦那さんも編集長という激務で寝ることもままならず、
 二人は限界だった…と。

 でもこれ、子供がいるから問題なのではなく
 旦那さんは働き方の問題があるし
 (筆者はマスコミ関係だからか、激務は当たり前みたいな書きぶりだが、
 その考え方に首をかしげる)
 奥さんだって、夫婦だけで抱え込まず、
 地域や親、友だちなどのネットワークの助けがあればなんとかなったんじゃないですかね。

 なんでも子供がいるせいにされるのはなんか納得いきませんでした。

○子供を持つ人たち、子持ちを美徳とする人たちへの苦言
 それから、筆者は子供を持つ人たちの負の面というか
 「子供がいる人たちはエゴの塊」と書いています。
 出掛ける時も自分の子供や家族しか見てない、
 電車で席が空いてたら目の前に年寄りがいても家族を呼ぶ、と。

 まぁ、これは耳の痛い話かなぁとは思う。
 たしかに出掛けてるとき、子供の世話に一生懸命になるあまり、
 周りに迷惑かけてることもあるんだろうなぁ。気を付けようと思いました。

 しかしながらこれって子連れどうこうというより、
 人間性の問題かなぁと思います。
 だってオバサンのグループでも
 アツアツのカップルでも
 自分達のことしか考えてない集団っていますしね。
 逆に、気を使いすぎじゃない?ていうくらい丁寧な親子もいますからね。

 …まぁ、人は置いといて自分は公共の場所では気を付けようと思いました。

 他にも、世の中については
 「子供を持てば無条件で善とされる、
  そこには子供を持ったことの後悔はない」
 「子供を持つだけで一人前とされる」
 と書いてます。
 でもこれは「??」と思いました。

 子育て相談かなんかに
 「母親なら一度くらいは
  「なんで子供なんか生んじゃったんだろう」
  と思うことはある、それは当たり前」
 と書いてありましたが
 そりゃ生んで後悔することなんか何回もありますし、それを言う人も多いです。
 だってネットを見れば、子育ての悩み相談なんか山ほどある。
 子供育てる、なんてのはそんな綺麗事じゃありません。
 それでも産んだ責任上、がんばって全うするのが子育てなんですよ。

 それに子供がいるから一人前、とは私は全然思わない…
 子供って正直だから、いうことがシビア。
 逆に自分が至らん存在だなぁと思わされる。

 それに子供何人いたって、子育てから何も学ばない人もいる。
 親になっても子供っぽい人って世の中にいくらでもいますよ。(私の母もそう)

 それから筆者は
 「子供を生まなければ人生わからないわよ」
 と発言する人に対して
 「子供がいない人には子供が分からないてことはない、
  自分の子供時代を思い出せばわかる」
 と反論しています。

 しかしこれも、私は違うと思った。
 子育てしたら子供の気持ちがわかる、ていうより
 親の気持ちが分かるんですよ。
 これは自分の子供時代を考えたって分からないと思う。

 親の気持ちなんか分かりたくない、というかもしれませんが
 なんであんな扱いをされたんだろう、
 てのは理解できるようになると思う。

 そして、それは
 自分は愛されてなかった、なんで生まれてきたんだ、
 て気持ちを変えるチャンスでもあると思うのです。

 親はなんであんなことをしたのか、
 親が自分への愛が無かったわけではなく
 親なりに理由があったんだと。

 まぁ、中には間違った愛情の注ぎかたをする人もいますが
 それは親が学べなかったからだろうと思う。
 ある意味そんな親もかわいそうな人なんでしょう。

 しかしそれでも、子供(自分)の生を否定することにはならない。
 生まれてきた以上、それなりに懸命に生きていれば、見てくれる人は見てくれる。
 自分は生まれてきて良かったんだ、と思い直すことも可能ではないかと思う。

○子育て、夫婦問題
 筆者はまた、
 「子供がいないからこそ、夫婦に向き合える。
  子供がいたら、夫のこんな面に気づかなかっただろう」
 「子供がいるから離婚しない、という夫婦があるが、それは子供にたいして失礼」

 など、子供により夫婦間の話し合いがおろそかになることを指摘していますが
 これも人によるんかなぁと思います。
 子供がいるからこそ話し合えることもあるし、相手の見えてくる面もあるし…

 ただ、子供がいても夫婦仲良しでいようよ、ていう意見は頷けました。
 日本だと、子供できたら夫婦生活も無くなる、
 話題は子供のことだけ、
 てなりがちなので、夫婦だけの会話、ラブラブな時間も大事にしたいな~とは思った。

○なぜ自分で決めないのか
 それから筆者は、子育てについて自分で決めない人が多いと批判しています。
 「ママ友とつながってマニュアル育児をする人が多い」
 しかし、うーん、これはあまりにもステレオタイプ化しすぎなんじゃないかと思いました。

 私はママ友いないし、
 人の話は参考にはするが、人と同じ育児は目指してないし。
 ママ友いらない、て人もけっこういるし
 これも人によるんでは、と思う。

 また、
 「なぜ子供を産んだのか、と聞くと
  あまり考えたことがないという人が多いのには驚いた」
 「産む判断を人任せにする人が多すぎる」
 と書いています。
 これについても、うーん、そんな真剣に考えねばならんのか?と逆に思いました。

 なんかこれって、菜食主義者の議論と似ている気がする。
 菜食主義者も、何で肉を食べることにみんな無頓着なんだ、と憤る。

 しかしおそらく、深く考えずに子供を作る人が多いのは、
 それが世間の大多数だからでしょう。
 なんとなくそういうもんだと思っている、というか。
 問題提起されない限り気付かない類いのものだろうと思う。

 筆者には怒られそうですが、
私もあんまり考えずに産んだ方だと思います。
 むしろだんなの方が考えてたかも。

 だんなは結婚するときに
 「自分は子供が欲しい、産んでくれるか」
 と聞いてきました。
 私は正直子供は苦手だし、いなくてもいいかなと思っていたので
 「子供は苦手だから協力してほしい」
 とは言いました。

 でも積極的にいらないわけでもなかったし
 そもそも授かるかどうかも分からない。
 もし授かるならそれも運命、
 受け入れようと考えたのです。
 まぁ強いて理由を言えば、
 運命の流れに身を任せたわけです
 (その方が人生はうまくいくと私は感じるので)

 結果は、もちろん辛いことは多かったです。
 子供いたらどうしても子供優先になり、自由は減る。

 ただ、産んでよかったとは思う。
 色々経験、勉強させてもらえました。

 なんだろな、子供って無理がきかないのよね。
 だからワガママだと昔は思ってたけど、
 彼らは自分の気持ちを上手いこと表現できないからイライラしている。
 実は彼らが一番困ってるんだと今では分かります。

 だから、世の中で大人でも理不尽な言動をとる人もいるが
 昔の私ならそういう人には即行キレてましたが(笑)
 彼らが何か必死な理由があるのかも、
 と思えるようになってきました。

 また、子供ってキチキチ決めてもしょうがない所があって、
 予定変更になってもその方が面白いことになることも少なくない。
 流れに任せるのも悪くない、てことを学ばせてもらえます。

 まぁでも産む前には、
 こんな経験できるとは思ってもみませんでした。
 だから、子供を産むか否かを考えるべき、ったって、
 産まないと分からんことが多いし、
 そんなにみんなきっちり人生設計できるわけじゃないから
 そこまで四角四面に考えなくても、と思う。
 産んでから子育てに向き合うのはありではないかと。

 しかし産むからには責任を持つべきだ、とは思います。
 筆者は育児放棄して子供を餓死させた母親について
 「それなら産むべきでない」
 というようなことを書いてますが
 私もそれは思う。
 いくら自分がしんどくたって
誰かに助けを求めるなりなんなり、何か出来ることはあるはず。
 授かった以上は、無力な命を守るのは最低の義務だと思います。

 今でも正直、私の子育ての半分は義務感からです(子供には申し訳ないけど)

 先輩が
 「私も子供嫌いだったけど産んだらかわいいわよ~」
 て言ってたけど、
 私は子供産むか迷っている人に、そこまで無条件にかわいいよ~とは言えない。
 ただ、子供はかわいいというか面白い、刺激を受ける存在だなぁと思います。
 二人目産んで余裕できてから、たまにかわいいと思えるようになったけど…。

○人それぞれ、自分の人生を全うするしかない
 …とまあ、色々反論したいところはあるものの
 基本的にこの本にある筆者の考え方には共感できる。

 「幸せが人との比較になっている、
  まず自分のことを考えて、置かれた場所で咲けばいい」

 ちなみに筆者はこの文章のあと、主婦業にも言及されていまして
 「主婦業は仕事としてはっきりさせるべき」
 というのが持論なのだそうです。

 筆者自身は多忙なため、お手伝いさんに頼んでいるそうですが、
 主婦業ってのは手抜きしようと思えばできるし、
 一方で自分で工夫をし、いざというときに仕事にそのテクを活用する人もいる、
 主婦業でもそういう「置かれた場所で咲く」生き方をする人は素晴らしい、
 というようなことを書いています。

 主婦の私としては励まされる言葉でした。

 それからもう1つ
 「家族という幻想」
 の話もしています。
 家族だからわかりあえる、というのは誤解だ。
 それが憎しみを産み、争いのもとになる、と。

 私もそれは思います。
 昔義父さんとの関係に悩んだとき
 だんなに「家の中でうまくやれないなら仕事に行っても人間関係はうまくやれない」
 と言い放たれたことがあるが
 何を言うか、家族の方が甘えが多い分めんどくさい、
 義父さんが会社の上司ならもっと気楽なのに、と思った記憶があります。
 実際、義父さんは外での評判は良い方です。

 (まぁそこから逆転の発想で、
 義父さんは我が家会社の困った上司だ、と思うことにして
 そこから楽になりましたが…)

 家族だからこそ、色々期待してしまう、甘えてしまう。
 家族だからこそ、
 何でこれしてくれないの、
 何でわかってくれないの、
 てなるんじゃないですかね。

 だから家族の問題も
 しょせん家族も他人、と割りきって、
 下手に期待しなければ楽になるんじゃないかと私は思います。
 (ていう話を誰かにしたら「それも寂しいな」と言われましたが…(笑))

 最後に私がいいなと思った言葉。
 「人それぞれ、選んだ人生を全うするしかない。
  羨む必要も恨む必要もない、
  自分の人生を受け止めればいい」

 筆者は、子供を産むことに反対なのではない、
 と書いています。
 自分の人生に責任を持って生きること、それが大事なのではと。

 私は子供を持って良かった、という人生を選び
 筆者は子供を持たなくて良かった、という人生を選んだ。
 別の道だけど、本人が納得できる生き方を選ぶのならば
 他人はとやかく言えないなと思いました。

 ちなみに筆者は子供を産まなかった他の方々の意見も聞いていて
 何人か最後に書いています。

 「一人で好きな人生を生きたかった」
 「キャリアが中断するのは嫌だった」
 「不妊治療していたが諦めた」
 「心臓に病気があり、無理しなくてもと思った」
 「家庭にいいイメージがない」
 「子供が苦手」
 「世間の子供を作るべき、という価値観に反発した」
 「避妊はしていないから授かっても良いけど、いなくても自由で良いかも」
 …など理由は様々。

 メリットとしてはやはり
 「時間もお金も自由に使える」
 「パートナーに向き合える」
 などを挙げる人が多い。

 デメリットは今のところ感じていない人が多くて
 「老後寂しいのかな」
 「人事の仕事で、子持ちの人に寄り添えているか不安」
 「子供と一緒に成長する体験ができていない」
 などがありました。

 パートナーと納得して選んでいるのならいいのではないかとか、
 養子という道もある、
 という前向きな人もいれば

 子供がいる人に羨望を覚えることもある、
 という人もいて、これも人それぞれという感じでした。


 昔ある経済学者が、
 子供が出来た幸せを、お金に換算すると年間31万円(安っ!)
 と計算していましたけど
 養育費の負担とか奪われた自由とか考えるとそんなもんなのかなー、とも思います。

 まぁでも、子育てってそんなんで割りきれないよのね。
 失うもの、得るもの両方あって、
 どっちが幸福かなんて比べられない。

 ただ、選択はなるべく自由にできる方がいいんじゃないかと思います。

 筆者のように確固たる意思がある人は別として
 経済的な問題で産みたいけど産めないとか
 親との関係、心理的な問題で産むのが怖いとか
 そういう人に対しては、
 サポートできる仕組みは必要かなと思う。

 また、子供を持たない人は「自由が無くなる」「キャリアの中断が嫌だった」
 ていう人が多かったけど
 子供を持っても、親の仕事とか自由が確保できるようになればな、と思う。
 (特に日本では、女性の自由はかなり縛られると思う)

 それから昔テレビで
 どこかの部族ではみんなで子育てする(よその子にもおっぱいをあげる、大きい子供は小さい子の面倒を見るなど)
 てのをやっていましたが
 子育てから学べることって多いし、子供って面白いので
 子供が要らないと言う人でも
 シングルでもシェアハウスでよその子の面倒見るとか、
 みんなで子育てに参加できるような仕組みがあればいいのかな~、などと思いました。

自分の子育てについて、改めて考えさせられました。

というわけで今回はこの辺で。


posted by Amago at 08:54| Comment(0) | 本(子育て) | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

NHKBS世界のドキュメンタリー「みんなのための資本論」

NHKBS世界のドキュメンタリー「みんなのための資本論」

一週間くらい前?にやってたドキュメンタリーです。
再放送らしいですけど。

最近、ドキュメンタリーものは戦争が多い。
終戦記念日が近いし、負の歴史を忘れてはいけないってのも分かるんですけど、
もうちょっと明るい番組が見たいかな~という気分にさせられます。

そんななか、この番組は意外と前向きで勇気付けられました。
(戦争とは関係ないけど)

クリントン政権のとき労働省官だったロバート・ライシュ氏の講義を軸とした番組です。

2013年アメリカ製作なんですが、
アメリカの格差がここまで拡大した理由、
経済不安の背景を鮮やかに解説してくれてあり、
今見ても十分学べる内容でした。

○アメリカの格差
 最初に、アメリカは現在先進国で最も格差が大きい、
という話でした

 格差を比較するために、
 金持ちと平均の労働者の賃金を比較すると

 1978年では労働者の平均年収が4万8千ドル、
 上位1%は39万ドル

 2010年では平均年収は3万4千ドル弱に下がり、
 上位1%は逆に110万ドルに

 2012年には、アメリカの上位わずか400人が、全体の半分(1億5千万人)相当の富を得ている、
 というデータもあるらしい

○格差がもたらす問題
 次に格差の何が問題か、という話。
 1つは「投機的な消費が増え、バブルが弾けやすい」

 経済学者のエマニュエル・サエズ氏、トマ・ピケティ氏は
 1920年くらいから今までの税務記録を調べたそうです

 すると、アメリカの総収入に占める上位1%の人たちの収入割合
 (つまり、富の独占具合)
 を調べると
 1928年と2007年に2つの山があり、共に23%を越えているそうです

 富裕層による富の独占があると、
 彼らは金融セクター(株、債権、金塊、不動産など)への投資に走る
 一方この期間に中間層の収入は下がり、中間層は借金に走る

 こうして債務バブルがはじけて金融危機が来る

 そのあと1928年後には株価大暴落、
 2008年にはリーマンショックが起きている
 この構図はどちらも変わらないそうです

 また、
 「少数の金持ちが収入を増やしても、みんな豊かにはならない」
 という問題もある

 ある投資家は
 「私の会社は寝具メーカーだが、
  私が収入を10万ドル増やしたところで私が必要な枕は1個だけ、消費はそんなに増えない。
  ここに格差の問題がある」
 と話していました

 ライシュさんは
 「安定の鍵は中間層」
 と言っています

 経済の7割は個人消費が占め、
 その消費は中間層が中核になっている
 上位1%の金持ちが収入が増やしたところで
 その分国内消費を増やすわけではない。
 彼らはお金を貯め、投機商品を買い、それらのお金は他国に流れていく

 しかし、金持ちたちは
 「自分達は雇用を産み出している、
  我々に増税したら困る労働者が増える」という
 (実は私もこの理論に騙されてました)

 しかし、ある投資家は
 「雇用主は自分達は雇用を産み出しているというが、
  それは経済の仕組みを説明していない。
  彼らは自分達の地位、特権、権力の追求をしているだけだ」と。

 そして「雇用を産み出すのは経営者ではない。顧客だ」
 目から鱗でした。

○格差はなぜ生まれたか
 次に、格差はいつ、どのように生まれたか。

 ライシュ氏によれば
 アメリカは1929年からGDPは一貫して増加している
 つまりアメリカは数値上はずっと豊かになっているらしい
 中間層の賃金もGDP上昇に伴い増加していたのだそうだ。

 しかし、1970年を境に急に横ばいになったそうです
 ではこのとき何が起きたのか?

 ライシュ氏が当時見ていたデータには
 ・工場の海外移転
 ・技術革新
 ・金融の規制緩和への要求
 ・労働組合の結成を阻害したり、既存の組合をつぶす
 などの動きがあったそうです

 ライシュ氏によれば、
 「グローバル化」「テクノロジー」が企業を変えたそうです

 つまり、通信技術の発展により、世界中のどこでも仕事が可能になった
 また、安い労働力を求めて工場が海外移転した
 オートメーション化は、従業員の必要性をなくした

 こうして大企業は効率化を進めた
 彼によれば
 「グローバル化は雇用を奪ったというがそれは間違い、
  正確には賃金が下げられた」

 このため働いても収入が増えない
 掛け持ちしたり残業しても収入は増えない
 いわゆるワーキングプアが増えた

 さらに深刻なのは生活費の増加だそうです
 特に家賃、養育費、教育費は増え続け
 実質的に中間層の賃金は横ばいどころでなく、生活水準を下げざるを得ない

 一方儲けた金持ちは
 金融投資にお金を回すからお金が国内に流れない

○第二次大戦後のアメリカに学べ
 「このような状況をうまくやってのけた国家はあるのか?
  実はアメリカがそうだった」
 ライシュ氏によれば、解決のカギは昔のアメリカにあるそうです
 1947から1977年の30年間、アメリカは大繁栄、格差も縮小していたらしい

 ではこのとき取られた政策とは?
 ・教育への投資が強まった
  教育は国家の最優先課題とされ、
  高等教育を受ける人の割合も増えたそうです

 ・労働者の権利が確保された
  労働組合も誕生、組合も増えた

 ・高所得者からの税金が多かった
  最高限界税率も高く、
  アイゼンハワー大統領(1950年代)のときはなんと91%だったらしい。
  この時代は富裕層は5割以上を税金として払っていた
  このため教育への公費による投資もたくさんできた

 こうして
 中間層の賃金は上昇
 →購買力増加
 →企業の収益増加
 →税金増加
 →公共投資増える
 →教育水準上がる
 という良い循環だったらしい

○世論を操る富裕層
 しかしその後、1970年くらいから教育への投資が伸び悩み、
 1980年代からはリストラや賃金低下が始まり、格差が拡大

 ライシュ氏によれば、それでも上位1%の金持ちは巧みに世論を操り
 「政府は悪、マーケットは庶民の味方」
 という考え方を人々に植え付けているそうです

 ライシュ氏と労働者のやり取りにそれが如実に現れていました

 ある労働者は
 「うちの会社はいい会社」と言う
 ライシュ氏は「ではなぜ人員を削減するのか」
 「リストラすれば会社の収益が上がる、仕方ない」

 しかし、ライシュ氏はその現状に怒れ、と労働者に呼び掛けます
 ある労組の集会で
 「いいですか、労働者の発言権が無くなるということは、
  労働者の賃金や手当ての削減に直結するんです」
 労働者は
 「私は会社から身にに余る処遇を受けてますよ」
 と反論。

 ライシュ氏は
 「株主に依存する会社は株主から圧力を受ける、
  それが会社であり、本質的には悪いことではないが、
  それは必然的に皆さんの給料の削減につながる」

 労働者はなおも反論する。
 「私が言いたいのは、稼ぐ人はすごい優秀な人ってことです。
  自分はそうじゃないから、労働者になっているんだと思う、
  今のアメリカは苦しい、企業にも負担がかかっている…」

 しかしライシュ氏は
 「いいえ、アメリカは今最も豊かです。
  そしてこの国の一部の人たちは、人類市場最も利益を得ている」とキッパリ言う。
 この言葉には、みんな引き込まれていました

 この集会を終えた方は
 「何億ドルも持っているのに、なんで私たちのなけなしのお金が必要なの?」
 と憤っていました

 ライシュ氏は、
 「企業の目的は労働者の質の確保ではない、
  一番の目的は利益を上げることだ」
 そして、
 「ウォール街にその権力がある」と話しています

○負の循環の果てがリーマンショック
 またライシュ氏は
 「1980年代の大不況に対し、なぜ措置を取られなかったか?
  それは一般労働者が適応したからだ」と述べていました
 適応の仕方は3つだそうです

 1女性が働き始めた
  まず女性が社会進出した
  彼によれば、女性が働きだしたのは解放などではなく、
  家計を支えるためだそう

 2長時間働く
  次に人々は労働時間を増やした
  1990年代から残業や早朝勤務が増えた、
  ライシュ氏はそんな現場も見て回ったそうです

 3借金
  しかしそれでも足りず、人々は借金を始める
  住宅価格の上昇を背景に
  自宅を担保にして医療費やクレジットカードを支払う人が増えた

  (ちなみにこれは2013年製作ドキュメンタリーですが、
  このときの場面に
  ドナルド・トランプ氏が
  「ビーチに家を買う絶好の機会です、
   多少の現金があればOK、
   アンビリーバブル・ディール!」
  と呼び掛けている場面もありました。それが今の大統領なのね…)
  その末の借金バブルが、リーマンショックだそうです

  「30年間、人々はインフレに順応してきたが、それも限界を迎えた」

 賃金が増えない
 →購買力低下
 →人員削減
 →税金減少
 →予算削減
 →教育の質低下
 →失業
 という負の循環になっている

○格差は民主主義も歪める
 またライシュ氏は
 「格差は民主主義も損なう」
 と主張しています
 トップに金が集中しすぎて、
政治も支配してしまう

 まず金持ちは税制を支配した

 アイゼンハワーの時代(1953~61)には最高税率91%、富裕層は収入の5割を税金として支払っていた
 ジョンソン、ニクソン、フォード、カーターの時代でも70%
 しかしレーガンの時代に大幅減税が行われ28%、
 今でも35%くらいなんだそうです

 しかも資産運用の場合は減税されるので
 富裕層は実質的には15%くらいしか払っていないそうです

 中間層の賃金低下と富裕層の減税、
 このため当然全体として税収は減る
 こうして公的な教育投資も減り、
 授業料が高くなり、教育格差が生まれた

 また2010年には、最高裁が
 「企業の政治献金の制限は表現の自由の侵害に当たる」
 という判決を下したそうです
 金で政治を買うことが容認された、ということだそう

 2012年時点の選挙運動では、多額の政治献金が行われているそうです
 議員によれば
 「そのうち大統領を金で買う人が出てくるかも」
 としつつ
 「ふさわしくない人が政治家になる危険性もある
  そもそも政治はお金で買うものではない」
 と話している

 こうして、富裕層に都合のいい人が政治家に選ばれ
 富裕層に都合のいい政策ばかりが取られる
 しかも金持ちは上手いこと世論を操作するから
 庶民はそのカラクリに気づかない

 それでも庶民は生活に不満をもち、
 なにかにその矛先を向けたくなる
 イスラム教や移民排斥の気持ちもそこから生まれている
 ライシュ氏は、
 「世論の分断が起きている、
危険な状態」
 と述べています

 それにたいし我々はどうすべきか?
 ライシュ氏は、
 「我々の共有する価値観と現実とのズレに目を向けること、
  そこから不正行為が見えてくる」
 と話しています

 「富裕層や企業から流れるお金は
  民主主義の基盤である倫理の礎を脅かす。
  このままでは民主主義は腐敗してしまう」

○ライシュ氏のメッセージ
 最後に、彼は自分の原点を語ってくれました

 彼は背が低く、いじめられていたそうです
 そこで、先輩を味方につけて身を守ることを考えた
 中でも一番助けてくれた上級生がいたそうです

 しかし彼は黒人の有権者登録を手伝っているとき、
 リンチにあい、殺されてしまった

 ライシュ氏は
 「自分を守ってくれた人が本当のいじめっ子に殺されてしまった」
 と思ったそうです
 そしてそこから、弱者を助けなければ、と思ったのだそう
 彼が今、格差問題に取り組むのはそのためだそうです
 まずは他の人を勇気づけ、まとめること、そこから始まる、と。
 「経済のルールを作るのは我々です。
  その力を我持っているのも我々。
  政治を人任せにしてはいけない、
  自ら動くのです」
 と話しています

 そして学生への講義の最後では
 「格差のグラフを最初の講義でに見たとき、
  落ち込んだり不安になった人は多いはず、
  格差は階級闘争の始まりか?と。
  いや、金持ちは更にうまくやっていく」

 しかし彼はこう続けます。
 「歴史は前向きな社会に味方してきた。
  失業保険、社会保障、選挙権、環境保護…、我々の先人は色んな制度を改革してきた。
  もし社会の改革に疑問を持つことがあれば、
  その歴史を思い出して欲しい。
  それらの歴史は、確実に君たちに引き継がれていく。君たちに。」

 「社会を変えるには、大統領や労働長官になる必要はない。
  なぜなら君たちは、色んな分野でリーダーになれるからだ」

 「私にも色んな選択があった。
  しかし、私は今日ここで教壇に立つことを選んだ。
  なぜなら、君たちを信頼しているからだ。
  これから、君たちが驚きと輝きに満ちたキャリアを歩むことを望む」
 と講義は終わっていました

 講義を聞いた学生は
 「触発されました。僕もなにかを変えたい」
 「ブラジルでNGOに入りたい」
 「進学を望んでいるが、希望が見えてきた」
 「この講義で感じたことを本にした」

 ライシュ氏と話をした労働者も
 「やるべきことはもうわかってる、
  革命は小さな一歩から始まるのよ」
 と話していました

○感想など
・格差のできかたについては、現在でも学べる内容だなぁ…と思いつつ
 2013年に指摘されていた変革が、
 なんでいまだに行動に移されていないのだろう、とも思いました。

 そして、今回の大統領選挙やトランプ政権について、
 ライシュ氏はどう思っているんだろうと思ってあとから調べました。

 すると彼が2015年に書かれた
 「最後の民主主義」という本にそのヒントがあるようです。

 私は読んでないんですけど
 http://toyokeizai.net/articles/-/145115
 にはご本人の前書きが載せられています

 私の解釈で書きますと

 ここには、
 アメリカではかつてないほど格差が拡大している。

 ライシュ氏はそれへの解決策として、
 伝統的な経済学らしく
 「政府が金持ちに増税し、貧しい人のための政策に使う」
 つまり所得の再分配を考えていたそうですが
 それは現状では無理があるのではと。

 その理由は、今回も指摘していたとおり
 ・金持ちが、市場のルール自体を自分達に有利になるように変えてしまっている

 ・その結果、
  ワーキングプア(働いても貧乏)とノンワーキングリッチ(働かなくても裕福)が生まれている。
  乱暴な言い方をすれば、
  金持ちは努力しなくてもルール上有利なので儲けられる。

  市場はもともと「稼ぐ人はそれに値することをしているんだ」
  というルールだが、それはもはや形骸化している

  それなのにいまだに金持ちは善、努力している、雇用を作っている、
  貧乏人は努力していない、能力がない
  みたいに思い込まれている

 ・この状況で「所得の再分配」を言えば
  「政府の介入(大きな政府、いわゆる今までの民主党)」対「市場に委ねる(小さな政府、いわゆる今までの共和党)」の対決になるだけ

  この構図では弱者である労働者層が入り込めず、社会を変革するのを妨げてしまう

 解決のカギは
 既存のエスタブリッシュメント対弱者労働者層
 の対決なのでは、
 みたいなことを書いています

 そして、その流れがトランプ政権誕生、サンダース氏の健闘だったのでしょう。
 ヒラリーさんは、エスタブリッシュメントの一人とみなされてしまった。

 そういう意味では、今回の大統領選は、
 労働者層にとってはある意味変革だったのだろう。

 しかしトランプ政権がベストかというと微妙…
 ライシュ氏は、就任前のトランプ氏に対して
 「トランプは、世界を個人的な勝利か敗北か、敵か友人か、サポーターか批判者かという点から世界を見ている。 大統領は個人的な敵意を越えて、公共的 に信託された職を維持しなければならないものなのだということもまだわかっていない。」
 と批判的です。
 (http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/671446/563362/86612941)

 まぁ要するに、今回の大統領選挙は
 「史上最悪」
 と言われたように、有権者にとっては選択肢が無さすぎたのかも…

 さてこの状況からこれからどうなるか。
 http://diamond.jp/articles/-/118272
 は橘玲氏のこの本の書評ですが
 橘氏はアメリカの格差は制度的なもの、
 と指摘していて興味深い。

 例えばアメリカでは、不動産価格とその学区の学校の質が連動していて、
 家族が家を買うとき、
 不動産価格ととその学区の学校の情報を真剣に調べるのだそう。

 自分の予算内で一番学校の質がいいところを選ぶためで、
 これはなぜかというと
 アメリカでは学校を建てる予算のうち、地方の負担分の何割かは、その地方の不動産税から出される制度なのだそうです。
 金持ちの地域ならしっかり税金を払ってくれるので、いい学校ができる

 さらにそこに住む人は、
 自分の家の不動産価値を高めるため、
 あと自分の子供の教育水準を高めるために、
 寄付やバザーなどにより学校の質を高めることに熱心になるのだそうだ。

 これが進むと
 金持ちが住むような土地では教育の質がますます良くなり、
 貧乏人が住むところでは逆の現象が起きる
 つまり教育格差が高まるのだそうだ。

 これを防ぐには、国などが税金で均一的な教育を提供することだが、
 これは今いい教育を受けている所では質が低下することになり
 そのような制度改革(彼らにとっては改悪)はあり得ない、と。

 また、今回のドキュメンタリーで出てきたように
 企業の政治献金も表現の自由として保証されている
 ある企業が自分に有利になるように政治家に献金すれば、
 ライバル企業も自分達が潰されないように、政治家に献金せざるを得ない
 払うお金がない企業は競争に不利になる。

 つまり格差はもはや制度に組み込まれている。
 こうした状況にライシュ氏はどんな提言をしているのか。

 ライシュ氏は公教育改革やTPP、NAFTAなどには否定的みたいです。
 というのは、自由競争を容認すれば
 それに負けた人は自己責任とされてしまう危険がある、という考え方。
 「市場で勝つ人が善」みたいな価値観に違和感があるみたいです。
 (まぁ、私個人的には敗者への救済措置があればいいのかなと思いますが)

 ライシュ氏の解決案はわりとあっさりらしくて
 「政治不信が高まれば、理性的な勢力が革命を起こすだろう」
 みたいな希望観測的な話なんだそうです。

 しかし橘氏は、
 「これはリアリティがない」とし
 「じつはライシュ自身がそんな勢力になんの期待もしていないのではないだろうか」
 と書いています。

 そしてここから先は少々SF的な予測になりますが
 ライシュ氏は、
 テクノロジーの発達で人間がする仕事自体が減るのでは、という予測もしているそうです。

 そして、世の中の仕事はAIが担い、
 テクノロジーを作った少数の人だけが莫大な富を得て
 残りの人は仕事も所得もなくなる…と。つまり格差が二極化してしまう。
 そうなると、仕事も富もない人たちに対するベーシックインカムが現実的になるのでは、とのこと。

 なぜかと言えば、
 テクノロジーを発明し、富を手にする人たちにとっては、
 自分達でその富を独占して社会を混乱させるよりかは
 大多数に最低限の生活費を出して安定した社会にしておく方が得だ、と気づき始めるのでは、と…。

 ライシュ氏はこれにより
 人々は芸術や娯楽を追求するようになり
 社会は芸術、ボランティア活動などの成果を得る、
 としている。

 橘氏はこれは現実に起こりうるのでは、と述べています。

 うーん。なかなかスゴい。

 実際そうなったらどうなんでしょうね。

 テクノロジーを勉強しまくって、ヒエラルキーピラミッドの頂点に行くか、
 あるいは最低限のお金をもらって娯楽やボランティアで生活するか、の二拓になるんかな。

 こうなるとお金というものが意味を成さなくなるのかもしれない。
 働く人がいない、てことは現金収入がなく、税金を納める人がない世界になるわけで…
 そうなると、
 ギリシャの時間銀行とか補完貨幣、みたいなものができるのかもしれない。

 まぁベーシックインカムもらってボランティアする生活もある意味楽なんかなぁ、
 とも思いますね。
 (ただ、支配する側、される側という構図にはなりたくない。選択が自由ならいいかな)
 アメリカはよく分かりませんが
 日本だと最近物を持たない「ミニマリスト」だの、「物のシェア」なんて生き方もできてきているので
 ある意味モノのいらないシンプルな世の中に適応してしまえるかも。

…なんかこう見ていくと、最初にこの番組を見たときの
 「変革しようぜ」という気概はどこへいった、て感じですが(笑)
 変化に対応できるような柔軟さ、
 それから変化をつかめるよう、情報をキャッチしていくことが
 これからは必要となるのかなと思いました。

色々勉強になりました。
というわけで今回はこの辺で。

2017年08月14日

ホウセンカが折れた!

ホウセンカが折れた!

先日の台風5号で、
上の子が学校から持ってきたホウセンカが倒されてしまいました。
風が強くなる前に玄関に入れとけば良かったんですが、
気づいたらヘアピンのようにぐねっと曲がっており…

しかもそのあと、宿題の観察日記のために無理矢理伸ばしたためか
曲がって弱くなった所がボキッと折れていました。
「触らんとき!」
と言ったんですが、間に合わず。

園芸好きな義母さんに聞いたところ
「手が要るんちゃう?」
そこで支柱を添えて、紐で縛りましたが、子供は涙目。

そりゃそうだよね、休み時間も熱心に水をあげてたそうです。
懸命に育てていたのに…

「まぁ紐で縛ったし、これで様子見しよう」
とは言ったものの、子供は涙が止まらない。
取り合えず、もう触らず数日様子見。
しかし最初の1日は持ち直したものの、
やはり折れたところは再生不能な感じでした。

なんか対策ないかなぁと思って調べてみたんですが
けっこう同じ目に遭う子は多いみたいね。

一番役立ったのはここでした。
http://log.engeisoudan.com/lng/201508/15080018.html

結論から言いますと
折れたところは諦めて切ってしまい
その先っちょを土に挿してやれば、根っこが生えてきて再生するそうです。

切った先の方は
葉っぱが付きすぎていると蒸散してしおれてしまうので、
下の方の茎についている葉っぱは取り
そのあと水に浸けておく。
元気になったところで土に植えるといいそうです。

しかしうちの場合、
しばらく様子見していたら
脇芽が横からくいっと曲がって上に伸びてきて、元気に花を咲かせていました。
脇芽くんは、次は俺の時代だと言わんばかりに急激に伸びた。
なんとまぁ元気なこと。
生命力に感動してしまった。

そして折れた部分は、
子供に確認を取ってから切ってしまい
下の方の葉っぱをある程度取ってバケツに浸けておいたら、
残っている葉っぱも花もピンとしてきました。
しかもまだまだつぼみから花が咲いている。

元気になってきたので
義母さんに聞いたら
「プランターでも地面でもどっちでもええけど、水やりが楽なんは地面やな」

しかし義母さんは畑を作っているので、どこに植えていいもんか分からんし
子供には
「ばーちゃんと一緒に植えて」
と言ってあとは任せることにした。
色んなサイトによれば半月くらいすれば根付くそうですが、
果たしてどうなることやら…

このホウセンカ、私の子供時代から教科書で使われている気がしますが
それだけ生命力が強いんですね。

子供は観察日記に
「台風5号のぼう風で折れた」
とかしっかり書いてました。
絵にもリアルに描写してあった(笑)

だんなは
「うまくいかんかったら、そんだけ書くことあるやん。
 実験なんて上手いこといかんことの方が多いで」
とコメントしていましたよ。

まぁなんとかめでたしめでたしになりそうで良かったです。
あとはこれをまた学校に持っていかねばならない、
という難題がありますが…
(種取りをするのでまた持っていかないといけない)
脇芽を折らないように気を付けよう。

ちなみに世の中には、
根元からボキッとやっちゃった、という子もいるみたいです。
でも観察日記はそういう結果として書けばいいんだし、
悔しいかもしれないけど、
時間さえかければ再生はできるので大丈夫ですよ。

植物の生命力を感じました…

というわけで今回はこの辺で。
posted by Amago at 16:01| Comment(0) | 科学 | 更新情報をチェックする