2017年11月24日

Eテレオイコノミア「楽しいだけじゃない!?遊園地・テーマパークの経済学」

Eテレオイコノミア「楽しいだけじゃない!?遊園地・テーマパークの経済学」

今回は遊園地やテーマパークを散歩して、
経済学の視点で見てみる、という試みでした。
講師は大竹先生です。

○今回の舞台
 最初、又吉さんと先生が釣りをしています。
 しかし
 「先生、これどう見てもプールですよね」

 全体を見ると、たしかにプールでした。

 実はここは都内の遊園地です
 (NHKなので名前は出てませんが、あとで調べたら練馬区のとしまえんでした。)
 この遊園地は去年度訪れた人95万人のうち、
 30万人は夏のプール客だったそうです
 そこで、プールのない時期にもお客さんに来てもらうため、
 7年前から冬はプールを釣り堀にしているんだそうです
 (9月後半~5月前半)

 又吉さん
 「すごい発想ですね」
 先生
 「釣ったお魚は持って帰ることもできるし、ここで調理して食べることもできるそうですよ」

 そこへ
 「釣れた!キタキタキタキタ!」
 と釣りをする方が…

○今回のゲストのレッド吉田さん
 今回のゲストのレッド吉田さんでした。
 遊園地については、
 「年に1、2回くらいは行くんですけど、
  けっこうな値段なので、手前のコンビニで割引券を購入してから行くんです。
  うちは子供5人なんで、家計が逼迫してる…」
 だそうです

○遊休資産の利用
 さて先程のプールを利用した釣り堀の話に戻りますと
 これは経済学的には
 「遊休資産を有効利用している」
 と言うのだそうです
 遊休資産とは、持っているのに使っていない資産

 先生
 「ここでは、ロッカールームもフットサル場に使ってるんですよ」
 ロッカールームがフットサル場?
 て思ったんですが、たしかに映像で見たらその通りでした。
 どんだけ広いんですか~

 先生によれば
 「これは範囲の経済、と言います」
 範囲の経済、とは
 同じ資源や技術を使って複数の事業を展開することで、
 生産性を増やすこと、

 だそうで
 コンビニが、ATMを置いたり宅配サービスの窓口になったりする、
 ビール会社が医薬品事業をする、
 などもそれに当たるのだそう

 吉田さん
 「ビール会社が医薬品?」
 先生
 「発酵技術を使うんです。
  同じ設備や技術で違うものを作るんですね」
 又吉さん
 「スポーツで言うと、サッカー部の人が陸上の大会に出られるようなものですかね」
 吉田さん
 「昔メジャーリーガーがアメフトの試合に出てました、それもそうですか」
 先生
 「そうですね」
 又吉さん
 「人やモノだけじゃなくて、技術も利用するんですね」

 先生は
 「又吉さんがお笑いと小説をしているのも範囲の経済ですよ。
  お笑いで培った技術を文章を書くことに使っている」
 なるほど。人にも使えるんですね。
 色んな所に別の才能を応用できるから、マルチな人はマルチなのかな。
 又吉さん
 「たしかにそうですね、ネタを考えるときにノートに書いたりするけど、
  それは小説を書くときに役に立ちました」
 先生
 「でも又吉さんがパイロットになろうとしてもその技術は使えないですよね。
  だからここでは、プールやコインロッカーという遊休資産を、業者にレンタルしています」
 やれることはやり、やれないことは委託する、ということですね。
 吉田さん
 「無理をしてないんですね」
 又吉さん
 「無駄が無いですね」

 (「範囲の経済(economies of scope)」
  というのは言葉だけ聞くと感覚的に分かりにくいな、と思いましたが
  「経済用語辞典」などを見ると
  「規模の経済(econmies of scale)」の対概念とされていて、
  英語で見ると韻を踏んでいるみたいな感じかなと思いました。

  ちなみに「規模の経済」は、
   規模を大きくすることで、製品1個あたりのコストが安く済むようになること、
 「範囲の経済」は、
   同じ企業で、技術や設備などをいろんな種類の製品作りに使いまわすことで、
   トータルのコストを減らす、という感じですね。

 「多様性の経済」という類似語もあるそうで、
 その方が日本語としては分かりやすいような気もします。
 経済学って英語翻訳が多いせいか、
 日本語だけだとわかりにくい言葉が多いな~)

○SNSがテーマパークを変えた
 次に一行が訪れたのはメリーゴーランド。
 広報の方によると
 「ここは日本で一番古いと言われるメリーゴーランドです」
 1907年にドイツで作られ、
 1969年に日本に運ばれたのだそうです。
 いまだ動いているのがスゴいですね。

 (ちなみにとしまえんのホームページによりますと、
  このメリーゴーランドはカルーセルエルドラド、
  という名前がつけられており、思っていたより重みのある歴史を持っていました。

  一応書いてみますと
   1907年ドイツ人の技師により製作され、ミュンヘンのフェスタで披露される
   その後、ヨーロッパ各地のカーニバルを巡り歩く。
   しかし戦争の足音が近づくと、ヨーロッパでは予算のかかるカーニバルは
   なかなか開かれず、このカルーセルの活躍の場も減ってしまう…

   そこへ1910年、ドイツに招待されたアメリカ大統領が、
   これをアメリカの遊園地で使うことを思い付き、
   1911年にニューヨークの遊園地に運ばれ、以来50年以上親しまれたそうです。
   しかし遊園地は閉鎖、施設は解体され、このメリーゴーランドは倉庫にしまわれてしまう。
   そこでとしまえんが買い付け、輸送されて現在に至るのだそうです。

   いろんなところを渡り歩いてたんですね。
   ちなみに装飾されている馬などは全て木製、
   手彫りなので1頭1頭の表情も微妙に違うそうですよ…)

 そこへ吉田さんが
 「僕、ブログやってるんで、写真とっていいですか」

 そこで、3人そろってメリーゴーランドの前でスタッフさんに写真を撮ってもらっていましたが
 シャッターを切る瞬間、
 先生は黄色い「ポイント!」と書かれた看板を又吉さんの顔の前に…

 又吉さん
 「なんですかこれ」
 先生
 「今日は経済学のシステムがあると思ったとき、この看板を出すルールとします」

 できた写真はうまいこと又吉さんの顔を隠してますけど(笑)
 どこに経済学ポイントがあるのか?

 吉田さん
 「メリーゴーランドが関係あるんですか?」
 先生
 「違います」

 先生によれば
 ブログやSNSなどが、遊園地やテーマパークの消費を変えた、とのこと

 というのは、この遊園地は、この少子化時代にも関わらず
 利用者数が近年増加傾向にあるのだそう
 2010年では年間4500億人足らずだったのが
 そのあと徐々に伸び、去年度では過去最多の6650億人になっている。
 その鍵を握るのがSNS文化、なのだそうです

 先生
 「SNSの登場により
  遊園地は自分が楽しんで満足する消費だったのが、
  他人に見せて満足感を得る消費になった」

 これを経済学では
 「遊園地の消費が「非地位財」から「地位財」に変わった」
 と言うのだそう

 「地位財」とは、他人と比較することで自分の価値が変わる財のこと、
 例えば車やブランド品などがこれに当たる
 先生
 「車に乗っているとき、周りの人より良い車なら嬉しい
  時計なんかも、周りの人より良いものを身に着けていたら…」
 吉田さん
 「テンション上がりますね」

 一方、非地位財は人とは比べないもの、
 例えば健康や通勤時間など
 「健康かどうかは周りとは関係ないですよね」

 そして、近年では「遊園地に行くこと」がSNSの登場により、
 人と比べる地位財となった、
 とのことです

 吉田さんは
 「昔ロサンゼルスに一人旅したとき、10万くらいかかるのが77000円で済んだんです。
  でも、同じ飛行機で同じホテルなのに55000円の人もいてショックでした」
 又吉さん
 「そういうの聞いたらダメですよね、
  僕もバイト先で大学生の時給とか聞くと、同じ仕事なのに時給が高かったり…」

 (私の感覚だと、「地位財」ていうと
  どうしてもバブルのころの
  「高いもんがいい」
  「俺はこんな高いもん買える経済力があるんだぜ」
  みたいな「見せびらかし消費」のイメージがあったんで、
  「いいもんを上手いこと安く買ったんだぜ」
  みたいな逆の見せびらかしもあるんだなぁと思いました。
  (他人との比較で価値が決まる、という定義からしたら、こちらも地位財なのだろう)
  なんか感覚が関西人っぽい(笑)

  又吉さんの経験に関しては、
  「幸福の計算式」(ニック・ポータヴィー)という本で、
  人は給料が増えるよりも「他人より金持ち」な方が幸福、みたいな話もあったので、
  給料ももらって喜んでるだけならいいけど、
  他人と比べちゃうと地位財になるのかな、と思いました。)

 遊園地に話を戻すと
 先生は
 「遊園地に行くことが地位財になったことで、
  人と同じ体験では満足できなくなった、
  だから自分の満足度を上げるためにお金を払うようになった」

 SNSを意識した流れは他のテーマパークにもあるそうです
 例えば「サンリオランド」では、
 中のレストランでサンリオのキャラクターの顔をしたオムライスやカレーなどが提供されている
 子供だけではなく、SNSに投稿するため若い女性の利用者も増えたのだとか

 また、USJでは仮想した来場者が参加できるハロウィンのイベントが開かれており
 SNSでその様子が拡散し、毎年話題になっているそうです。
 
 「体験することをネット上で競いあうようになったので、
  少子化でも遊園地の消費が増えたんですね」
 又吉さん
 「みんなSNSを充実させるために動くんですね。
  以前なら自分が行きたいところに行ってたけど、
  今はアルバムを埋めたいから動く、と」
 しかし又吉さんは
 「でもそうなると、お金がない男子学生は不利ですね…
  年上と付き合う女の子が増えるんかも…」
 んー、でもSNSするためのデート、ってのもどうかと思うが…

○子供料金はなぜ大人より安いのか
 3人は遊園地をぶらぶら歩いていましたが
 先生は
 「何か気がつくことはありますか」
 吉田さん
 「チケット売り場で、大人は1000円なのに子供は500円ですね」
 先生
 「電車や映画館でも子供の価格は低めですよね、どうしてだと思いますか」
 吉田さん
 「家族への思いやり?」
 先生
 「いいですね、でも違います」
 そこでポイント!看板を挙げています

 先生によると
 これにも経済学が絡んでいるそうです。

 「割引価格は、サービスを出す側が利益を出すためのものなんです」
 つまりただの思いやりではなく、経営側も儲かるためのカラクリがあるらしい。

 先生によると、
 子供は電車でも映画でも遊園地でも、
 普通は大人も一緒じゃないと入れない
 なので、子供料金を安くすれば入りやすくなり、親も入る
 こうして全体の利用者が増えるので、売り上げも増える

 なので大人一人分を安くするより、子供一人分を安くする方が
 利益を上げる効果が高いのだそうです

 吉田さん
 「損して得とれ、なんですね」
 先生
 「このように、利用者によって価格を変えることを又吉さん、なんといいますか?」
 又吉さん
 「何回も出てきましたね、分かりますよ、価格差別ですよね」
 価格差別とは、売り上げを伸ばすため、買い手ごとにモノやサービスの価格を変えること。

 ではどのくらい値引きをするか?
 先生によると「価格の弾力性で決まっています」
 価格の弾力性、とは、価格の変動により需要が変化する度合いを示す

 例えば価格を1000円から500円などに下げたとき、
 利用者がたくさん増えた場合価格の弾力性が高い、といい
 そんなに増えないときは価格の弾力性が低い、というそうです

 子供の料金は価格の弾力性が高いので、安くするのだそうです
 (一般的には、
  価格の弾力性が高いもの…ぜいたく品、競合品があるもの、自分の所得より大幅に高いもの
  価格の弾力性が低いもの…生活必需品、それしかないもの、自分の所得からしたら微々たる消費
  だそうです。
  遊園地に行くのは一種の贅沢なイベントだし、高い。
  また、学校みたいにどうしても行かねばならないものでもないので
  価格の弾力性が高くなるんだろう。
  確かに私も、割引期間でないと行く気がわかないですね…)

 先生
 「ではここでクイズです、
  実際にテーマパークで使われた割引は次のうちどれでしょう?
  A遠方在住者割引
  B近隣在住者割引
  C外国人割引
  D平日スーツ割引」

 又吉さん
 「難しいですね」
 吉田さん
 「なんで?簡単だよ、これしかないでしょ」

 先生
 「割引きしたら増える利用者はどれか、ということですが…」
 又吉さん
 「じゃこれかな。
  Aは、割り引いても遠くからは来にくいですよね、
  Cはもともと外国人の割合が少なそう。
  行こうとすれば行けるけど決め手に欠ける人が割引きされたら行くのは、Bですかね」

 先生
 「吉田さんは?」
 吉田さんは自信ありげに
 「Dです。
  コスプレ割引だと思いますよ、毎日ハロウィンみたいになるでしょう」

 又吉さんは
 「なるほど、僕の見方が浅はかだったんですね…」
 とか言っていましたが、先生は
 「正解はBですよ」(笑)

 「だって考えてくださいよ、遊園地がスーツのおじさんばかりなんですよ…」
 又吉さん
 「何かの視察やってんのかなと思いますね」(笑)
 一昔前のエージェント・スミス(映画「マトリックス」の敵キャラ)みたいで怖い(笑)

 先生によれば
 遠方の人は交通費が高いので、価格を下げても効果が低い
 また、安いからといってビジネスマンが仕事をサボって来るかと言えばそうでもない、
 一番効果が高いのは近隣の人だ、とのこと

 この価格差別は名古屋のテーマパークで実際に使われているそうです
 (これも名前は出てませんでしたが、調べたらレゴランドでした)
 「1DAYホームタウンパス」
 と言われるもので
 東海3県(愛知、岐阜、三重) に住む人は大人6900円が5500円、
 子供5300円のところが3300円なのだそう
 (ちなみに、公営の施設(博物館など)だと、県内在住者割引、市内在住者割引、
  というのは私もよく見ます)

 先生
 「価格弾力性は価格が1%下げると何%利用者が増えるか、ということなんですが、
  マーケティング担当者がそれを計算して値段を決めているんですね」

○行列の解消法を経済学で考える
 又吉さんは歩きながら
 「平日だから空いてて気持ち良いですね~」
 と話していました
 それから列に並ぶ話になって、
 「僕並ぶの嫌なんですよ」
 吉田さん
 「僕も嫌いですけど、子供がこれ乗りたい、というと並んであげたくなる」

 又吉さんは
 「先生、行列はなくならないんですか?」
 先生
 「良い質問ですね」
 ここでポイント!マークを挙げています

 又吉さんは行列に関して苦い思い出があるそうで
 「小学校に入る前くらいに名古屋に家族旅行に行ったんです」
  又吉家では当時、旅行はめったにないイベントだったそうですが
  そのときテーマパークに行くか名古屋城に行くか、と聞かれたそうです
  又吉さんは名古屋城がいい、と言ったのだが
  お姉さまは近代的なとこがいい、というのでテーマパークになったらしい
 「でも全部行列で、並ぶばっかりで時間が無くなって、結局1個も乗れんくて出たんです。
  なんかめちゃめちゃ納得いかなくて、だから名古屋城にすればよかったのに…って」(笑)

 吉田さんも
 「2時間待ちのアトラクションに子供が乗りたいって言うから
  「お前ちゃんと待つんやで」って言って並んだのに
  5分後に「まだ?」って…」
 ありますね~

 先生は
 「でも世の中には並んでもいい、という人もいますよね、
  この差はなんだと思いますか」
 又吉さん
 「並んででも最高のサービスを受けたいから?」
 先生
 「又吉さんはそう思わないんですか?」
 又吉さん
 「思いますけど、1時間ラーメン屋で並ぶ時間があれば、
  その間もしかしてコーヒー飲んで散歩していたら
  その最高のサービスに匹敵する1時間が過ごせるかもしれない」

 先生は
 「経済学では、
  行列は機会費用が高い人ほど不利な仕組み、と言うんです」
 機会費用とは、
 ある行為に取られた時間に
 他のことをすれば得られたであろう利益で、
 それをコストと見なすのだそうです

 例えば時給1000円の人が1時間行列に並んだら、
 その間働けば得られたはずの1000円を失う、と考える
 時給3000円の人なら3000円を失う

 このため、機会費用が高い人ほど
 行列に並ぶ、という行為はコストがかかる、ということになる
 お金持ちは行列や時間の無駄を嫌うそうですが、
 それは彼らの機会損失が高いからなんですね。

 吉田さん
 「お金を払ってないのにコスト、ていうんですか」
 先生
 「もし働いていたらお金が手に入ったのに、
  それを失うからコスト、ていうんです」

 「例えばお子さんの場合、
  並ばなかったからといってもアルバイトはしないですよね。
  だから機会費用はそんなにかからない、というんですけど
  レッドさんの機会費用はお高い…?」
 吉田さん
 「僕200万くらいですよ」
 又吉さんは
 「…後輩としては何も言えないです」(笑)

 又吉さんは
 「昔は本を買うとき、50円でも安い店を4時間かけて探し回ってたんですよ」
 だそうですが
 「今は考えられないですね」(笑)
 吉田さん
 「機会費用が限りなく底辺に近かったんやね」
 又吉さん
 「時間は無限大にあったんでしょうね」

 さて先生は
 「行列は放置しておくと、機会費用が高い人は離れてしまうかもしれない。
  どうしたらいいと思いますか」
 吉田さん
 「行列はないです、と嘘をつく」(笑)
 又吉さん
 「そんなん絶対ばれますよ、もう2度と来ないでしょ」(笑)

 又吉さん
 「VIPパスを作る」
 先生
 「一部の遊園地では導入していますね」
 これは追加料金を支払えば待たなくてすむというパスで、
 価格差別ができている
 ディズニーランドなどではそういうカードがあると聞いたことがあります。

 ほかにも、
 タクシーで、追加料金を払えば配車サービスを受けられる場合もある
 新幹線の指定席、グリーン席なども追加料金を払って席を確保する仕組み

 また、スカイツリーでも
 外国人向けに、1000円ほど多く払えば待たなくても良い当日券があるそうです
 これは外国人だけだそうですが
 お金はあるが時間がない外国人の富裕層に来てもらうためのサービスで、
 「来てもらえれば、周辺の飲食店やホテルにもメリットがあるんですね」

 先生によれば、価格差別をすることで
 機会費用が高い人も低い人も、
 それぞれ自分に適した価格を利用すれば、
 利用者も満足度も上がり、
 営業者側も、利潤が上がる、
 つまり双方にメリットがあるそうです。

〇あえて行列を放置する
 しかし又吉さんは
 「遊園地は子供のためなのに、
  追加料金を払わないといけない、というのは引っかかる」
 吉田さん
 「たしかに、全ては金か、となってしまう」
 先生
 「子供はお金がない世界で生きてるから
  自分が払えるのは、待ち時間だけなんですよね、
  だから違う手段で誰かが前に行くのは納得がいかない、
  となってしまうかもしれないですね」
 又吉さん
 「並ぶことでなんか楽しいことがあればまだ良いんですけどね…」
 吉田さん
 「急に横入りされた気になりますよね」

 先生
 「子供の世界でそういうのは問題ですよね。大人なら我慢できるけど…
  だからもうひとつの解決法は、
  あえて放置するというのがあるかもしれないですね」
 実際、この方法を採用する遊園地もあるそうです
 「時間でコストを支払ってもらう、ということです。
  そうなるとさっきの又吉さんの問題のように忙しい人はふるい落とされてしまいますけど
  子供だけの世界を考えると、行列だけの方がいいのかもしれない」
 子供の世界の中で平等にする、ということですね。

 先生によると、もうひとつの問題は
 「お金払えば良い話なら、子供が「払って」てなるでしょう?」
 でも親の懐事情がある。
 「だから、子供に二時間待ちでいい?って覚悟させる。
  そしたら、次に並ぶ?て聞いたら嫌ってなるかもしれない」
 吉田さん
 「学習させる、てことですね」
 子供に、現実ってのは思い通りにならんこともあるよ、
 我慢せんならんこともあるよ、ってことを分かってもらう、ってことですかね。

 又吉さんは突然
 「好きだ好きだと思ってた子がいたんだけど
  両思いになってしまったらあれ?気持ちが薄れてる、ていうときがある」
 という話をしていました。
 何の話かと思ったら
 「好きだ好きだと思って行動してた時の気持ちが情熱になってたのかもしれない、
  行列も、この並んでる時間があるから、すぐ行けるより幸せなんだ
  …ていってごまかすのはどうですかね」(笑)

 先生
 「じゃあ、ラーメン屋さんがこういうシステムになったらどうですか」
 又吉さん
 「…文句出そうやな、そんなラーメン屋で食べなくないわ、ていそうですね」
 「お金で差別するみたいな感じですかね」
 「逆なら良いかもしれないですね、
  最初1000円とかで、待ったら値引きしますよみたいな」
 吉田さん
 「なるほど」
 先生
 「さすが小説家ですね」
 吉田さん
 「さすがですね」
 又吉さん
 「さすがじゃないですよ」
 吉田さん
 「それ倒置法って言うの?」 (笑)
 又吉さん
 「言わないと思いますよ(笑)」

○まとめなど
 又吉さんは
 「行列に並ぶ時間とはどういうものなのか」と話していました
 手に入れるために待つ時間そのものに意味があるんじゃないか、と。
 「逆に、行列が無くてすぐに甘受できるサービスなら
  それを楽しむことができるのかな」

 先生は
 「なるほど、時間という手間をかけているから、楽しめる、ということですかね。
  それでも並びたくないですか?」

 又吉さんは
 「並びたくないですけど」と言いつつ次の思考実験的な話をしていました

  例えばみんな列に並んでるから並ぶ、
  そしていいとこまで来たときに、
  「この先には何もないです、500円払って並ぶワクワク感を楽しむサービスです」と言われて、
  そんなのに500円払ってられるか、と文句を言い
  「でもあなた楽しんでたじゃないですか」って言われてもめる…
  で、結局最後に
  「もういいです、500円返しますよ」って言われたとする

 「そうなったときにその500円を受け取れるかといえば、僕は受け取れないんです
  複雑なんですよ」
 20歳くらいのときにこれを考えてました…という話で終わっていました

〇感想など
・SNSが消費を変えた、という話は最近いろんなところで目にします。
 例えばくら寿司だったか、見た目が可愛い回転ずしネタを出した、って話もあったし。
 他にも写真映えする施設が増えたり…

 私自身は写真を撮って投稿する、というのはしないのですが
 (カメラ情報で個人情報が漏れるのが嫌なのもあるが、
  そもそもあんまり自分の行為を他人に見せたいと思わないので)
 こういう文化はどうなんかな~と思ってしまいます。

 もともと、自分がバブル期より下の世代で、
 子供のころのバブル期の「見せびらかし消費」を冷ややかな目線で見ていました。
 当時の人に見せるために車やブランド品を買う、ってのは好きになれませんでした。
 なんかな、そのモノの価値自体を見てないから
 作っている人たちに失礼だな、と思ってしまうのですよね…
 ただのステイタス手段になってるお金に対しても失礼かな、と…

 そしてそんな私が今のSNS消費を見ていると
 見知らぬ他人に見せるための写真を撮るのに一生懸命になっちゃって、
 そのテーマパークの体験自体を楽しんだり、
 一緒にいる人との語らいを楽しんだり、
 ということが薄れてしまうんじゃないか…
 それでいいのか、と思ってしまうのです。
 テーマパークの人たちや、一緒に来た人たちに失礼なんじゃないか、と。

 最近、だんなの後輩が結婚されたのですが
 「あいつ新婚旅行先からやたらメール送ってくるけど、せっかく二人なのに大丈夫なんか?」
 と話していました。
 「奥さんも誰かにメールとかインスタとかやってるんじゃないの?」
 って聞いたら「そういや奥さんの方がそういうの好きだって言ってた」
 って言ってたんですけど
 
 デートしてるのに、相手と話さずにスマホだけ見てる、ってどうなんかな~
 最近の若い子ってそんなもんなんかな~
 とおばさんとしては心配(笑)

 まあ、お金がそれで回るんならいいんじゃない
 (バブル期も確かにそれで世の中にお金が回ってたけど)
 っていう考え方もあるけど、うーん、個人的にはどうもな~

・最後の行列の話については
 マイケル・サンデルさんの「それをお金で買いますか 市場主義の限界」
 という本を思い出しました。
 サンデルさんはお金を払って行列をスキップする、という行為などを挙げて
 「市場主義者はなんでも金に換算する」とこの本で批判しています。

 今回も経済学の話なので、行列解消にお金を払う話なのかな…と思っていたのですが
 そこは又吉さんの問題提起をもとに、丁寧に議論していたので安心しました(笑)
 特に経済学者さんである大竹先生が
 「子供の世界ではお金がないから、
  あえて放置して時間でコストを支払う決まりにしちゃうのもアリ」
 という考え方を言っていたのはなんか新鮮に感じました。

 サンデルさんはこの本で
 「何でも商業化する前に、
  どれを商業化するか、どれは道徳で解決するかなどを議論して決めねばならない」
 という話をしていましたけど
 子供の「お金がない」世界を考える、
 てのはいい発想かもしれないですね。勉強になりました。

・あと、最後らへんで又吉さんが言っていた
 「待つからこそ生まれる価値」
 ってのも興味深いな~と思います。
 
 私自身は行列とか待つのが好きじゃないので
 ワクワクしながら待つ、っていう心理はよくわからないのですが
 (待った先で得たものが、意外にショボかったりするとがっかりしちゃうのが嫌なので
  あんまり期待しない、ってのもある)

 待つことで、自分のなかでめちゃめちゃいいものに変わっていくのかな?
 なかなか手に入らないものだから、需要>供給みたいな感じで価値が上がるのかな?
 めったに経験できないから、非日常性で価値が上がるのかな?
 みんながしたがるから、価値が上がるのかな?
 
 モノ自体の価値が変わらないのに、心理的なものだけで価値が変わる、というのが面白いな、と…
 でも経済活動って、案外そういう心理的な幻想に支えられてるところがあるな~と感じました。
 (でも最後の又吉さんの「500円払って待つだけのサービス」は
  さすがに文句出そうな気がする(笑))

というわけで、今回はこの辺で。


posted by Amago at 11:33| Comment(0) | テレビ(オイコノミア) | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

「インターネットは自由を奪う <無料>という落とし穴」アンドリュー・キーン

「インターネットは自由を奪う <無料>という落とし穴」アンドリュー・キーン

 題名にひかれて借りた本ですが、
 読んでみて個人的にはけっこう衝撃を受けました。
 というか、インターネットを使うそこのアナタも知っておくべきですよ、
 と言いたいくらいの内容です。

 内容はシリコンバレーのIT長者への批判、
 インターネット文化への批判、
 と書いてしまえばそれまでで、極端な表現も散見されますが、
 極論だけどあながち間違いじゃないよね、と言いたくなるような指摘が多かったです。

 筆者はもともとシリコンバレーで音楽関係のIT企業「Audiocafe」を起業された方ですが
 今はデジタル革命について鋭い批判論を書く作家さんだそうです。
 彼自身も「インターネットの無限に見える可能性に魅了されていた」
 つまりシリコンバレー側の考え方もよくご存じであるし、
 シリコンバレーの方々とも交流があるような記述も見られるせいか、
 ただの感情的なインターネット文化バッシング本ではないです。

 私が特に印象的だったのは
 「我々ネットサービスの利用者は、タダ働きしている」
 という意見です。

 筆者によると、
 GoogleとかFacebookみたいなIT系の企業の経営者が
 めちゃんこ儲けているのはなぜかと言えば、
 従業員を減らして効率化しているため、だが、
 それがなぜ可能かと言えば、
 「利用者も無償で労働力を提供しているから」なのだそうです。

 というのは、Googleの検索アルゴリズムもFacebookの広告もAmazonの書籍推薦も、
 利用者の使用履歴や個人情報を利用している。
 我々が使えば使うほど、
 それらの企業のサービスの質が良くなり、企業価値も高まり、株価も上がる仕組みになっている。

 それって利用者にとっても企業にとってもいいことで、ウィンウィンじゃないの?
 と思うかもしれないが
 その結果彼らが何をしているかと言えば
 少ない従業員でサービスを提供できるので(利用者を労働力として使うからね)価格破壊をおこし、
 既存の実在店舗を市場から排除して、
 結果として雇用の機会を世の中から減らしている…

 つまりですよ、
 彼らは我々利用者をタダ働きさせて
 それで儲けているのに
 見返りをくれるどころか働き口を奪っている、
 というわけです。
 そして彼ら経営者は、信じられないくらいのスーパー億万長者になっている。

 格差が広まる理由が何となくわかりました。
 なんで最近こんなに株価上がってるのに一般市民は実感ないんだろう~
 と思っていたんだけど
 それは我々がただで働いているからなんですね。
 ネットサーフとか、フェイスブック、ブログなどに時間を取られているアナタ、
 その時間も彼らに労働力として取られているのですよ。お金はないのに(私もそうですが)

 そして筆者によれば、
 これは産業革命と変わらない構図だと言います。
 大資本家が手織業者から雇用を奪い、
 労働者階級から搾取していたのと同じだ、とのこと。

 しかしその時代とは違うのは、
 我々はそれに対してラッダイト運動を起こすどころか、
 喜んでタダ働きし、喜んで個人情報を提供している、ということです。

 それはなぜかと言えば
 1つはIT企業の経営者たちは
 自分たちだけが儲かろうと考えていたんじゃなくて、
 むしろ、みんなのためにより良い世界を作ろうとしていたからで
 Google検索も、より正確で使いやすい検索を追求してあの形になったわけだし
 Facebookも、みんなでアイデンティティを共有すればより幸福になれるはず、
 と思ってシステムを考えた、
 そしてそれらのサービスを無料で提供してくれています。

 しかしこの構造が落とし穴だ、と筆者は言います。
 無料、というのは高くつく。
 無料で利用する代わりに、我々は無限の情報や労働を提供しているわけです。

 もう1つの理由は
 我々も「インターネットは善き世界を作ってくれる」と信じているからです。

 筆者は、我々の「インターネットは善、自由、民主的、平等」という考え方は
 一種の宗教、狂信みたいなもので事実は違う、と言います。

 いや、正確に言うと、初期のコンピューター開発を公的機関がしていた時代にはそうだったが、
 ネットが商業利用されてからは変わってきてしまった、
 むしろ偏見を助長し、多様性を失わせ、勝者と敗者の格差を増やすというのです。

 例えば、ネットのおかげで
 無名な人がユーチューバーとして有名になるチャンスは(理論的には)産まれたが
 実際は、視聴者は情報や選択肢が多いほど、有名人、ビッグネームを選ぶ傾向にある。
 なので、「大多数はいつまでもインターンのまま」なのだそうです。

 また、ネットで言論の自由が産まれた、というが、
 見る人は、自分が見たい情報を選んで見る傾向にある。
 このためむしろ自分の意見に凝り固まる人が増え、差別は増えている、と。

 この理由については、筆者はそんなに細かくは分析していないが、
 要するに人間の脳の限界なんだろう。
 理論的には選択肢や自由が増えるほど幸せになりそうな気がするが、
 人間の脳は、選択肢や自由度が多くなると逆に混乱して、選ぶのがめんどくさくなる。
 なので、逆によく知っているものしか見なくなってしまう。
 つまり、選択肢が増えすぎるがゆえに、自分の考えに凝り固まるし、勝者独り勝ちも起きるのだろう。

 筆者は、なのにシリコンバレーの人たちは
 いまだに「インターネットは善」と主張している、彼らは偽善者だと言います。
 我々の「インターネットは良きもの」と信じる気持ちに付け込んで儲けている、と。

 では筆者は、こうした現状へどうすべき、と思っているのか?
 この本では、筆者自身の解決策についてはあまりページを割いていなくて
 政府による規制、企業による自己規制が必要、
 企業自身が「ノブレス・オブリージュ」
 (特権階級の人が特権に伴う責任感を持つこと)
 のような自覚を持つことが必要、というようなことを書いています。
 
 この時代にネットサービスを使わない、てのも現実的ではないし
 民主導で発展してきたネットを、今更公的機関のものに戻すことも現実的ではない、
 ということかな?と思うのだが、
 筆者も、1年後のあとがきで
 規制は自分の希望的なもので、実現するかは執筆当時自信がなかった、
 と書いており、筆者自身にもまだ答えは見いだせていないのかもしれません。

 (一応1年後の後書きでは、
 最近は現実世界でもオバマ大統領やEUが規制を口にするようになった、未来は明るい…
 みたいなしめになっていたけど)
 これからみんなで議論していくべきことなのかもしれません。

 ただ私個人の意見を言うと
 規制もあんまり期待できないかな…とも思うのですよね。
 我々が無自覚にネットサービスを喜んで使っている限り、格差はどんどん開いていくのかな~、と。
 IT長者などのお金持ちが政府と結びついて、
 規制を骨抜きにしちゃうことだって可能でしょうし。
 実際、トランプさんになってからは逆行していそうです。

 一番理想的なのは
 ネットサービス提供者、ネット企業の経営者が
 利用者にも働いてもらっているから自分たちが儲かっているんだ、
 という自覚をもってもらうこと、
 そしてもっと社会に貢献してもらうことかなと思います。
 税金たくさん払って、ベーシックインカムに貢献するとかね。

 筆者の指摘によれば
 「シリコンバレーの連中は労働者階級には冷酷」
 らしい。
 「俺たちは自分の力で儲けてきた、人を雇ってやってる、サービスを提供してやってる」
 と思う人が多い、ということなのかな?
 もしそうなら、考えを改めてほしいなあと思います。

 あともう一つは、我々利用者も自覚が必要だということ。
 利用者みんなでちょっとずつ労働力を提供しているから、ネットサービスが成り立っているのに
 それを構築した一握りの人たちだけに富が集中する今の構造はなんかおかしい、
 と私はこの本を読んで思いました。

 そして、そう思う人が増えれば、
 インフラサービスみたいに、ネットのサービスも
 公的な機関にゆだねる、あるいは規制や監視を厳しくしよう、
 という機運が高まる可能性もあるのかなと思います。
 
 筆者の言葉が結構批判的なので、あんまり話題に上らないのかな~
 経済学者さんとかにも読んでもらいたいな~、っていう本です。

 一応メモ程度に内容を書いておくと
 〇第1章はインターネットの歴史その1。
  コンピューターやワールドワイドウェブ(WWW)が公的機関で開発されていった時代の歴史です。
  第二次大戦中から1990年代くらいの話。

 〇第2章はインターネットの歴史その2。
  コンピューターのサーバー管理が民間に委託された時代のことで
  これはさらにウェブ1.0時代とウェブ2.0時代に分けられるようです。

  ウェブ1.0は、無償で提供されていたWWWが民間の手に渡り、商売道具になった時代。
  WWWを使いやすいソフトにして売ったNetscape社が大儲けしてしまったことから、
  ネットはお金になる、という認識が広まった。
  そこからIT企業がたくさん生まれたそうです

  ウェブ2.0は、利用者参加型のサービスが産まれた時代です。
  NetscapeやYahooなんかは、収入源をスポンサー広告で賄っていたそうですが
  それを変えたのがGoogleだそうです。

  Googleは画期的なアルゴリズムを発見したそうです
  これは、あるページの重要性を、そのページとリンクを張っているページの数と質でランク付けする、
  というもので、
  これにより、検索を使えば使うほど精度が上がる仕組み、というのができたのだそう。

  またGoogleは最初の画面での広告をやめて、
  検索結果のところに、検索結果に合わせてカスタマイズされた広告が示される仕組みにした。
  これにより、最初のごちゃごちゃした画面がすっきりして使いやすくなり、
  一方で広告収入は確保できるようになった、とのことです。

  また、Facebookも、参加者が増えるほど便利になる仕組み
  広告も、参加者が増えるほど有益なものが提示される仕組みになっている。

  Amazonの推薦図書や書評の仕組みも、利用者参加型の仕組みを利用しているし
  フェイスブックの写真版みたいなインスタグラムも出てきている。

  利用者参加型のウェブサービスは、無料で提供され、
  また使うほど便利なので、ますます利用者が増えている、
  とのことですが、
  この構造が落とし穴で、利用者をタダ働きさせ、企業の雇用を減らし、格差拡大を助長していく。

  また、この「利用者参加型」というビジネスモデルはほかの経済にも影響を与え、
  シェアサービス(ライドシェア、民泊など)、 
  ブロックチェーンシステム、
  クラウドファウンディングなどのサービスももたらしている、とも書いています。
  筆者によれば、これらはシュンペーターの言う創造的破壊をもたらしている、とのこと。
  しかもそれは本当の意味での大きな破壊で、
  既存の産業の雇用を奪い、労働条件を悪化させているそうです

 第3章から8章までは、インターネットの負の面について論じています。
 〇第3章は、インターネットが既存の雇用や経済システムを破壊した、という話。
  デジタルカメラの普及で衰退を余儀なくされたコダックの話が軸になっていました。
  コダックは、現像サービスなどで稼いでいたが、
  みんなが手軽に写真を撮れるようになってしまった、
  つまり機械と利用者が労働するようになったために衰退したのですが

  ほかの産業でも、人工知能や機械により人の労働が奪われている。
  また、IT企業などに見られる効率化で、
  従業員が少ないのに収益を上げる企業が台頭してきている、とのことです。
  「今後は、高スキルの富裕層だけに雇用がもたらされ、
   中間層は壊滅的になる」
  という経済学者たちの予想も紹介されています。

 〇第4章は、インターネットが文化の破壊をもたらしたという話。
  Facebookの画像版のようなサービスを提供するインスタグラムの話が軸になっていました。
  筆者は、インスタに代表されるような自撮り文化は
  現代文化を聞きに追い込む、としています。

  自撮りや投稿などの行為は、ナルシシズム、自己愛を増大させ、
  他人に対するのぞき趣味を助長する、とのこと。
  つながりたい人とだけつながることで、他人への信頼感もむしろ減るそうです
  ある調査では、自撮り世代(2000年以降生まれ)は、
  ほかの世代に比べ他人への信頼感が薄い、
  という結果があるそうです。
  
  また、インスタなどのサービスは、
  利用者は、無料で楽しめる代わりに無償労働をするシステムになっており、
  それは既存の雇用を破壊する。
  また、ユーザーのプライバシーもさらけ出してしまう問題もある。
  筆者によるとその構図は
  「ユーザーの自己愛につけこみ、非常にわかりにくく隠された
   利益を得る手段として企業が利用している」としています
 
 〇第5章は、インターネットが音楽などのクリエイティブ産業の空洞化をもたらした、という話。
  楽曲データがユーチューブやナップスターなどで
  誰でも無料で入手できるようになった結果
  失業するミュージシャン、アーティストなどが急増したそうです。
  (筆者はインターネット上の海賊行為、経済レイプ、泥棒などと
  結構過激な表現をしていますが)
  
  これは、インターネット経済が広まりだしたころ
  インターネットは平等、自由という理想のもとに
  ウェブ上で配るものはすべて無料で提供していた文化にも原因があるそうです

  筆者はこれを「サンタクロース経済」と表現していますが
  確かにウェブ上のものって無料が当たり前、有料のものは敬遠されてしまいますよね…
  (ウェブライターの収入もかなり低いし)
  これは立ち上げの時期に、
  きちんと労働に対する対価を取ってこなかったツケが来てるのでしょう
  
  同様の理由で、電子新聞の普及でジャーナリストも仕事の場を失っている。
  若いクリエイターたちが。低賃金の労働でこき使われる構造になっているそうです

 〇第6章は、インターネットが格差や分離、差別をもたらし、多様性を失わせている、という話。
  筆者は、インターネットの民主化(ウェブ2.0)で、
  一般の人たちも平等に発言できる場ができる、
  選択肢も増えて多様性も増す、
  と思われていたが
  むしろますます不平等になり、
  多様性が無くなっている、としています。

  これは
  「楽曲オンラインストアの独占と、
   消費者が選択肢の過多という横暴にさらされているため」
  と筆者は書いていますが、
  つまり人が多すぎるので、無名なものは選ばれず、安パイだけ選ばれる、とのこと
 
  この状況はオンライン教育の分野でも起きている
  ネット授業は限られたカリスマ教師だけが選ばれ、
  その授業を受けられるのも一握りの金持ちである。
  また、ジャーナリズムはスポンサー企業の広告手段となり
  独自性、質の良さはおろそかになっている、とのことです
 
  また、心理学者によると
  「我々は喜びより怒りを分かち合いたがる」(被害を受けた仲間を求める)そうで
  ソーシャルメディアでは、怒りが最も拡散されるのだそう
  その結果、差別的な言葉や憎悪を伴う言葉が広がっていく
  「ネットは弱い人、不幸な人の味方と言いながら
   経済格差を増やし、無防備な人たちに向けられる憎悪を増やす」としています。

  さらにたちが悪いことに、ネットは匿名性があるので
  悪意や間違った情報を出す人たちが隠れることもできる
  情報の改ざん、不正確な情報も広まってしまう、としています。

 〇第7章は、インターネット企業は個人を丸見えにさせる、という話。
  Googleは、グーグルマップとかストリートビュー、Gmailなどで
  個人情報を集めているし、
  最近ではウェアラブル端末で何もかもがネットワークされる
  自動運転車も、走った経路がデータとして収集されるのだそうです

  筆者はこの状態を皮肉って
  旧東ドイツの「シュタージ」(個人の情報を監視する秘密警察)
  と同じようなもの、としています
 
  さらにこれらの企業のデータは
  NSA、CIAなど国の機関に提供されている可能性もある
  企業が国の言いなりになっているかもしれない、とのことです
  (アメリカの場合、個人が国家もあんまり信用していないところがあるので
   これが問題視されるのだろうと思われる)

 〇第8章は、シリコンバレーの人たちの考え方への批判ですかね。
  これは筆者の偏見も入ってるかも?で、かなり辛辣でした。
  筆者によれば、シリコンバレーの人たちは失敗を自慢したがるんだそうです。
  どんどん失敗して挑戦せよ、既存権力を破壊せよ、それがイノベーションだ、みたいな考え方です。
  しかし筆者によれば、それは彼らが雇用や経済を破壊して独占するための方便だ、としています。

  この章の後半はシリコンバレーでの格差増大についてで、 
  儲かっている企業の従業員はプライベートバスを使って公共機関のバスを妨害しているとか、
  貧困解決の答えは「インターネットだ」と主張し
  自分たちの儲けになるような慈善事業をしている、
  という感じの批判をしています。
  
 〇第9章は、筆者なりの解決策を述べています。
  コンピューターをたたき割る、
  ネットワークから離れる、
  マグナカルタみたいな決まりを作る、
  公共的な対抗商品の開発、
  匿名コメントの規制、
  オンラインの商品に相応の値段をつける
  「どうせ解決しない」とあきらめる
  …などの各人の解決案?を紹介しつつ

  筆者自身は「歴史に学べ」と述べています。
  産業革命が起きて、労働者は苦しい立場に置かれたが
  政府の規制がバランスよく働いて、世界の繁栄を築くことができた
  同じように、政府の規制をしたり、業界で自主規制をしたり
  シリコンバレーの人たちが「ノブレス・オブリージュ」(特権に伴う責任感)を持ったり
  などをすべきだ、として終わっています。


ネット社会のことについては、
以前読んだ「アマゾノミクス データ・サイエンティストはこう考える 」
(データサイエンティストのアンドレアス・ワイガンド氏)
という本で

「個人データをネットやウェアラブル端末などで使われるのは、
 もはや時代の流れなのだから受け入れろ、
 その代わり個人がそのデータを管理する権利を主張せよ」

…って感じの考え方を目にしたけど、
その本を読んだ時は、それが時代の流れなのかな~と思いつつ、
なんか横暴というか、違和感がありました
(シリコンバレー側の人たちの思想ですね)

なので、今回、ネット社会の「個人データの危機、格差の拡大」
などについてズバズバ指摘してくれた今回の本は気持ちよさも感じたのですが
しかし、解決策としては両者はかなり似ているのかな、と思います。

我々ネットの利用者が
「我々の個人データや時間、労働力を利用されている」
ということをそろそろ自覚して、
相応の権利を主張すべきだ、
という点では同じなのかな、と。

まあでも、現実としてはそういう運動は起き無さそう…
と個人的には悲観的に思っています。
個人データの利用とか
ユーザーによる無償労働、それによる雇用破壊、雇用の減少は進みそう。
ベーシックインカム導入論もあながち夢物語ではないかな、と。

無償労働については
これだけたくさんの人がブログを書いていて
しかも仕事じゃないのに、マニアックで素晴らしい内容を書く人もいる。
プロよりも情報が多いかもしれなくて
そういう時代に、プロの書き手って存在意義あるのか?という話にもなってしまうと思われる。

それに対して、個人としてできることとしては
あんまりネット依存にならないこと、
ネットに使う時間をそんなに多くしないこと
「タダ働きを減らす」「働いてもいいくらいのタダ働きを提供する」ことなのかなあと。
私もブログ書くのに時間かかるので、
そろそろ引退しようかな~と最近思ってたとこです。

それから、ネット上の海賊行為、
ネット上の憎悪の拡散、などは
ある程度はこのまま進むんじゃないかなぁ、と思います

それに対しては、
違法の音楽コピーを使わないとか
悪意のある意見、間違った意見を見抜く力を身につける、
いろんな意見、特に自分とは違う考え方を見るようにすること、しかないのかなあ。
(それこそ、間違った情報、悪意のある情報を
 自動的に見つけて削除してくれるAI開発してくれんかな)

 そういえば最近、上の子が
 「隣の席の子が、「2年後に地球が滅びる、ってグーグル検索で出た」って言ってた」
 と本気で心配そうに言ってきたので
 「ほっとけそんなの」って言った記憶があります(笑)
 「2000年になる前にそんな話いっぱいあったわ」と。
 正しいか分からん情報に、子供も振り回されないことが大事ですね。


…ネットは便利だから、たぶん廃止されることはないだろう。
私自身もネット社会はどうあるべきか、答えが出ていませんが
いろいろ今後の世の中について考えさせられました。

というわけで、今回はこの辺で。
posted by Amago at 15:03| Comment(0) | テレビ(科学) | 更新情報をチェックする

Eテレ100分de名著「ラッセル「幸福論」 第3回バランスこそ幸福の条件」

Eテレ100分de名著「ラッセル「幸福論」 第3回バランスこそ幸福の条件」

ラッセル「幸福論」の3回目です。
1回目は概要、2回目は不幸な思考方から抜け出すための方法でしたが
今回は普通の人でも幸福になる方法、だそうです。

司会は島津有理子アナと伊集院光さん、
解説は山口大の小川仁志氏でした。

前回は第1部「不幸になる原因(何が人々を不幸にするのか)」でした
今回は第2部「幸福をもたらすもの」です。

 前回の内容をおさらいすると、不幸の原因は「自己没頭」
 具体的には
 「悲観的」「競争」「退屈と興奮」「疲れ」
 「妬み」「罪の意識」「被害妄想」「世評に対するおびえ」
 (2章~9章)
 これらを予防するには、
  外に目を向け、やるべきことに集中する
  他人と比較せず、自分の今を楽しむ
  他人はそんなに自分のことなんか気にしてない、と割り切る
  人の言うことは必要以上に気にしない …など

○第10章それでも人は幸福になれるのか
 第2部の最初に当たる第10章は、幸福についての予備的な考察で
 ラッセルがそれまでの人生で出会った幸福な人を分析しているのだそうです

 ラッセルによると、幸せな人たちの幸福の鍵は
 「何かに熱中すること」だそうです
  ・達成感を味わえることに熱中すること
   例えば科学者、
   好きなこと、自分の能力を最大限生かせるところに熱中して成果をあげ、
   さらにその成果が人に役立っている

  ・困難だが、実現不可能ではない課題に取り組む
   例えば政情不安な国で世の中を良くしようとする若者たち
   彼らは静謐な幸福に浸っていただろう、とラッセルは言うそうです

  ・趣味に熱中する
   例えば切手のコレクターをしていた数学者。
   本業で行き詰まっても、集めたものを見て心の平安を得ていた、としています
   ちなみにラッセル自身は「川マニア」だったそうで
   世界の色んな川を登り下りするのが好きだったのだとか

  さらにラッセルは幸福の秘訣として
  「あなたの興味をできるだけ幅広くせよ、
   あなたの興味をひく人や物に対する反応を
   嫌悪あるものではなく、できる限り友好的なものにせよ」
  と述べてこの章をしめくくっているそうです

 伊集院さんは
 「政情不安の国で世の中を良くしようと頑張る若者と、
  切手収集を同列に扱うんですね」
 と驚いていました
 「例えば僕らでも、甲子園に向かって頑張る青春は素晴らしいけど
  アニメに夢中になってもあまり評価されない気がしてしまう…
  でもそうではない、というのがなんか嬉しいですね」
 小川氏は
 「ラッセルは、
  「どんなに些細なことでも熱中できれば幸せになれる」
  と言っているんですね」

 また、最後の言葉
  (興味を広く持ち、物事や人を好意的に見よ、という言葉)
 については
 「人やものに積極的に関わりなさいということですね、
  ものに対しても、愛情を持つことで熱中になれれば、
  そこから幸福が広がっていくということです」

 伊集院さんは
 「映画が好きな人もいるけど、
  それが高じて悪いところを探しちゃう所がありますよね、
  あれは駄作だったとか…
  でも自分の見たいものを減点式で採点するよりも、
  良いところを挙げる方が良さそうですね」
 小川氏
 「我々は、人に対しては「他人の良いところを探しなさい」とか割と言われますけど、
  物に対しては、嫌いと決めてかかると興味を持たない所がある、
  そこの視点を変えましょうということなんですね」
 伊集院さん
 「今、SNSとか見てるとはなから批判しようとしている人たちがいて
  自分も気づかないうちに反射的に批判するエンジンがかかってる時があるけど、
  良いところを探す方のギアを入れておく方がいいですね」

 (私もスイーツとか買うと、ちょっとこれは…ってのもたまにはあるんですが
  「味はいまいちだけど、この食感はいいかも」とか
  「これを加えたらおいしそう」と考えたり
  甘すぎたら細切れにして冷凍して、甘-いもの食べたい~って日にちょこっと食べて幸せになったり…
  ちょっとでもプラスになるところを探しますね。
  マズイマズイと思って食べるよりも、おいしく食べられます)

○幸福の源
 ラッセルは、11章から16章まで、幸福の源を6つ挙げているそうですが
 それは
「熱意」「愛情」「家族」、
「仕事」「趣味」「努力とあきらめ」
 だそうです。

 前半の3つは気持ちのバランス、
 後半の3つは人生でやるべきことのバランスについて書いているそうです

○熱意
 ラッセルは自分ではなく外に熱意を向けよ、とし
 ソーセージ製造機の例えを出しているそうです

 「ソーセージ製造機が2台あった、
  豚をこの上なくおいしいソーセージに変えるための精巧な機械だ。
  そのうち1台は、豚への熱意を持ち、無数のソーセージを作った
  しかしもう1台は、「豚なんかどうでもいい」と言って豚をはねつけ、
  自分の内部の研究にとりかかる
  そのうち、ソーセージを作る役割を失った」

 …というようなことが書かれているそうで
 つまりは熱意は自分の内側に向けるのではなく、外側に向けなければならない、
 と言っているそうです
 前半で「自己没頭は不幸の原因」という話が出ていましたが
 ここでも同じことを言っていますね。

 また、熱意はバランスが大事だそうで、これは食事に例えている
 「食欲のない病人は、食事に熱意が入らず、義務感で食事をするため楽しむことができない。
  しかし食事に熱意のありすぎる美食家などは、食べすぎて病気になってしまう。
  幸福な人は、食べ物を喜び、十分満足したらそこでやめる」
 …というようなことを書いているそうです

 伊集院さんは
 「ソーセージの例えは最初なんのこっちゃ?と思ったけど、急に分かった」
 と言っていました。
 「僕の仕事で例えたら、面白い話をしたいと思うんだけど、
  そのうち話術を磨きたい、芸術を高めるために…となってくると、
  人が笑うかどうかは関係なくなる。
  でももともとは笑ってほしくて、起きたことを分かりやすく話そうとしていたのに
  何がしたいのか分かんなくなっちゃう」

 小川氏も
 「おっしゃる通りですね、
  ソーセージ機はソーセージを作るから役に立つのであって、
  何もしなきゃただの鉄の塊なんですよ」とのこと。
 人も、何かをやるからすごいんであって、
 自分だけ見つめて自己満足に浸ってるだけじゃダメだ、ということらしい

 伊集院さんは、ソーセージの例えについて
 「ぶっ飛んでますね…」と言っていましたが
 「ラッセルはこういう例えがうまいんですよね、
  なんでだろうと笑わせたり考えさせたりしてくれます」だそうです。
 ベストセラーになった理由もそこにあるのかもしれないですね。

 また、「熱意のバランス」については、
 小川氏によると
 「熱意はバランスが大事、そのためにラッセルは枠を設けています」
  その枠は
  「健康」「能力」「収入」「家族への義務」だそうで
 「例えばパチンコが好きでも、やりすぎると健康にも良くないし、
  頭がボーっとして仕事のパフォーマンスも落ちる、
  お金をつぎ込みすぎてもいけない、
  家族との時間も取れなくなるといけない」

 どんなに好きでやっていたとしても、
 ほかに支障が出るようだとトータルとして幸福になれない。
 仕事や趣味に熱意を持ちすぎていないか、時間を取られすぎていないか、
 のチェックリストになりそうですね。

〇愛情
 ラッセルは、
 愛情は自信をもたらし、安心感を抱かせる、
 そこから熱意がうまれて物事を行い、幸福になる、
 としているそうです
 
 しかし愛情にも2つのタイプがあって、
 1つは「最上の形の愛情」で
  「各々が喜びをもって愛情を受け取り、努力なしに愛情を与える」
  つまり同等に受け取り、与え合う相補的な関係

 もう1つは「吸血型の愛情」で
  「一方が他方の生命を吸い取ってしまい、
   他方の与えるものを受け取るくせに、お返しにほとんど何も与えない」
  つまりどちらかが、相手は自分の幸福の手段としか見ていなくて、
  お互いの幸福を考えていないような関係

  ラッセルは、「最上の形の愛情」が必要、と言っているそうです

 小川氏
 「愛情を与えると人は自信を持つ、自信があるとうまくいく。
  逆に愛情がないと、不安になって臆病な人生を歩んでしまう、
  だから最上の形の愛情が必要だ、と言っているんですね」

 愛情も大きすぎるとストーカー的になるし、支配的にもなってしまう。
 あるいは相手に合わせてしまい、自分が疲れてしまう。
 かといって無さすぎると冷めて別れになってしまうし、
 お互いを思いやり、甘えられるときは甘え合う…という関係がいいのかな。

〇家族
 ラッセルによれば、親子間の愛情も幸福の源だが、
 それもバランスが大事なのだそう

 与えすぎると支配することになり、不幸になるので
 親が子供の人格に対し、尊敬の念を抱くことが必要、と述べているそうです

 小川氏によると
 「親は子供の人生を自分のもののように扱ってしまうこともありますが、
  愛情をかけすぎると過干渉になるし
  無さすぎるとネグレクトになってしまう、加減が難しい。
  だから子供の人格や意思を尊敬し、尊重することを常に忘れてはいけない、と言っています」

 この辺の項目、番組ではさらっと流されていましたが
 これが難しいんですよね…

〇仕事
 仕事は退屈の予防にもなり、成功や野心の実現を与える機会にもなる
 仕事で幸せになるには仕事を楽しむこと、
 そしてそれに必要なのは 
 「技術の行使」と「建設性」だとしているそうです

 「技術の行使」とは、技術を向上させることで
  自分の技術を向上させることで、仕事も楽しめる
 「建設性」とは、何かを作り上げること
  これにより達成感が得られる
  外科医や配管工など熟練を要する仕事によく当てはまりますが、
  混沌から秩序を作る、という意味では政治家にでも当てはまるそうです
 
  ラッセルは、幸福になるためには人生の目的が必要、 
  そのための手段が仕事だ、としているそうです

 小川氏によると
 「仕事を楽しむことが幸福になれる、
  そのためには技術の向上と、
  何かを作り上げることが大事だと言っている」
 また、
 「ラッセルは、仕事は自分が大事と思うことと、
  仕事の目的がアンバランスになると不幸になる、
  ともいっているんですね」
 とも話していました

 伊集院さんは
 「自分がおもちゃを作るのが好きでおもちゃメーカーに就職したけど、
  企業は利益を出さないといけない、
  だから面白くないおもちゃだと思っても作らなきゃいけない、ってこともありますけど…」
 小川氏は
 「つまらないおもちゃでも
  自分の技術を向上させて面白くさせることはできるだろう、とか
  あるいは物を作り上げること自体に目を向けてみるなど、
  どんな環境でも、そうやってあがいてみたら楽しめる、とラッセルは言うんです」
 要は気持ちの持ちよう、
 どんな仕事もモチベーションが上がる目的を探して楽しんでみる、ということですね。

 (「自分の大事にしていることと、仕事の目的がズレたら不幸になる」というくだりでは
  「心をつなげる 相手と本当の関係を築くために大切な「共感コミュニケーション」12の方法」
  という本を思い出しました。
  この本では、基本的には対人関係をよくするためのワークが紹介されているんですけど
  最初のワーク「価値観ワーク」では
  深呼吸をしてリラックスをした状態(マインドフルネス)で
  「自分が一番大切にしている価値は?」と問うのだそうです。
 
  これを毎日していると、自分の大事にしている価値観に意識的になれるので
  自分のしている仕事が、自分の価値観に沿うようなものなのか?を見直すことができるし、
  相手と会話する前にこれをすると、
  自分と相手の価値観のずれはないか?が確認できるのだそうです。
  
  自分がなぜか仕事にストレスを感じているな~と思う時は
  こういうワークで、自分の価値観と実際の行動のずれを確認すると
  幸せに一歩近づけるのかもしれません)
 
〇私心のない興味(趣味)
 ラッセルは趣味の効用について3つ挙げているそうです
 ・仕事の気晴らしになる 
  仕事を離れて損得関係なく純粋に楽しめば、気晴らしになる
 ・釣り合いの感覚を保つ
  仕事だけでは世界が狭くなるが、趣味で視野が広まることもある
 ・悲しみを癒す
  例えば愛する人の死など、悲しみがあっても何かに心を向ければ楽になれる
  悲しみで心をいっぱいにするよりもその方が幸福になれる、とのこと

 最後の項目については
 小川氏は
 「ラッセルは、死は偶然にやってくるものだと考えていて、
  偶然性により人生が振り回せるのは不幸だろう、ということ
  なんとか趣味とかがあればそれが少しでも和らぐのでは、と考えている」とのことです

 (昔ガンで奥さんをなくされた医師の方も、
  最初は何も手が付かず、家も荒れ放題だったが、
  合気道に打ち込むことでだんだん自分を取り戻した、とかいう話をテレビで見たことがあります。
  死は辛いけど、体を動かすだけでも気分がまぎれる、ということなのだろうか)

〇努力とあきらめ
 ラッセルは、幸福は向こうからはやってこないから努力は必要だが、
 あきらめにも役割がある、と考えているそうです
 
 「賢人は、妨げられる不幸を座視することはしない一方、
  避けられない不安に時間と感情を浪費することもしないだろう。
  それだけを避けられるような不幸に見舞われたとしても、
  それを避けるために必要な労力と時間が
  もっと重要な目的の追求を妨げるのであれば、
  その不幸を進んで甘受するだろう」

 …と書いているそうです
 要するに、どうしようもないことに悶々としたり、
 どうでもいいことを避けるために一生懸命になるのは時間と労力の無駄、ってことですね。

 小川氏によると
 ラッセルはどんなあきらめをしてもいい、と言っているわけではないそうです
 あきらめにも2つのタイプがあり
 1つは「絶望に根ざすあきらめ」、これは良くないが
 もう1つは「不屈の希望に根ざすあきらめ」、これは幸福につながるそうです

 不屈の希望に関しては
 「個人的な目的が、
  人類のためのより大きな希望の一部だったならば
  たとい挫折しても、完膚なきまでの敗北ではない」
 とも書いているそうです

 小川氏
 「個人的にはどうしようもないことでも、
  ほかの誰かにとって、ちょっとでもプラスになればそれでいいじゃないか、
  という考え方なんですね」

  というのは、ラッセルは平和活動もしていたが、
  社会運動などはなかなか成果が出ないもの。
  でもそれを絶望と思うと不幸になってしまう。
  高い志が後の人に引き継がれたんだ、とか、
  自分のしたことがちょっとでも何かのプラスになった、
  と思えれば幸福になれる、
  ということだそうです

 伊集院さんは
 「うちのかみさんは関西人なんですけど、
  「しゃーないやん」に相当する言葉がないと」
 「仕方がありませんね」という標準語のあきらめのニュアンスとは違う、
 やるだけやった、しゃーないやん、みたいな前向きなあきらめがある、と。
 たしかに、関西人そういう前向きなところ、
 失敗を笑い飛ばして次に打ち込むようなところがいいなあと私は思う。

 小川氏は
 「自分の行為は終わったけど、
  大きなプロジェクトは終わってない、続きがあるんですね」と話していました。

 個人的には「あきらめ」っていうとどうしても後ろ向きなイメージになるので
 「人事を尽くして天命を待つ」
 「あんまり結果は気にしないで、やれること、やりたいことをやって後は流れに任せる」
 て感じのイメージがいいかな~と思います。

〇まとめ
 小川氏は
 「やっぱり、気持ちのバランス、やってることののバランスがないと幸福になれない
  と分かることがあると思うんですね」
 伊集院さんは
 「これを見て、チェックしてみるといいかもしれないですね、
  今日バランスをチェックしてみて足りないところを探してみる。
  でも見つからなかったらしゃーないやん、で(笑)。
  チェックしたこと自体は無駄じゃない、みたいな」
 小川氏
 「バランスチェックシートみたいなものですね」

次は最終章、本当に幸福な人とはどんな人か、
人類の幸福とは何か、というちょっとスケールの大きい話になるようです。

〇感想など
 いろんなことに、好意的に熱意をもって打ち込むこと、
 それもどこかに偏るのではなく、
 仕事、趣味、家族、恋人など
 いろんなところにバランスよく熱意を配分すること、
 
 というのはまさにラッセルさんのパワフルな生き方そのものだなと思います。

 まあ、人生はいろいろあるので、
 常にそれができるわけでもないんだけど、
 (特にバランスを取るのは難しい)

 でも自分の人生の主役は自分なので、
 自分の人生に主体的、積極的、楽観的に関わるほうが
 絶対に人生は面白くなる、
 とラッセルさんに言われているような気がしました。
 自分の人生を幸せにできるのは、自分しかいないのですから。

 私も主婦だし、家にいるし、
 そんな波乱万丈なことは起きないが、
 ちょっとした家事を楽しくできるようにする、とか
 何かに興味をもって勉強する、とか、
 できることはいくらでもある。
 そこから仕事につながっていけば、さらに幸せになれるかもしれないけど 
 まあそこもできなくてもしゃーないやん、で…

 って感じでやっていきたいと思います。

 というわけで今回はこの辺で。

 
 
posted by Amago at 13:33| Comment(0) | テレビ(100分de名著) | 更新情報をチェックする